みなさん、こんにちは!濵ノ上文哉(はまのうえ ふみや)です。友人からは、濱(はま)から転じて「ビーチ」と呼ばれています。

僕は網膜色素変性症という進行性の目の難病がある視覚障害者です。パラクライミングの日本代表として活動しています。

クライミングを始めたのは2016年のこと。2年の競技生活を経た今年、パラクライミング日本選手権で幸運なことに第4位となり、オーストリアで9月に開催される世界選手権への出場権を得ることができました。この度は、世界選手権への初参戦、そして優勝を目指して、ご支援をお願いすることにしました!

2020年東京で開催予定の世界大会にスポーツクライミングは加わりましたが、残念ながらパラクライミングは種目として選ばれていません。メジャーな国際大会の種目に選ばれている競技には、国や企業等の各種団体からの助成も期待できるのですが、パラクライミングは未だマイナー競技である為、そうした支援が期待できません。

その一方で、世界選手権出場のためには、一人30万円以上の選手及びナビゲーターの渡航費、月々10万円近い練習費用など、多くのコストがかかっています。

現状では、それらを選手一人一人が自己負担しており、日常のトレーニングに加え、資金の工面のために多くの労力を費やしている状況です。

僕は、一人のパラアスリートとして今回のクラウドファンディングを通じて一人でも多くの人たちに、こうした状況を知っていただきたいと思い、このプロジェクトを始めました。

僕は京都生まれの28歳で、今は東京で一人暮らしをしながら、総合商社のグループ会社で働いています。

13歳の時に、目の難病の一つである網膜色素変性症の診断を受け、病状進行の末、2008年に障害者手帳を取得しました。

診断を受けた頃は、日常生活の面でも大きな支障がなかったので、病名を告げられてもピンと来ないというのが率直な感想でした。

特定疾患や難病と言われても、13歳当時の僕はその言葉の意味することが具体的には把握できていなかったですし、幼少のころから強い近眼で、度の強い眼鏡をかけており、「コナン君」と呼ばれていたので、目が悪いというのは自身のキャラの一部みたいに捉えていたので特に大きなショックはありませんでした。

どちらかというと、その後の病状の進行に伴ういろいろな生活面での変化を通じて、自身が周囲とは少し異なる状況にあることを学んでいったように思います。

診断を受けた中学1年の当時、ソフトテニス部に所属していましたが、白い校舎とボールの色の見分けがつかず見失うことが増えました。

さほど厳しい部活でも無かったことと、運動面では器用なところもあったので、ごまかしながら練習には参加できていたのですが、試合前となると僕を避けてペアが決まっていくなどしんどい瞬間が増え、2年生の途中で部活を辞めました。

その他に、夜に自転車を運転していて溝に落ちたり、テストの文章題が時間内に読み切れなかったりと、自身の不注意なのか、病気のせいなのかはっきりしない失敗が増えていきました。

その後、大きな転換期として、大学受験がありました。
中学から高校へはエスカレータ式での進学だったので、影響を感じていなかったのですが、大学への進学に差し迫った時に、テストの問題を解ききることができず切実な問題になったのです。

各大学に時間延長等の措置を相談したところ、いずれもセンター試験の措置に準ずるという回答でした。そこで、センター試験の事務局に問い合わせたら、今の状態では措置は出来ないという回答があり、途方に暮れ、病院に相談したところ、障害者手帳の交付が認められるということがわかりました。

そんな事情もあり、障害者になることは気持ちの面では"一安心"という感じでした。これまで、漠然としか自身の状況が理解できず、失態の数々にも笑ってごまかすくらいしかなかったわけですが、それらが「障害」という一言で説明できる解放感は非常に大きかったです。

網膜色素変性症は、4,000人から8,000人に一人の頻度で発病すると言われ、現在、根本的な治療法が存在しません。

僕の場合、視覚障害視野の中心付近から欠損があるので、文字を読んだり、人の顔を判別するのが難しいときがあります。明暗の程度によって見え方は異なるので、例えば昼間なら歩いている人の姿はおおよそわかりますし、道や建物の境界線もなんとなく把握することが出来ますので、歩くことに支障はありません。

不慣れな環境では、一つ一つのことに時間はかかりますが、大抵のことは繰り返し経験すれば視覚に頼らずともマスターできますし、どうしてもという時は周りの人に声を掛けてサポートを仰ぐようにしてサバイブしています。

