世界に向けてイラストを描き続けた
伝説のイラストレーター
『生賴範義(おおらい のりよし)』
その多くのイラストは宮崎の地で生まれた

『私は肉体労働者であり
  作業の全行程を手作業で進めたい』

そう語った孤高の職人は、そのイマジネーションと眼・手から生まれた創作物を世界に発信し続け、2015年この世を去った。 そして描き出した原画の一部は現在宮崎の地に眠っている。

2023年 初夏
OHRAI(実行者:佐藤功人)と宮崎ひでじビール(代表取締役社長:永野時彦)は偶然が繋ぐ縁で出会う事が出来た。それからおよそ一年に渡る交流を通じて、相互理解を深めていった。

【画像】宮崎ひでじビール㈱永野社長とスタッフの皆様・オーライタロー氏・宮崎アートセンター センター長 長岡政己氏

世界を驚愕させ続けた「生賴範義」

宮崎ひでじビール(株)永野社長をはじめ、スタッフの方々が生賴範義の作品と対面し、当時の話を聞き、感じる事で、愚直に取り組むビール造りにも繋がる「クラフトマンシップ」へのオマージュが生まれた。

『宮崎ひでじビール』様 談
・大きな衝撃を受け

   根底に眠る魂を揺さぶられました!
・宮崎にこのような偉業を成した方が

   居らした事に驚きました!

それは作品だけではない。
背後に宿る「クラフトマンシップ/職人魂」の共感・共鳴

「宮崎ひでじビール」はただ単にビールを造るメーカーではない。その社是は「柔軟な発想力と高い品質の追及で、グローカルな食の文化を創出し、地域の繁栄とお客様の笑顔の為に、心をもって邁進する」というもの。

ただビールを醸すだけではない。
「地域」「ローカル」の価値と向き合い真剣に取り組んできたからこそ出てくる言葉。

自分の仕事に対してプライドがあるからこそ、日々の作業を愚直に続け、納得のいく『モノ作り』を目指す。ここで終わりじゃない、まだまだ満足していない。飽くなき挑戦は、観る者/口にする者すべてを魅了する。

だからこそ期待する。
次はどのようなコトが起きるのだろう?

共に宮崎から世界へ!

さらなる挑戦を、見逃すな!

「日本が世界に誇る偉業と地域の誇りを、クラフトビールを通じて伝えたい」
宮崎ひでじビール×生賴範義(OHRAI)
時代を超えた奇跡のコラボレーションがここに実現しました!

プロジェクト紹介

今回、全国へ向けて皆様にお届けするのは、 OHRAIラガー!

こだわりの九州産麦芽九州産大麦を主原料とした南国の香り漂うホップが爽快なオリジナルラガービール(九州産ホップも一部使用)をあなたに!

ラガーだが、ピルスナーではない。

オリジナルのホッピーラガー九州産生大麦の澄んだ味わいを活かし、ドリンカビリティとホップの個性を際立たせたニュースタイル!

★アルコール度数 5%
 ★容 量 330ml
  ★区分 ビール
   ★スタイル ラガー
    ★保管 冷蔵
     ★飲み頃推奨温度 5℃前後
ワールドビアアワード2023 Hoppy Pilsner部門 金賞受賞した味をベースに造りだしたOHRAIラガー!

ラベルには生賴範義が手掛けた『オカルティックビューティー』エキゾチックな美女とピラミッド・スフィンクス・モアイ像。さらには未確認飛行物体が飛ぶ神秘的な一作。

感性を豊かにさせるコラボレーションを、ぜひお試しください。

★リターン商品

リターンは『引換券(ステッカー)の発行』によって通信販売酒類小売業免許を有する宮崎ひでじビール株式会社と連携して直送致します。

(通知書文書番号:延岡法第434号)
「※20歳未満の者による飲酒は法令で禁止されています。20歳未満の方はこのリターンを選択できません。」


★コラボレーションストーリー

「ビール造りに終わり無し。」

ワールドビアカップで金賞を受賞した『栗黒(クリクロ)』を造りあげた『ひでじビール』は、こう語った。

「宮崎から全国へ!そして世界へ!クラフトビールの魅力と共に地域の魅力を伝えたい」

宮崎県の北部、祖母傾(そぼかたむき)国定公園 行縢山(むかばき山)の麓に位置し、自然豊かな環境で、上質な天然水とフレッシュな自家培養酵母を使用した商品造りを行っている『宮崎ひでじビール』

