
神楽とは神の顕現であり祈りの形で、日本全国にさまざまな形で伝わっている。また、近年の里神楽では芸能性も高めていて、農村娯楽として盛んに行われてきた。
中国山地の荒神神楽もそのひとつで、出雲流採物神楽の流れを汲みながらも独自に発展し、神がかりの託宣を伴う鎮魂の神楽として、荒神を祀る5~40戸程度の小さな単位で行われてきた歴史がある。
はるかな昔、生も死も今より身近だったころ、人は生命の根源を神だと考えた。そして、生命の根源として臍の緒荒神、火だったり水だったり生命に密接なものをろっくう様や竈神、水神として祀り、土地やさまざまなものを習合して荒神として祀った。農耕がはじまると、牛は牛荒神として祀られ、天変地異や疫病など生命に脅威をもたらす事柄は荒神の神慮の為せる技だと考えられた。
医学や科学が十分に発達していない古代に、生命力が弱ることを気枯れ(穢れ)として、それを祓い気力を回復させるために行われた鎮魂の神祀りが神楽になった。また、生命に脅威をもたらす荒神の神慮を慰める手段として、荒神神楽が行われてきた。
最初は参集する全員で神がかっていたものが、人数が増えるにつれて神がかる者と援助する者に別れ、江戸時代に娯楽性が高まるとともに演者と観衆に区別されるようになってきた。そして、稲刈りが終わる秋から冬にかけて行われる荒神神楽は、収穫に感謝し五穀豊穣を祈るだけでなく、集落の娯楽やガス抜きとしての役割りも持つようになったのだ。
中国山地の荒神神楽は七座神事と神話劇である神能、それにまつわるさまざまな行事、神事が形式としてよく残され、7年、9年、13年、33年という式年と呼ばれる年に、古くは四日四晩、現在では短縮されてきたが二日一晩に渡って盛大に行われている。
荒神神楽が今に伝わるのは、山間の厳しい自然や過酷な生活の中で、農民が生きていくために切実な祈りであり、生活コミュニティーを堅固にするための核となる祀りだったからである。そして、数百年続けて伝え続けてきたことが、「先祖が継承してきたものを自分の代でやめるわけにはいかない」という意思となって荒神神楽を成立させてきたのだ。
科学や医学の発展、村でやっていたことが行政に変わったこと、社会風潮の変化による地縁社会の薄れ、これらのさまざまな原因で、現代における荒神神楽の必要性は薄れてきた。また、核家族化や少子高齢化によって、一年以上もの準備と多くの人が必要な荒神神楽を行うことが困難になってきている。
だからこそ現代社会の中で、神楽を安易に見世物や芸能として考えるのではなく、こういった歴史的背景や役割を理解したうえで、どう伝えていくのか考えなければならない。
わずか100年の間に大きく変容してしまった多くの現代人の価値観からは、数百年以上も変わらずに伝承されてきた重要無形民俗文化財の荒神神楽の精神は理解できない部分も多いだろう。
しかし、人口増加を背景にした高度経済成長期に、古いモノを壊して西洋的な新しいモノを安易に作ってきた日本は、ついに人口減少社会を迎えた。行政の限界や地域の支え合いが叫ばれる中で、そういった支え合いを実現するコミュニティーの核になってきた神祀りや荒神神楽が見直されていくとよいと思うし、そうなるように考えて活動していきたい。
このような意思を持ち、今回の大神楽を映像化しますので、どうぞみなさま、下記のリンクよりご支援お願いいたします。
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