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  • 在住国:日本
  • 現在地:神奈川県
  • 出身国:日本
  • 出身地:神奈川県

新しい180度ビジネスの方向性 志:子供4人を社会人に送り社会貢献へ眼鏡かけてる人に「眼鏡着脱」支援活動 独自性:眼鏡をかけない快適生活を応援 魅力的なエピソ-ド:眼鏡をかけない自分の顔を外に出せる対策 会社を起業家したのは今から35年前の35歳でパソコン関係です。あれから35年経過しました。会社設立時はバブル期でしたので会社基盤を3年程度で作れました。時代もパソコン市場が広がる時期でした。 会社営業は業務プログラム開発とパソコンセットで販売のためセット販売で保守もしました。販売と保守が収益でると会社経営は安定できました。 しかし、流れが変わったのがWindows95で新しいOS開発でプログラム言語が変わったことで新しい乗り換えができなく経営も厳しくなりました。 Windowsの業務に行かないでむしろ過去の方に向かいました。それは日本がパソコンで得意としていたPC98パソコンを使ったFAファクトリ-生産装置の保守に向かうようにしました。Windowsが出たためPC98生産していた日本電気もPC98生産保守も終息して、生産装置をユ-ザが故障して困り、弊社でホ-ムペ-ジを作りPC98ユ-ザ故障を修理しました。20年間はその業務で経営が安定できました。 しかし、設備装置は30年程度使用してるため駆動装置側も劣化してメ-カ-もユーザに新しい装置を提案してきたので修理依頼は徐々に少なくなりました。その最中に世界でコロナ禍感染症が猛威を振るってきて経済構造が3年間止まってしまいました。 コロナ禍あけから製造装置PC98修理していくビジネスを終息させました。会社も閉めて、新しい会社、クラウド合同会社で発足して、今風のIT、AI技術のオリジナル商品、優れた製品を国内海外にネット販売をしていく業務をする方向に向かいました。 30年前からのPC98ユ-ザが月1回程度修理依頼があるので新会社で引き受けて修理しています。 PC98設備プログラムシステムを修理できるのは日本では謙虚に言って私しかできないと思います。年齢的にこの技術は全盛で若い時身につけたノウハウがあるためです。あくまで年齢的な優位性です。若い人にとっては未知の世界です。 時代は変わりPC98システム修理依頼は少なくなり、新会社で新商品づくりに向かいました。特にクラウドファンでイングでオリジナル商品を日本人の多くの皆さんの応援をいただき、誰でも喜ばれ、感謝されるコンテンツ商品を世の中に出していきたいと思っています。 第2の創業です。多くの皆さんの協力をいただきビックビジネスにしていければと思っています。 目標は日本人が眼鏡をかけないで生活ができる支援商品を世の中に出していきたいと思っています。日本人1憶2000万人います。3割の人3500万人の人は眼鏡をかけています。そのうちのとりあえず1000人の人が「見える君」で眼鏡を外す生活できてると言われることを目標に頑張ります。 私も55年眼鏡をかけてきた生活は眼鏡をかけない快適生活ができてます。 今回はVRゴ-ル製品を使い立体写真を見ることで目の癒しができるシステム商品を開発です。弊社の得意は写真、動画素材を3Dファイルに作成します。 この製品を開発することで私が視力改善出来た自信が、自動車免許は裸眼で運転できるようになり、眼鏡をかけない生活ができるようになりました。「見える君」は毎日継続で眼鏡を外した快適生活ができるよになれるツ-ルです。 眼を良くするには眼鏡をつけないで、自分の目で近い所、遠い所を見る生活することです。目のピント筋力が柔軟になることで見えるようになります・ 眼鏡を外した動機 私の視力は0.3ぐらいです。左右とも。昔は良かったです。左右とも。 1.0を下回ることはなく、調子の良いときは1.5台を出すこのCマークの記憶力。 あ、いえ、でもちゃんと見えてましたよ。1.5までは。今から約60年前。小学校6年生のころ、私はマイコン(今のパソコン)と知り合いました。 しかし今思えば、当時父から買ってもらったNECのPC-9801というマイコンに夢中になったが運の尽き。 