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 【楽曲「地元」について】


この曲は静岡県の三島市をテーマに作りました。

あるイベントで三島市にお邪魔した際に、地元の方々に非常にお世話になり、その時の体験をもとに作りました。

そのイベントは地方創生のイベントで、三島市を盛り上げるにはどうしたらいいのかを考えるイベントでした。


三島市はもともと地元の方ではなく、転勤などで来られている方も多いところや、

自然が豊かで住宅街が多く、便利なところなど自分の地元と重なるところに魅力を感じました。

官民一体となって三島市の活性化に取り組む姿や、よそ者である私たちを暖かく受け入れてくれたことに感動し、

少しでもお返しできればと思って作った曲になります。

 

この曲を通して、都会で暮らしていると忘れかけそうになる感情を伝えられれば嬉しく思います。

 

 

【歌詞】

 なんにもないと思ってた町 それでも数多 転がる価値

 音楽、家族、出会う友達 穏やかな時間が記憶の味

 駅降りてすぐ 学生が大量 商店街の賑わいと愛情

 近所のガキんちょ駄菓子屋集合 水かさます源兵衛川ダイブ


 何気ない景色の中 ふっとみれば動く鉛筆が

 くるしくても現実は すぐくるのさ連日な

 この眺めをあと何度 見れるんだろうな心は感動

 溢れる感情 単なるさんぽですらもう地元の観光

 

 電車を待つホームで ここで過ごしてきたオールウェイズ

 離れてみれば当然じゃない 今の俺にはかなり遠くて

 なんにもないようでなんでもある 自分の全てはここにある

 泣きそうになるそんな時間 この地で育ち生きてきた実感


 川のせせらぎ飛び石に小道祭りのしゃぎり

 うなぎやあじ、しらすにわさび野菜の味に

 楽寿園三島大社ため池富士山の景色

 この町に生きてここにしかないものがあることを知り


 地元を飛び出したくて上京 繰り返す日常 周りの干渉

 変えたかった現状 何かあるはずだった…でも…

 偉そうに見下す高層ビル ぬるい風が通り過ぎる

 新宿は迷路 気が滅入りそう 西へ東へ出口へと迷走

 

 自分なりにした努力 誰かに届くこともなく孤独

 いつしか薄れる新鮮味 繋がりにかんじない人間味

 電話で母の声をきき 涙落ちたときもう無理だとわかった

 商店街のおっちゃんに言われた いくつになっても一年生

 

 穏やかで優しい毎日 近所の人と話す帰り道

 夕焼けに染まる栄光さ 金なんかないけど成功者

 他じゃ感じない三島の風景 改札抜ければそれはわかる

 月日が経てば町はかわる だが地元の良さは住めばわかる


 川のせせらぎ飛び石に小道祭りのしゃぎり

 うなぎやあじ、しらすにわさび野菜の味に

 楽寿園三島大社ため池富士山の景色

 この町に生きてここにしかないものがあることを知り

 

【資金の使い道】

撮影地への移動費

制作における人件費

撮影にご協力いただく場所へのお礼金

 

【私の地元】

私は1990年3月に横須賀の衣笠病院で生まれました。とても大きな赤ちゃんだったそうです。

病院の食事だけでは足りず、おやつをもらって食べていたくらい、よく食べる子だったと母親からききました。

横須賀の病院で生まれてから、横浜のアパートで幼稚園の途中まで暮らしていました。

 

そこから千葉の大網白里町に移ってきて、両親は一軒家を購入します。

幼稚園の途中で千葉県の大網白里町に引っ越してきたのですが、引っ越してきたばかりの日の事を覚えています。

私が疲れてねてしまったので、両親は私を家に寝かせておいて、買い物に出かけました。

 

しばらくして私は起きたのですが、私が起きたとき両親がいなかったので、とても焦り、泣いてしまいました。

そのまま家を飛び出して道路で泣き叫んでいたところ、向かいの家のお母さんが心配して家から出てきてくれて「おこた入る?」と言ってくれたことを覚えています。

向かいの家のお母さんと話しているときにちょうど両親がかえってきてくれました。

その時はすごく不安な気持ちになったことを覚えています。

 

小学校2年生の後半から、親の転勤が決まり、熊本に住むことになりました。

小学校2年生の後半~小学校4年生の後半まで熊本で過ごしました。

熊本の水前寺というところで、大きな商店街のある、それなりに大きな都市でした。

あまりきれいではない社宅で過ごした熊本での生活は、自分にとっていい思い出ではありません。

 

なんとなく感じていたことではありますが、母親も熊本を早く離れたかったのではないかと思います。

熊本のラーメンにも飽きたという愚痴や、熊本弁はわからないという愚痴もよくこぼしていました。

父親は長野の出身で、母親は横浜の出身です。

西日本の人間との雰囲気の違いもあったでしょうし、母親には横浜育ちのプライドがあることを子どもながらに感じていました。

そういったことがストレスになっていたと思います。

そして、何より千葉にわざわざ一軒家を買ったので、そこに住みたかったのだと思います。

「社宅は汚い」とよく漏らしていましたのも、そういう気持ちがあったからではないかと思います。

 

小学校4年生の後半から千葉県の大網白里町に戻ることになりますが、大学を卒業するまで過ごしたこの地が私にとっては地元になるのだと思います。

田舎で、何にもないと思っていた町です。

中学生のデートスポットといえば、ジャスコか公園くらいしかないような町です。

それでも地元というのは、離れてみればなんだか懐かしいような、あったかいような気がするものだと今では思います。

 

【怠惰 - プロフィール】

ラッパー。ビートボクサー。塾講師。女の子の目をみて普通に喋ることを目標として日々を営む。12回目の思春期に突入し、いい加減このままじゃまずいと思っている。森田童子をこよなく愛する爽やかな青年。 

 

アルバム「さがしもの」デジタル配信中 (2018.3.21 - リリース)

 

 

 

 

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