2018/11/28 23:24

2014年冬、僕は一度だけ受けたワークショップでうろ覚えの技術で泣きながらトートバッグを刷っていました。翌年には初めての子供が生まれる予定で、様々な不安の中、体重は今よりも14kg痩せていました。

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それまでのミュージカルの仕事も一旦終わり、自分の住んでいた地域BUSHWICKをイメージしたブランド"BSWK"を作り始めた頃、自分の作ったTシャツを置いてもらうためWilliamsburgにあるThe Market NYCでショップを構えているという方達に友人を通じて紹介してもらいお願いに行きました。

彼らがいうには、既に何種類かあるんだから、ここのオーナーにスペースを間借りできるかきいてみたらいいのではとのこと。すると、そこにたまたまオーナーがいて、僕の着ていた服や作ったブーツを見て、"2日後から入れるか"と言われました。

アパレルについてなんて一般よりも知識も経験も全然なく、ただの素人がいきなりブルックリンで、間借りとはいえ自分のスペースを持って店を始められるなんて信じられませんでした。

でも、会社を辞める時に決めた"心がワクワクする方へ行く"という直感を信じて、その場でOKしました。月額1100ドル。当時の家賃がルームシェアでも妻と二人分を払っていて1800ドル。そして家での制作に限界があったため、新たにスタジオを2ヶ月だけ借りました。それは550ドル。

つまり、住むのと制作・出展料だけで月3000ドルを超える出費を覚悟したということです。

 出店当初

ebayで買ったシルクスクリーン台。

お金がないので安い折りたたみ式の机に直接ドリルしてつけていました。


それから、死にものぐるいで毎日闘いました。最初の方は友人も来てくれて調子がよかったのですが、英語での接客も難しく、1枚も売れない日もあり、焦りと不安でいっぱいでした。

今でこそブルックリンでアパレルブランドを始めた、なんて言うと聞こえはいいですが、実態は人に見せられないぐらい切羽詰まった、もう半分くらいノイローゼのようだったなあと今振り返るとしみじみと思います。暇すぎて何もない日が続くと、ただ待っているのが不安で不安で仕方ありませんでした。妻の作ってくれる食べやすいサイズのミニおにぎりとポストイットの手紙が本当に身に沁みました。売れなかった日の報告は身が引き裂かれそうなほど悔しかったです。

それでも、明日はきっとたくさん売れるよ!と励ましてくれた妻を思い出すと、本当に自分は人に恵まれているなと痛感します。

----そして、このまま止まっていたら何も生まれないと思い、店に動きを出すために絵を描き始めました。



ここが本気で絵を描き始めた原点。

結局、トータルで数千ドルの売り上げにはなりましたが、残念ながら1年持たずしてお店はクローズせざるを得ませんでした。もちろん悔しかったですが、こんな素人のつくったものが世界中から来た人がいいね!といって買って行ってくれるんだという喜びや、この辛い日々から解放されるという開放感もちょっぴりありました笑

そして驚くことに、現在でもNYや日本で僕の作った服を着ている人が目撃されることがあります。そしてその度に誰かから連絡が来るのです。紳次郎、お前のつくった服を着ているやつをみたよ、と。

僕にとってこのブランドは僕の闘いの記録であり、人との繋がりであり、希望です。

お金を失ったかもしれないけど、僕はもっともっと大きなものを手にすることができました。

今回のチャレンジも、この経験がなければあり得なかったものです。

挑戦するということで何かを失うかもしれないという恐怖は誰にでもあると思います。

ただ、同じくらい何かを得られるチャンスであり、その希望をなくさないこともとても大切なことなのです。


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[活動報告]

・滞在先が決定しました!

 *前半後半でブルックリン&マンハッタンの2箇所を渡る形になりました。

・ストリート用、リターン用のキャンバス&生地をまとめ買いしてきました!

・防寒用のジャケット入手

・ストリートで描く場所の選定

その他 節約ができたらその場合はGo Proなど撮影機材用に回そうかなと思っています。

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一度きりの人生、楽しそうならやっちまえ!!!


それでは、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。


Shin