クライミングとの出会い

幼少のころから体を動かすことは割と好きだったと思いますが、特別に運動神経が良かったというわけではありませんでした。東京に来てから、ブラインドボウリングやブラインドテニス、ランニング等の競技は少しずつかじっていたところ、NPO法人モンキーマジックのクライミングのイベントに誘われることに。

モンキーマジックは、「見えない壁だって、越えられる。」をコンセプトに、フリークライミングを通じて、視覚障害者をはじめとする人々の可能性を大きく広げることを目的とし活動しているNPO。代表の小林幸一郎さんは、2016年開催のパラクライミング世界選手権などでB1クラスで優勝経験者で、今回、オーストリアでは3連覇に挑戦します。

僕が感じたクライミングの魅力は、モンキーマジックのイベントの雰囲気や、クライミングそのものに「健常者」「障害者」という隔たりがなかったことと、マイペースにやっていけそうなところ。また、モンキーマジック代表であり、僕と同じ網膜色素変性症がある代表の小林幸一郎さんが、世界で活躍する姿を目の当たりにして大きく影響を受けました。

続けるうちに、クライミングを通して出会った多くの人たちそれぞれが、誠実に努力しながら自立的に生きている姿に刺激を受け、いつからか自分自身もそのように生きていきたい、自分も何か一つ極めるものが欲しいと思い始め、クライミングジムへ週に何度も通うようになっていきました。今年、1月に開催されたパラクライミング日本選手権大会2018に参加し、第4位として表彰されました。

(パラクライミング日本選手権大会2018にて)

パラクライミングについて

パラクライミングには、視覚障害・切断・神経障害の3つの部門があり、さらにその中で障害の程度に応じクラス分けがあります。クラス分けは光覚や視力によってB1・B2・B3クラスに分けられ、B1クラスが視覚障害カテゴリーのなかで最も障害の程度が重いクラス、僕が挑戦するのはB2クラスです。

視覚障害部門のクライマーは、自身の目の代わりとなるナビゲーターと協力しながら競技に挑みます。ナビゲーターは、ホールド(石)の位置や形を声で伝え、クライマーはその情報を頼りに登ります。一般的なクライミングが個人競技であるのに対し、視覚障害者のクライミングはナビゲーターとのコンビネーションを要するチーム競技と言えます。 

ナビゲーターを担当してくれる山口大樹さんからのメッセージ

「僕は本業のエンジニアとして働く傍ら、NPOモンキーマジックのスタッフとしてボランティア活動をしています。ビーチに初めて会ったときの印象は『とにかく明るい関西人!』でした。徐々に見えなくなる不安を抱えているはずなのに、それを表には出さず、色々なことにチャレンジしていくビーチの周りには自然と笑顔の人たちが集まります。

ブラインドクライミング競技において、実際に登るのはもちろんクライマーなのですが、一発本番の大会でクライマーが自分の力を100%引き出すことができるかどうかはナビゲーターにかかっています。

世界選手権のナビゲーターをお願いされたときは正直迷う気持ちがありました。しかし、ビーチの『生きづらさを抱えた人たちに少しでもポジティブな影響を与えたい。それ以上に自分に何ができるか試してみたい』という情熱ある意気込みは、まさにモンキーマジックが実現しようとしている『人々の可能性を広げる』社会であり、そこに自分も協力したいと思い引き受けることにしました。
二人の目標は『参加する限り優勝!』です。これからの活躍にぜひご期待ください!」

(パラクライミングでは、地上から声でホールドの位置や形を伝えてもらいます。)

 

最後に

僕は今大会で初参戦、初優勝を目指しています。

今回の挑戦を応援してくれている人がたくさんいて、見返りも求めず協力してくれている人がたくさんいるんだ、ということを実感するにつれ、これまで自分を制限していた思い込みや惰性がほどけていく感じがありました。

クライミングを通じて出会った多くの人たち、また、クライミングにに出会うまでの人生における様々な場面で背中を押し、支えてくれた家族や友人など、全ての人に感謝の意を以って報いたいと考えています。

自分なりに考えた最も誠実な方法は、アスリートとして「勝利」という唯一無二の結果を出し、自身の成長を示すこと。また、その結果を通じて、僕と同じように障害や難病、様々なコンプレックスを原因として生きづらさを感じている多くの人たちに少なからずポジティブなエネルギーを与えられればと考えています。

どうか皆さんのお力添えをお願いします。

 

資金の使い道

選手及びナビゲーターの現地までの渡航費用や滞在費 約70万円

トレーニングに関わるコーチ料及びジム使用料 約10万円

大会参加費 約3万円

その他、本件クラウドファンディングに係る諸費用

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