◆能登半島地震で被災◆

令和6年元旦に発生した、能登半島全体により甚大な被害を受けました。(M7.9)
能登では、停電・断水・地割れや土砂崩れ、津波が発生して、多くの建物が倒壊し、インフラが破壊されました。
家は倒壊し、避難しようにも道路は崩落して進めず、深刻な状態でした。

地面が最大で4m隆起した結果、石川県の面積が約4平方キロメートル増えました。
都道府県の総面積が35位だったのに、福井県を抜いて34位になったのです。
友人の家の前に広がっていた美しい海は隆起して、海岸線が240mも後退したために見えなくなってしまいました。

自宅や事業所も被災し、穴水町にある父の家は倒壊しました。

能登のお茶屋さん祥玉園田尻虎蔵商店の工場も、このようになりました。


◆解決したい社会課題◆

1. 被災した私達事業者の提供する商品(行き場を失った物)を返礼品として役立てて再建支援に当てたい

 能登の事業者は、被害が大き過ぎて再建不可能なために廃業を余儀なくされている事業者が増え続けています。
 被災を逃れた在庫を活用して、自らの事業を再建したい。


2. 失望する被災者を勇気づけたい

 災害関連死が増えるのを阻止したい!!

 ※「災害関連死」とは、地震の揺れや津波などによる直接的な被害で亡くなるのではなく、その後の避難生活などで病気が  
        悪化したり、体調を崩したりして命が失われるケースをいいます。(内閣府)

 熊本地震では、50人が災害で直接亡くなられ、その4倍を越える218人の災害関連死が出ました。
 その8割が70歳以上の方々でした。

 東日本大震災では3794人の災害関連死が発生して、その9割が70歳以上でした。
  
 能登半島の高齢化率は50%です。(2/5Yahooニュースより)
 18,000人以上の被災者が2次避難を余儀なくされています。
 過去の災害では、3ヶ月以内の災害関連死が80%を越えています
 能登の今後が、大変心配される数値です。

 私が訪れた避難所の体育館では、所狭しと敷き詰められた毛布に包まっている後期高齢者のお年寄りがたくさんいました。
 私と同じ避難所にいた90代のお爺さんは、零下の外で、ドラム缶の焚き火に当たりながら、
 「わしゃ、今からあの潰れた家を一人で片付けんなんかと思うと死にたくなる...。」
 と、呟きました。
 私を含め、それに応えられる人は誰もいませんでした。
 
 被災から1ヶ月を過ぎ、被災者の中には、能登へ帰れる希望が無くなりつつある方もいます。
 能登は、過疎地域が多く、インフラが破壊され、地形が変わってしまっています。
 避難所では希望を失い、会話も少なくなっている場所もあります。
 災害関連死は病死だけではありません。
  
 現在、能登半島地震では241人が亡くなり、災害関連死が15名、安否不明が11名です。
 今、被災地では、災害関連死を防ぎたいとの思いが高まっています。

  


◆プロジェクトで実現したいこと◆

1. 返礼品を提供する被災事業者の再建

2. 希望を失いつつある被災者を励ます活動の継続

 共感してくれる方々と被災者へ勇気と希望を届ける活動を続けたい。
 ・出前授業をしたり、子ども達が書いた励ましのメッセージを避難所などに届けたりする。
 ・子ども達と一緒に励ましの歌のビデオメッセージを撮影して被災者の方々に届ける。
 ・被災した方々へ勇気と希望を届ける慰問演奏などの活動につなげる。

※1月以来、支援を実施してきましたが、資金的に限界に来ています。



◆リターンについて◆

 1.【田尻虎蔵商店】被災


 戦後、まだ何も茶葉を加工する器具もなかった頃から、先々代は昔の知恵を
活かして、家庭用の両手鍋で丁寧に茶葉に火入れをし、お客様に提供していま
した。ここが自社焙煎のほうじ茶の始まりと言われています。そして月日は流
れ、今では和倉温泉・輪島・奥能登を中心に、約130店舗の旅館や飲食店、
役場などで愛飲されています❗️

(泊 : 美味しいお茶の味を知りたい方におすすめです!)

