はじめに


初めまして、石川県輪島市『高峰クリーニング店』の高峯朗と申します。

2024年元旦。

突如発生した『能登半島地震』は記憶に新しいかと思います。

私の自宅は全壊、そしてクリーニング店も半壊してしまいました。

自宅の写真

幸いなことに、私自身は運よく助かりましたが、頑丈なPCデスクでさえ90度に曲がるほどの激甚災害でした。

このPCデスクで作業をしていれば、私はきっとここにはいません。

この潰れたPCデスクを見て、

「これは私の首だったかもしれない…、助かったのには何かやり残したことがあるからではないか?」

と思ったのです。

そこでクリーニング店とコインランドリーを営む私が支援できるのが、

お店の復旧による地域の皆さまの衣類や毛布等を洗濯し、衛生面を守ることでした。

復旧が必要なクリーニング店

約2ヶ月半経つ今も、ライフラインはストップしており、仮設住宅の建設は間に合っておらずたくさんの方がシェルターに避難しています。

どうか皆さまの温かいご支援をいただき、能登半島エリアの方々を一緒に助けていただきたいです。

近所の様子近所の様子

プロフィール:『高峰クリーニング店』代表・高峯朗


高峰クリーニング店は、コインランドリーと介護施設の洗濯物をクリーニングしているお店です。

創業から100年近く、戦前の昭和初期から輪島市にて洗濯業を営んできました。

輪島市の市街地にあり、ご近所の方、特にご高齢の方にずっと愛され続けてきました。

応急危険判断は危険

また、地域の介護施設さんにも10年近くご利用いただいており、

100年近く何気なくしてきた仕事が高品質だったようで、アイロンをかけていないのに「アイロンまでかけなくていいですよ!」と言われるほどでした。

そんなのどかな地域が、突如壊されました。


令和6年能登半島地震による輪島市への被害


輪島市は震源地から近い地域の一つで、地盤が2mも持ち上がりました。

結果、80%以上が被災家屋で、電気・ガス・水道とすべてのライフラインがストップしました。

そこらじゅうに瓦礫が散らばり、崩壊しそうな建物だらけで近づけず、道路も90度曲がって先が見えない場所さえあります。

なんとか通れそうな高速道路でさえも、側道を走らないといけません。

道路の様子:右側は隆起して車は通れない

現在も下水道が戻らず、上水道から水が流れても、下水へ流せずトイレや洗面、お風呂が使えない状況です。

電気はなんとか復旧しましたが、電柱を2,000本建て替える大規模工事が必要でした。

さらに80%以上の家屋が住めない状況のため、ほとんどの方がシェルターにて昼夜を過ごしています。

仮設住宅も徐々に建設が進みますが、全員分となると約4,000個必要です。

まだまだ復興には時間がかかりそうで、長期的な支援が必要な状況です。

全壊した自宅

私自身も自宅が全壊し、クリーニング屋が損壊しました。

一瞬の出来事でした。

地震当日、元旦でしたので家族団欒、みんなでゆっくり楽しく過ごしていました。

そんな時、震度5強の地震が発生しました。

そのときは危機感も薄く、「お正月から地震か…」という程度でした。

揺れが収まり「よかった」と思いながら、冷蔵庫にあるビールを取り出し椅子へ戻っている最中に第二波が襲いかかりました。

頑丈なPCデスクは90度に折れ曲がり、自宅は倒壊。

幸いなことに私たち家族は助かりましたが、本当に少しの差でした。

奇跡的に、隣の建物が我が家に倒れかかってきたため、自分の上に落ちるはずだった3階は横に流れていき、我が家も横に崩れていきました。

本当に奇跡です。

横に崩れたため、2階の下敷きにならなかったのです。


きっかけは「助かったからこそ、やり残したことがあるのでは?」という想い


この経験を通し、奇跡的に私が助かったのには何か理由があると思いました。

PCデスクに座っていれば、今ごろここにはいなかったのですから。

そこでライフラインがストップし衛生面が特に問題な今、

私の使命はコインランドリーとクリーニング屋を復旧して、地域の皆さんの洗濯物をきれいにすることだと思っています。

被災当初は、シェルターが同じになったご近所の方から、

「高峯さん無事だったの!よかった!」
「洗濯できるの、待っているよ!はよ動かして!」

という温かいお声をたくさんいただき、これが最大の励みになりました。


避難してわかった高齢者の弱さ


健康な人が4時間程度で現れる病変が、ご高齢の方はわずか30分で出てきます。

これには驚きました。

だからこそ今、「きれいと元気」を守りたいんです。

現在は電気が復旧し、生活サービスを提供していることから下水道もいち早く修理いただき、つい数週間前にようやくコインランドリーを動かすことができました。

コインランドリーの中の様子

しかし、クリーニングの方は損害がひどくまったく復旧できていない状況です。

クリーニングの方もなんとか復旧し、地域の方々、特に介護施設の方の洗濯をできるようにしたいです。

クリーニング店の中の様子

地域の方を助けるために私ができること


現在は、地域の皆さんを助けるために私ができることとして、コインランドリーを半額で使用できるように運営しています。

赤字ギリギリで、ボランティアのような状態です。

コインランドリーは昼夜問わず、行列をなして並んでいて、供給が追いついていない状況です。

洗剤も初日で約1/3が使用され、車で4時間かけて洗剤を補充しなければいけません。

コインランドリーてるてる

止めるわけにはいきませんので、私自身が地震によって右と左の車線が40センチもずれた道路を運転しながら4時間、往復7〜8時間かけてなんとか補充しています。

これまで親切にしてきてくださった地域の方々を支援することが、私の使命です。

コインランドリーが再開したときも、地域の皆さんが「行ってきた!行ってきた!」とニコニコ話してくれるんです。

収入がストップして、お金が少なくなっているにも関わらず。

これを見てより一層、私は皆さんのお役に立たなければならないと思っています。

今後は、さらにクリーニング屋も復旧して介護施設さんや地域の方へさらに幅広い洗濯での支援ができればと思っています。

リターンについて


資金の使い道


今回ご支援いただいた全額を、以下の費用に充てます。

・クリーニング店舗の復旧工事
・介護施設利用者の洗濯物を受け入れ、保管し、出荷する機能の回復


戦前から続けてきた洗濯業で地域の皆さんを助けたい。


当店は戦前の昭和初期からおよそ100年、輪島市にて洗濯業を営んできました。

創業当時はクリーニングという言葉さえない時代で、コインランドリーなど影もないご時世でした。

そんな中、戦争が終わりアメリカ軍が日本に基地を置くようになった頃、軍人さんが服を洗濯してくれと言ってきたのです。

しかし、「洗濯機がないからできない」と断りました。

すると、アメリカ軍が「それならあげるよ」と洗濯機をくれたのです。

これが私たち『高峰クリーニング店』の始まりでした。

小さい頃に軍人さんがお店にきてくれていた日常が懐かしいです。

そしてその後は、地域の皆様にもご愛顧いただき、100年近く続く老舗クリーニング屋となりました。

そんな皆様を助けることができ、厳しい中でも「行ってきた!行ってきた!」とニコニコ話してくださる地域の方を支援できる当店を地震で潰したくありません。

今後も地域の皆さまの支援をしていきたいと思っています。

そのために、みなさまの温かいご支援をいただきたく存じます。

何卒よろしくお願い申し上げます。

高峯夫婦

『高峰クリーニング店』代表・高峯朗


支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 設備費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

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