こんにちは!笑顔の花の栄美です。
歴史深く、由緒ある安曇野文化誌に「笑顔の花」ができるまでのストーリー前編を掲載いただきましたので、ご紹介させていただきます。
安曇野文化の皆様に感謝ありがとうございます。
病児家族のサポートから始まった活動は、これからは「小児医療を支える」というテーマで、家族と心ひとつになり子どもの命を救う、医療関係者の皆さんの笑顔にも繋がることを考え「真の助け合い」の実践に繋げて行きたいと思います。
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安曇野文化 夏号 第36号 2020年より引用
2004年春、東京からバイクでツーリング中、縁あって信州に移住することになりました。
結婚して4ヵ月後のことでしたが、信州への移住へ向けての流れがスムーズに運びはじめました。
下条村の山荘運営に関わることになり夫と合流。翌年、長男を妊娠し2006年臨月に豊丘村へ引越しました。
信州の水と空気、大自然の恩恵を受け、畑や田んぼ、野外保育を経験するなど、素晴らしい体験と心身ともに健やかな日々を送ることができました。
2013年妊娠7ヵ月中期検診の超音波検査で胎内にいる娘の心臓疾患が発覚しました。我が家に訪れた「まさか!」の出来事の始まりです。
心臓循環器の専門医である県立こども病院を紹介していただき、安曇野まで100㎞の道を産前より通院することになりました。
妊娠中の長距離運転はかなりリスクが高いので高速バスと徒歩で病院まで通いました。
2013年9月3日に長女を出産。5分の記念撮影と抱っこの時間を許されました。とても元気に生まれてきてくれてとても幸せな気持ちでした。
しかし心臓に重い障害があったため、早急に医療処置が必要とされNICUへ運ばれました。
その後、娘と会えたのは数時間後、生命を維持するためたくさんの管に繋がれた状態でした。
うつ伏せに寝ていた娘との再会に思わず「可愛い!」とニッコリ笑顔になりました。
産後は娘の心臓治療のため約3か月間の入院付き添い生活が始まります。
母親は退院となり一旦自宅に帰りましたがNICUから緊急呼び出しがあったので、院内の宿泊施設を借りることになりました。
約1か月は夫が育休を取り母親のケアと娘の面会のサポートに入りました。長期入院のため小学1年になった息子は児童養護施設へお願いしました。
親戚の遠い核家族の我が家は、公の資源をフル活用して娘の闘病生活に備えることになります。
娘は生後7日目に心臓手術を行い2度目の手術が終わった約3か月後に退院、はじめて我が家に戻りました。
世の中はクリスマスにお正月、退院後も落ち着くことなく、週1での通院をし検査結果によっては入院。緊急事態時にはドクターヘリで運ばれることもありました。
そんな生活を繰り返す中で、通院の距離があまりにも遠かったため「家族のシェアハウスがあったらなぁ…」と思いました。
子どもさんの病状により、遠方からのご家族はアパートを借りたり、家族全員で安曇野に引越しされたりした方々もいらっしゃいます。
家族のシェアハウスの構想をこの時期から思い描きはじめました。
入院付き添い中は病院内で缶詰め状態。産後の養生も十分にできず、栄養ある食事も満足にできずとても苦しい毎日でした。
人間が生きるために必要な「食べる、休む、癒す、太陽の光に当たる」など、あたりまえの日常を過ごすことが困難でした。
付添うご家族はコンビニやインスタント食に偏ってしまいます。院内食堂はなく、若い人たち多く働く医療現場の方々に食の支援を!と思ったのもこの頃です。
子どもの命を支える家族、医療従事者の皆さんには、健康的で栄養価の高い食事で元気に過していただきたいと強く思いました。
人は食べたもので体が作られます。食はとても大切です。カップラーメンをすするお母さん達の背中を見るたびに「こんな気持ちにさせてはいけないなぁ…」
この事態を一刻も早く解決の道へと強く思い、2016年6月に長野県へこども病院の「食環境改善提案書」を提出しました。
その後、手作りお弁当の販売を発案し、経営を担当するパートナーさんの全面協力が決定、同年9月試験販売がスタート。長野県立こども病院ランチデリバリーサポート販売が始動しました。
活動4年目に入る今、ランチボックスは医療従事者の皆さまにも大人気でファンが多いとのことです。
付添家族がきっかとなった食のサポートが、小さな命を守る医療従事者の皆さん全体のサポートにも繋がることに心から感謝しております。
次回は、患者家族滞在施設マザーハウス実現のお話です。
つづく (かやふさ えみ)
【連絡先】一般社団法人 笑顔の花
080‐4122‐0817