『スターウォーズ 帝国の逆襲』のポスターなど、大作を描き続けた『生賴範義』は、こう語った。

「終わったら忘れる」

「以前に描いたものに似ていると言われたら失格ですからね」宮崎ひでじビール・生賴範義、共通するのは『職人魂』

自らの仕事に誇りをもち、しっかり向き合い、誠実に遂行する。

ある日、実行者の私が生賴範義のアトリエに入った時に『日本沈没2006』のポスターに向けた制作中のイラストを前にして生賴範義が発した言葉『これは描き直しだ』完璧に描かれているように見えるイラスト...『タワーの倒れ方が気に入らない』

笑いながら放った生賴範義のその言葉を聞いた時の衝撃は今でも忘れられません。

ビールを愛し、宮崎を愛する『宮崎ひでじビール』自らを酵母のお世話係と笑うスタッフマジネーションを膨らませ、どのようなビールを造るか日夜ビール造りに挑んでいるスタッフ、そしてお客様のもとへ届ける為に今日も出荷するスタッフ

最後まで手を抜かない姿勢に共感して『OHRAI☆LAGER』が誕生しました。


仕事の流儀

創業者「西田 英次(にしだ ひでじ)」の名前を受け継いだ「ひでじビール」が宮崎の地で生み出されたのは、規制緩和により地ビールが解禁されて、歓喜に沸いた1996年。

親会社は石油事業を営んでいたが、宮崎県延岡市の行縢山(むかばきやま)の麓を切り開き、醸造所とレストランを開業させた。これが、のちに世界から賞賛されるビールを作り出す、ビール事業部のはじまりであった。

地ビールブームはグラスに注いだ瞬間の泡のように、全国に膨れ上がっていった。しかし地ビールの歴史が浅い日本では情報も少なく、また熟練のビール職人も数少なかった。

程なくして、地ビールブームは泡のようにだんだんとしぼみ、多くの会社が撤退を余儀なくされた。

ひでじビールも例外ではなかった。
どんなに県内外に営業やイベントをかけても、経営回復の兆しが見えない。続く赤字に事業撤退という重い言葉が脳裏をよぎる。

そんな中、路線拡大のために東京の数少ない専門店で営業をしていると、お店に訪れてたお客様に面と向かってこう言われた。

「ひでじビールは
  飲む前から悪い状態だよね~・・・」

お客様からの率直な評価が胸に刺さった。

当時社長であった西田英敏氏は資金を投入し、さらに指導者に藤木氏をお招きし、ビール造りの基礎から見直すことを決意する。

見直すにあたり、ビール造りに必要な酵母に着目し、スタッフ自ら激務の中、環境改善のために工場を解体した。配管の細部まで磨き上げて、酵母が十分に発酵できるように環境を整え直したのだ。さらには、酵母を自家培養する技術も習得した。 

ビール造りに真剣に、愚直に向き合う日々の再スタート新しい目標も立てた。

目指すは、ビールで最も醸造の難しい『ピルスナースタイル』で日本一を獲ること。

(ピルスナーとは、世界中で最も普及しているビールで、日本で流通しているビールの約99%がピルスナーに分類されている)

