クラウドファンディングの現状報告
お世話になっております。
皆さまのおかげで、10月29日現在、84万円の目標金額のうち、17パーセントにあたる、14万6000円のご支援をいただくことができました。
ご支援、シェアでご協力いただいた皆さま、心より感謝申し上げます。
プロジェクトの経過報告
10月の中旬に、ミャンマー国内の3地域をめぐるロケを行い、合計10名の大戦経験者にお話を伺いました。その様子をご報告したいと思います。
最初に向かったのはミッチーナ
まずは、ミャンマーの北部、カチン州のミッチーナに向かいました。
この町は、インドと中国を結ぶ「レド行路」の要衝にあたり、日本軍が占領していたものの、連合国軍に奪還されました。その際の激戦が今に語り継がれています。
ここでは、連合国軍のゲリラ部隊として戦った元兵士の方にお話を伺うことができました。
「イギリス軍と訓練をしていたら、日本軍が攻めてきて、ヘルメットに銃弾が当たった」と話すダンカンクーさん。
そして、激戦地メイッティーラへ
ミャンマー中部のメイッティーラと、その近郊マラインに向かいました。
ミャンマーの大戦は、日本軍が侵攻した前半と、連合国軍が反撃した後半に大きく分けられます。そして、メイッティーラは、連合国軍の反撃を日本軍が防ごうと、激戦が展開された地域です。
近郊マラインの村人は、村に来た日本兵に食料を提供したことや、村の近くで体力を消耗し、息を引き取っていった日本兵の様子を語ってくれました。
「この村に来た日本兵は紳士的だったけど、ほかの村では乱暴をしていたとも聞いたよ」と話すアウンシュエさん(左)とタウンチーさん(右)。
最後はバガン周辺の村々へ
観光名所としても有名なバガン。その周辺には、日本軍がヤンゴン(旧称ラングーン)からインド、中国方面へと進軍していったときの様子を覚えている方が多くいました。
バガン近郊のササヨ村で、「日本の将校は家のそばにキャンプを張っていたよ。とても礼儀正しかったね」と話す女性。
最後に
今回の撮影では、他のメディアでは多く語られていない、ミャンマーの人々から見た日本軍の姿をうかがうことができました。
「日本の兵隊は恐ろしく、ずっと家にこもっていた」という人もいれば、
「日本人はかっこよかった。興味を持ってずっとついて回っていた」と話す人もいました。
私たち取材チームも、大戦を経験したご本人からの感情のこもった話を聞き、それぞれが新しい大戦の見方を持つようになりました。
取材はこれからも続きます。ご報告も続けてまいりますので、皆さまのご支援・ご協力を、なにとぞよろしくお願いいたします。
カメラマン、アシスタントの皆さんと一緒に。