見ているつもりで、見えていないもの。 写真に映るものを詳らかにすると、自分の自覚していなかった暗い部分が多い事に気付きます。 認識の解像度を上げ、撮ったものの意味に気づくと反省させられる事があります。 反省の時間が多いと苦しい時間が続くものなので、自分探しのような事はしなくて良いです。 楽しむ事がなによりも大事だと思います。 思うのですが、撮影者が写真を撮るのは、その対象に興味があったからではないでしょうか。 その対象の事が見たくて見たくてしょうがない。 好きで好きでしょうがない。知りたくて知りたくてしょうがない。 目を離さずにはいられない。 心に従って、撮った写真は、もうその真実が写っていると思います。 写真がブレていたのはその時自分が笑っていたから。 それで、何が悪いのでしょう。 心のまま、心に従って、自分の心から見た自分の眼差しの写し身。 撮った写真とは一生付き合う事になるので、10年、20年… 変化しない決定した過去をずっと見つめて物思いに耽るうちに、 ある時、急に降ってきた雨の雫に触れたように新しい知見に至る事があります。 思う時間が長いほど、新しい気付きの喜びは大きく、 自分の知的体験の深さとは、研究・学問の領域である事に気付きます。 体験を通して、知を得る行い。この喜び。学ぶことの楽しさを共有出来ましたら幸いです。 あなたの中にもこのような喜びがあると思います。
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