2.【オールブレイブス】被災

 コロナ禍の中で「みんなが勇者」を標榜して起業し、自他共に栄えることを目指す
しています。スリランカで買い付けした美味しい紅茶と、全世界で話題のスーパーフ
ード「菊芋」の最高級品を原料とする商品
を提供します。(今回、特別に 原料製造
元様からの無償提供支援により実現しました)


⭐️完全無農薬・有機肥料栽培の天然菊芋❗️(なんと280種全ての農薬検出ゼロ❗)
⭐️イヌリンの含有量は驚異の90%以上❗️(ロット毎に検査をしています)

 厳しい生産管理で生まれた最高品質の菊芋を原料とする商品です。

3. 【紀州甘辛屋】支援

 自慢の和歌山生姜を使った商品を提供する和歌山県の事業者です。クラファンの
主旨に賛同してくれ、返礼品を提供してくれました。紀州甘辛屋生姜シロップは、
全国推奨土産品審査会において特別審査優秀賞を受賞
いたしました❗️
今回は、貴重なシロップとバウダーを提供してくれます❗️


4. 【Lago】支援

 島根県松江市にある宍戸湖沿いのヤギと本格ジェラートのお店です。木次乳業の
パスチャライズミルクとのブレンドにより、単純なミルクにはない味わいを実現し
ました。
今回は、大人気の「やぎミルクジェラート」8個セットを返礼品として提
供していただきました。地元で評判の特製ジェラートをどうぞご賞味ください❗️


5. 【スーパー生姜を作る農家】支援

 完全無農薬・無化学肥料栽培の生姜を作る農家さん。肥料も自分の手で
熟成して作るこだわり
の生姜は、有機栽培を凌ぐ安全性とおいしさに繋がっ
ています。今回、貴重な生姜を、数量限定で提供してくれます❗️

 
◆スケジュール

1月    企画・立ち上げ準備
3月    クラウドファンディングの開始
4月30日 クラウドファンディング終了
5〜6月  御礼メール・返礼品の発送
                ※発送は順になるべく早くを心がけますが、人手不足等により遅くなる場合もあります。ご了承ください。
◆目標金額◆

一次目標 : 500万円 事業再建を助け、被災者へ励ましと応援ができます。
二次目標 : 1000万円 事業を再建し、災害関連死を防ぐ活動を強力に進めることができます。


◆資金の使い道◆

 本プロジェクトでご支援いただいた資金は返礼品を提供してくれた被災事業者の再建と被災地へ勇気と希望を届ける活動に使わせていただきます。
 被災事業者の返礼品へ支援された資金は被災事業者の再建に、支援事業者の返礼品へ支援された資金は能登へ勇気と希望を届ける支援活動に使われます。

(能登へ勇気と希望を贈る活動)
 金沢市内の小中学校をはじめ、全国の協力者を通じて被災者を励ますお手紙や動画を送る活動を泊がしています。
 (支援者から預かった水や携帯食品などの物品を持っていくこともあります。)
 いただいたお手紙や動画を避難所や能登の学校に届けに行きます。
 希望があれば出前授業でお話しもさせていただきます。
 すでに、市内の学校や県外からも協力の申し出をいただいています。
 まずは1年間はこの活動を続けていく予定です。
 被災地や避難所や学校などへ行くガソリン代や交通費などに使用します。今だに余震もあり、事業再建をしながら支援活動や発送の準備をしていきますので、今は再建に関わる見積もりなどを取ることができませんが、状況やニーズに合わせて動きつつさ、前進があればご報告して参ります。


◆最後に◆

 被災した元旦の晩は、お年寄りが苦悩しつつも気丈に立ち上がろうとする姿を見ながら、避難所で一夜を過ごしました。
 バキバキに割れたアスファルトでパンクする車がある中、恐る恐る避難できる道を探しての避難旅でした。毛布も食料も燃料も十分でない中、零下の外でドラム缶の焚き火にあたらせてもらいながら、お年寄りの言葉に耳を傾けて一夜を過ごしました。

《災害関連の不幸を食い止める支援は人任せではできません》

 被災直後、真っ先に浮かんだのは、阪神大震災のことでした。
 焼け野原になった東灘区に住んでいた友人の学校に向けて、子ども達の歌声のビデオメッセージ届けた記憶でした。

 阪神大震災当時、送った励ましのビデオについて、現地の公共機関の方から、

「地震で家族を失ったショックで話せなくなっていた子が VTRを見た後に号泣して、話せるようになった。みんなが勇気と希望と元気がもらえた。他校にも送ってほしい !」

