2017/07/20 20:23

こんにちは、NPO法人ダイバーシティ工房代表の不破です。

今回のプロジェクト、最後の活動報告は「2児の母であり、NPO代表である私にとっても家出先が必要な理由」です。

 

 

最初に少しだけ、私がNPOを立ち上げるまでのお話をしたいと思います。

私は大学1年生だった19歳の夏、大学をやめました。入りたいサークルも部活もなく、打ち込める勉強もない。親から大金を払って、往復3時間かけてまで行く価値がある場所だとは思えなかったから。

 

 

それから半年、生まれ育った市川市で深夜まで営業している居酒屋でアルバイトをし、そこで出会った人と付き合いながら、友達と朝まで飲んだり、カラオケに行ったりと、楽しくも、何だか物足りなさを感じる生活を送っていました。

 

アルバイトをしていたその居酒屋は、オーナーが亡くなったばっかりで実質店の管理をする人が居ないため、スタッフが店のお金を盗んだり、店のお酒や食材を家に持ち帰ったりする人という事が起き始めました。

当時付き合っていた人も平気で同じことをしていたし、それに対して私自身も特に何も思わない様な日々を送っていました。

 

 

それから1年、気づいた時には大学時代の友人達とも高校時代の友人達ともあまり話が合わず、疎遠になっていました。

このままじゃいけない、ここに居たら自分は駄目になる。

「自分で今の生活を変えないと、誰も変えてくれないんだ。」

そう思った私は、小学校の頃からずっと行きたかったオーストラリアへ、日本語教師に資格を取って働きに行こう!と思い、日本語教師の資格を取る学校を探し、英語の学校に通い、アルバイトを変え、付き合っていた彼氏とも別れ、生活を変えました。

 

 

こうして文字にしてみると、簡単に生活を変えられようですがその背景には、後押しをしてくれた人が何人も居ました。

 

英語の学校は昼間の時間だったので、主婦の人や企業の役員、個人事業主など大学時代には出会わなかった人達と出会い、授業の後にはいつもみんなでご飯を食べに行きました。

そこで私が大学をやめた理由を話すとある会社の役員の人が「自分で考えて判断して、行動した。おかしいと違和感を持ったことに対して行動したのは私から見たらとても誇らしい事だよ」と言われた事は今もよく覚えています。

 

日本語教師の学校で出会ったクラスメイト達はバックパッカーとして世界を放浪していたり、外国人の彼氏がいたり、今の漠然とした仕事から、海外で働けるようになりたい、と言っていたり。その時に私には「この人達は誰の評価も気にせず、みんな自由に生きていて、何て素敵なんだろう」と思いました。

 

 

こんな経験を重ねてきた今改めて思うのは、どんな人にも学校や家庭といった狭い範囲の価値観ではなく、自分の違和感や直感を信じ、それを後押ししてもらえる環境に出会える場所が必要だ、と言う事です。

 

私自身は学校や海外に行ける環境があり、家にいたくなかったら泊めてもらえる家もありました。そして、ダイバーシティ工房を始めて、自分がそんな場所をつくる側になりました。

 でも4年前、子どもを出産してから、そんな生活も変わりました。

 

後編に続く(7/21更新予定)