それからファミコンに心を奪われ、自分が遊ぶゲームは買うかツクル(プログラミング)中学時代、そしてゲームとバイクと柔道に没頭する高校時代を過ごしました。 それなりに青春は謳歌しましたよ。でも私は常にPC(コンピュータ)が側にある人生を生きて来たようで、それは幼少期もしかり。 親から授かった素晴らしい両の目の視力は、10代後半からみるみるうちに低下していきました。今思い出すと高校生の時代からメガネを愛用していましたね。 当時のメガネはべっ甲とガラスで出来た重たいもので、着け心地は今のメガネと比べてお世辞にも良かったとは言えない。ただ、よく見えたのです。 ゲーム機やPCで酷使した目ではありましたが、このメガネを着けることによって、とてもよく見えたのです。 あちこちにある看板、ポスターやカレンダー、校舎や街頭の時計、黒板、そしてみんなの表情・・・ 裸眼であるよりメガネを着けることにより、見えにくかったモノがとてもよく見えて、またその視覚から入手する情報を脳にインプットし続けた今、メガネを着けるという行為は、大人になった自分を形成するための経験やスキルに、多少は寄与してきたんじゃないかなっと自負しています。視覚の情報は本当に大事なんだと、あらためて思うわけですよ。 ところがです。私は最近メガネを外しました。 外すと言ってもこの歳になり、また視力が回復したわけでもなく、「なんだ、どうせコンタクトに変えたんでしょう?」という人もいいます。 つまり裸眼で視力は0.1・・・のままメガネを外すことにしたのです。もちろん安全面や仕事で必要な時には着けますよ。 夜間の高速道路運転やテニスのボールの動体視力など、機能として0.1では事足りないシチュエーションではメガネは臨時に装着しています。 ではなぜ今頃・・・今まで50年愛用してきたメガネを外すことにしたのか? 世の中、見え過ぎることに疲れたのです。なんちゃって。というのは大げさかも知れません。 しかし気がつけば、ある程度視覚に頼らなくても生きていけることに気がついたのです。事の発端は老眼がはじまったから。 遠くを見たけりゃメガネをする。手元を見たけりゃメガネを外す。この頻度が多くなり、もともと面倒くさがりの私にはとても耐えられない諸動作になってしまったのです。遠近両用のメガネやコンタクト?お値段もさることながら、やはり面倒くさい。 ならば答えは簡単シンプルに。「そうだ。メガネをやめればいいんじゃないか?」ということです。 面倒からの解放を手に入れるため、この『メガネを着けない』ことで困ることはなんでしょう? それは、高校時代あれだけ欲していた視覚からの情報が 今までハッキリ見えてきたモノが見えづらくなるのですから。 しかし、メガネを外して気がついたのです。今まで自分では『視覚で判断してきた』と思い込んでいることが多いことを。 例えば朝起きてメガネを着けます。テレビのリモコンを探すために。また新聞を探します。そう新聞を読むために。 でもこれらの諸動作には、よく考えるとメガネは必要ないんです。 私の視力は1.0はあるわけですから、リモコンは机の上にあるのは知っていますし、新聞もリモコンの横にあるのは知っています。 これってよく考えたらメガネで視力の補正をしなくても、簡単にそれらを手にすることができたんですね。 実際新聞を読んだりテレビの視聴についても、私の家のテレビ(47インチ)と私の着座位置からすればメガネは必要ありません。 また新聞はかえってメガネなしの方が見えやすいんですよ。老眼ですから。 にも関わらず、私は今まで約50年間メガネを掛けてリモコンや新聞を探していました。 メガネがないとリモコンや新聞を見つけることが出来ないと思い込んでいたのです。 つまり見なくて良い情報を無理に見て、心地よい朝を台無しにすることもあるのです。 「見えないより見えた方がいい!」 「聞こえないより聞こえた方がいい!」 そう思ってしまいがちなんですね。 何事にも適度なバランスが重要なのです。 もし私が高校生の時、メガネを外すことを決心したとするならば、 「僕がメガネをやめた理由は、それは『重くてかけ心地が悪い』からです。」と言うでしょう。 しかし今、メガネを外すことを決心した私はこう説明します。 「私がメガネをやめた理由、『そこまでモノを見る必要がない』からです。」

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