戦後間もないアメリカ統治下の沖縄の島々が水平線に見える日本最南端の小さな船がたまに通う周囲22kmの産業の無い奄美諸島の最南端の与論島に生まれる。 海は美しく最果てブームもあり多くの若者が訪れた。 最盛期の頃与論島観光協会の事務局長となり当時国内初となる「マリンスポーツアイランド」の実現に尽力。 世界初の島間横断沖縄ヨロンWSFレースに携わる。 以後 独立しマリンサービスの提供、マリンイベントの企画実施、マリンリゾートやマリン用品の開発に携わる。 船の時代が終わり群島最大の奄美大島に移住。 島初の総合マリンサービスを提供。 「ふるさと財団」の助成でマイクロバブルCO2によるウニ養殖 奄美市の助成事業で海の赤土汚染対策として浮泥、沈殿泥除去実証試験を行う。 近くの小学校の授業でマリンスクールを20年近くボランティアで行っている。 またNPOを立ち上げ当笠利地域の世界的にも興味深い 交易の重要拠点として歴史的価値を観光コースに載せる活動を行っている。 「里海再生」と「道の島古道再生」に奮闘中。
奄美笠利湾、かつての豊かな里海は、主に大雨で流入する赤土の浮泥、沈殿泥でサンゴ礁や海藻、魚が激減。湾奥に波が寄せる冬に湾内の透明度を取り戻す活動を開始します。第...