【晴家村アナザーヒストリー】
2011年、1月11日、晴家フューチャープロダクションを立ち上げたちょうど2ヶ月後の3.11。
あの大震災が起きた。
当時東京の池袋に住んでいた僕は、
居ても立っても居られない想いで、
手作り看板を作り、ジャンベというアフリカの太鼓を持って、たった一人で路上で義援金集めを始めた。
当時はミクシィというSNSで告知して、だんだんと共感してくれる仲間が集まり、
「池袋義援金セッション」は毎週火曜日の恒例のイベントとなった。
晴家村を立上げたばかりの僕にとって、これは村づくりよりも、何よりも、自分が自分として存在する為の儀式だった。
仕事が終わり、19時頃にだんだんと集まる仲間と、終電間際まで音楽を奏で続け、義援金を集めた。
こうして、僕達は、復興支援音楽祭、あースチューニングフクシマへの第一歩を始めたのです。
その後、福島第一原発のある双葉町の方たちが、町ごと避難している、埼玉県騎西町の廃校に支援に行き、
双葉町の子どもと遊ぼう!
というイベントに支援した事がきっかけとなって、晴家フューチャープロダクションは
村づくりよりも、復興支援で走り出したのだった。
つづく。
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