ホームスクールこどり~む代表 たつみくにこ 卒業後、アパレル会社の企画開発室で勤務後、商社に引き抜き。 会社同士のトラブルがあり、そのまま退職。 転職先で社長秘書として働く。 妊娠を機に退職。 小さいころから子どもが大好きで、出産後 チャイルドマインダーの資格を取得し、 24時間の小規模保育ルームを立ち上げ園長として8年間経営しました。 3人の子どもを持つお母さんでもあり、息子2人は発達障がい。娘は不登校。 長男が年中のときに発達障がいが分かり、この子にとってどんな生き方の選択肢があるのか、どんな勉強が必要なのか、子どもの将来を考えたときに不安になりました。 そこで私が子どものために勉強使用を思ったのが、児童発達・放課後等デイサービスで児童指導員として働くことでした。 児童指導員として約2年経験したとき、加古川市内では不登校が600人を超えるを発表されました。 わたしは小学生のときに家庭に居場所がなく、自殺を考えたこともありました。 そして、わたしの心の逃げ場は小学校でした。 そんなわたしが楽しかった小学校をこどもたちは『牢屋』をいいました。 言葉が出ませんでした。 当時は、マスクの強制、黙食、大きな声は出さない、休み時間の短縮・・・ そして、600人を超えると発表されてからたった4か月で不登校が650人を超え、 『わたしの立場で何かできないか』と考えたとき、子どもたちの居場所フリースクールを立ち上げることでした。
「1か月で表情が明るくなりましたね」入学して1か月後、視察に来られた校長先生の言葉です。子どもたちは『話を聞いてもらえる。』『意見を尊重してもらえる。』この2つ...