と、言われました。

 だから、今回も、能登半島地震の被災したみなさんを励ますことが、すぐにでも必要だと信じています。


《被災直後から塗炭の苦しみを抱える人はいることを知ってください》

 次に浮かんだのは、南三陸町で綿のように疲れ果てるまで参加させていただいた東日本大震災の復興作業の記憶でした。

 平日にも関わらず、黙々とジャージ姿で瓦礫をどかす女子中学生の姿を見て、きっと御家族を探しているに違いないと、私も号泣しながら瓦礫の撤去や土嚢造りをさせていただきました。

 夜は、被災者の方々から被災の怖さと悲惨さと自身が抱えている悲しみと苦しみについて、何時間もお話をお聞きしました。

 辛い方々を支えようとする人達に対して、心無い言葉や態度をとらないであげてください。


 今回は、自分も、家族も、被災しました。

 幸い命は、みんな無事でした。(一週間後に叔父の無事が確認されました)

 気がついたら、

「被災した人達が、勇気と希望が湧くように歌とメッセージを一緒に送ってくれないだろうか。」

と、周囲の知人に声をかけていました。

 被災後、十歳は老けてしまったように見える私に、友人は、

「ぜひ協力したい!」
「支援物資を送るよ!」

と、次々に申し出てくれました。

いただいた物資は感謝して、直接、自分の手で能登の六カ所へ届けに行きました。
県職員の先輩は、励ましのメッセージを届けるのを手伝ってくれました。


反対に、

「まだ早いんじゃないの?」
「行政に任せておけばいいんだよ。」
「あんた誰よ?! 見知らぬ、お前に協力なんかできるわけがないだろ。」

と、否定されたり、馬鹿にされたり、邪険にされたりしたことがあったのも事実です。


『被災した事業者がまた廃業』(日々のメディア報道より)
『能登に帰れない未来が見えてきて、避難生活をする人々の会話がなくなってきた』(避難所でお世話をする方より)

 そんなニュースや声を聞くと、心がかきむしられるような思いで一杯です。


 心無い言葉や反応を浴びせかけて、優しい思いやりの心の子どもや大人を傷つけることはあってはなりません。
 私は、リンクの動画のように、被災者に寄り添って行動したいという子どもの側に立てる大人であり続けたいです。

 ⭐️会ったこともない人達が、県外から支援物資を送り、復興のために被災地を毎日訪れてくれています。

 ⭐️遠いインド洋の島国スリランカの学生たちは、日本へ来たことすらないのに、
石川のみなさんへ」と励ましのメッセージを送ってくれました。世界中からたくさんの優しさが被災地に届いていることを、私達は忘れてはなりません。


 もとより、私は、誰からの支援がなくても自社の資金や私費などを使って支援活動をしています。
 今回の支援で、事業が止まろうが、弊社が存続できなくなっても構わないと思っています。
 身近な人々の不幸を見ているのに、思いやりの無い言動を浴びせる人間だけには、なりたく無いと思っています。

 私は、どんな時も、被災者と私達に寄り添ってくれる人達と共に生きていきます。
 絶対に能登を消滅させたくない...(18,000人を越える人が能登を離れて避難し戻れるか分からない)
 その思いで、被災事業者さんに声をかけ、支援事業者さんを募り、企画したのが本プロジェクトです。

 
 被災後、連絡ができない事業者様や、クラファンに参加したくても商品を失った事業者さんがたくさんいらっしゃいました。

 国内遠方や海外の事業者さんが、協力を申し出てくださりました。
 心から感謝申し上げ、力の限り動いてまいります。

 人は、希望を失った時に命を終えます。
 私達は、本プロジェクトを通して、命を希望で繋ぎたいと願っています。

 皆様の温かいご支援をいただけますよう、心からお願い申し上げます。(メッセージだけでも有難いです)

                       発起人  泊 和寿


<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


<第二回クラファンと被災地激励の募集について>

本プロジェクトを通して、

①本プロジェクトのように『クラファンをしたい被災事業者』様
②本プロジェクトのように『被災者を支援したい支援事業者』様

③被災した方々へ『励ましのメッセージや、歌などの動画を送りたい個人・団体』様

が、いらっしゃれば御連絡をお待ちしております。
お気軽に、相談だけでも結構です。

①,②,③を希望される方は、以下までメールで御連絡ください。
被災者の一人として、しっかりと寄り添ってお力になります。
tomarikazuhisa@gmail.com (泊まで)

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