ひでじビールは、ビールの品質安定のもっと先の未来を見ていた。

そこから、試行錯誤の日々が続いた。絶対に成功させるという強い意志が突き動かした。

そして2009年、日本最大のビアコンテストで、ひでじビールの『太陽のラガー』が金賞を受賞し、念願の日本一を獲ることができたのだ。

しかし、肝心の業績が伸び悩み、ある日突然、親会社の経営方針で事業部廃止が決定された。

念願の日本一を獲ることができたのに、クラフトビールの世界から去らなければならないという未曾有の危機に、ビール事業部統括であった永野氏は決断した。

「自分たちだけでビール事業をやる!」

従業員がビール事業を買い取り、ビール造りを続けることを決意したのだ。買収には多額の資金が必要だったが、これまで取り組んできた地域貢献と地元応援活動は、知らず知らずのうちに影ながら評価されていた。地元の有力者が銀行に声をかけ、奇跡的に融資が行われることになった。

そして、2010年7月
永野氏を代表に新たな『宮崎ひでじビール株式会社』が誕生した。

宮崎の地に根を張り、眩い太陽の元、育ったこの会社は、時には自然の脅威に脅かされることも多かっただろう。しかしそれでも常に上を見続けて、向上していくその姿に、これからの宮崎ひでじビールの挑戦に、今後も目が離せない。


宮崎の地に足を踏み入れたのは、デビューから10年経った1973年であった。東京にいては編集者や作家などとの人づきあいに時間を割いてしまい、制作時間を確保できないと判断したからである。それから、宮崎市郊外の農家を改装して住居とし、そこの一角にアトリエを構え、以来、病で休筆するまでの約38年もの間、制作に明け暮れた。

2018年には、代表作248点が展示された東京都内初の大規模展覧会を上野の森美術館で開催。来場者は1か月で30,000人を超えた。そのクオリティや作品数から仕事量の膨大さに息を呑んだ。

今なお、私たちの目を釘付けにする生賴範義氏は、どのような人物であったのだろうか?

1980年徳間書店から出版された『生賴範義イラストレーション』では、仕事の流儀についてこう語っている。

「絵を描くことは肉体労働に他ならぬと考える日銭生活者の私は、仕事を選べるほど優雅ではない。寄せられる仕事は可能な限り引き受け、依頼者の示す条件を満たすべき作品に仕上げようと努力する。私に描けるか否かは、発注の時点で検討済みであろうし、その期待を裏切るわけにはいかない。主題が何であれ、描けないと云うことは出来ない。生活者の五分の魂にかけて、いかなる主題といえども描き上げねばならない」作品一つ一つに対し、自分の持てる力全てを注いで全身全霊で描きあげた作品だからこそ、私たちの目を釘付けにしてきたわけだと納得する。

それにしても、生賴範義氏は様々なものを描きあげてきた。美女や侍は勿論のこと、軍艦、果ては宇宙まで。写真、百科事典など多くの資料を可能な限り集めた。全ては作品のために。

様々な空想や創造の世界が広がる世界で、しかし、生賴範義氏はあくまで写実的な世界を見続けた。

「形象そのものの改変、異なる世界の構築などという深遠なる大事業は、自由にして真正なる者の作業領分であって、生活者としては資格欠如の逸脱行為であり、依頼者との即刻訣別を意味する」

依頼された作品に対し、誠実に忠実にあろうとした生賴範義氏だからこそ、私たちを虚像の世界へと誘ってくれるのかもしれない。そしてこれからも、私たちは生賴範義氏の作品に魅了され続けていくのだ。



リターン履行は9月となっておりますが、8月以内の発送を目指して少しでも早くお手元に届けるよう努力いたします。


資金の使い道について

・商品の製造代金
・梱包+箱代(段ボールも含む)
・生賴範義イラストレーションの保存費用
(公益社団法人 生頼範義記念みやざき文化推進協会)
・OHRAI 企画活動費

今後もこのようなコラボレーション企画を進めていく為の活動費として使わせていただけますと幸いです。


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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