☆大野 倫:沖縄県うるま市出身 小学校1年生から野球を始め、いつしか甲子園やプロ野球に夢を抱き、白球を追い続け、甲子園出場とプロ野球選手になるという、子どもの頃からの夢を実現することができました。 夢は叶えたものの、その甲子園とプロ野球で大きな挫折を味わうことになります。 甲子園の3回戦から決勝までの4連投を含む、全6試合で完投し、疲労骨折・剥離骨折・遊離軟骨・靭帯損傷など、右ヒジが「崩壊」…投手生命を絶たれました。当時このことが大きく問題視され、起用した監督がバッシングされるなど、周りに迷惑をかけてしまいました。 しかし、これを機に甲子園も制度が見直され、複数投手の推奨によるベンチ枠の増(15名→18名)や、大会前のメディカルチェック・休養日の設定・最近はタイブレークの実施・球数制限も導入が検討されるなど、高校野球も選手ファーストの考え方に大きく移行し始めています。 「投げられないなら、バットで」と奮闘し、野手として読売ジャイアンツにプロ入りすることができましたが、これまた挫折の連続でした。当時ジャイアンツには清原和博さん・広沢克己さん・石井浩朗さん・松井秀樹・高橋由伸等のスターが活躍しており、圧倒的な実力に今度は「自信」が『崩壊』しました。それでも7年間、プロ野球選手として彼らに追いつこうと必死にもがき頑張りました。 そのプロ野球人生の中でも、今でも忘れられない悔しい思い出があります。結果的にプロ野球人生最後となる打席は、ホークス時代の福岡ドーム日ハム戦。試合序盤に先発選手の故障で急遽、代打を告げられ“慌てて”打席へ。みなさんご存知ですか?ベンチから、いきなり打席に立つと照明がまぶしくてボールが見にくいんです。照明はマウンド・打席・フェアゾーンに集中的に向けられています。いわゆる「スポットライト」です!朝、突然にカーテンをバッと開けられ、「起きろー!」という状態で打席に向かったのです。準備ができていない選手に良い結果なんて出るわけがありません。まぶしさでボールに反応できず、見逃し3球三振。 イニングの合間、選手がベンチを飛び出し、タッチで選手を迎える、投手のおしりを軽くたたくなど、よく見るあの光景、実は控えの選手が照明慣れをする機会でもあるのです。 試合後、王監督に呼び出され、即刻2軍行きを命じられました。本気で叱咤され、最後に「今日のお前の見逃し三振は人生の見逃し三振だ」と言葉を頂きました。その後二度と一軍に呼ばれることなく、秋に戦力外通告を受けました。一瞬の準備を怠った打席がプロ野球選手としての最後のプレーでした。 後に気付きましたが、王監督からのプロ野球選手としは終わりだ…とのメッセージだったのです。王監督の言葉は今でも教訓として、心に強く焼き付いています。そして強く後悔しています。 現在、僕の野球人生の失敗や後悔を「野球失敗学」として、“俺みたいになるな!”と子ども達に伝えています。 プロ野球生活7年間で、長嶋監督・王監督・原監督(当時はコーチ)に指導を受け、また清原さん・松井秀喜・高橋由伸等の一流選手とプレーできたことは、生きる上で僕の大きな財産になっています。 この大切な想い出や経験を、『野球未来プロジェクト』の活動を通して、未来の野球っ子に届けて行きたいと思っています!!!
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