「手でつくる。」
ハンドクラフトで生まれる、 「メイドインサンゴウ」の革小物
ジュテルレザーの革に惹かれたきっかけは、その精神性にある。想いと言い換えてもいい。生き物への感謝。命に我々が生かされているという重責。それらに敬意を払うべく最大の技術を持って仕事に挑む姿勢。その技術者としての誇りを感じたのが、このメッセージだ。
「THANKSANIMALS. SCRATCHES:EVI- DENCE OF GENUINE LEATHER」
傷は本物の証という意味だ。沼田会長とお話しさせていただく時にいつも感じるのは「命への敬意」だ。革だけに限らず、なんの話をしていてもいつも何かしら「命」というものの存在を感じる。もちろん革のお話しの際にはそれを更に感じるのだが、きっとここに到るまでの経験から仕事を通じてだけでなく、そこをきっかけにいろんな命というものに触れているのだと感じる。
「皮ってのは生きている時が100点の状態、それを屠殺し、技術者の技術によって蘇らせる。それが50点なのか90点なのかは技術者次第。俺はなんとか皮から革にする時に80点くらいにはしてあげたいんだよ。」
なるほどそーゆー事なのかと思った。生きている生き物の皮が一番いい状態で、死んでしまった皮を技術を持ってなめす事で、革にする。奪った命に報いるためにもせめて全力で蘇らせる。それが革という事なのだ。皮から革へ。当たり前の事なのに、そこが一般社会の中には浸透していないように思える。動物愛護の観点から、革を使用する事自体を禁忌とする団体も多くある。それは、「革」がただ「革」でなく、リアルに生き物の「皮」であるということを感じているからなのだと僕は思う。それは何も考えずに「革」が、ただ「革」という素材という、ぼんやりとした認識しか持たずに使用している人よりは、しっかりと考えた末の主張だと思える。僕は肉も食べるし、革も使う。考え方はそれぞれだからどちらが正しいという事ではないが、何も感じていない人が一番阿呆だと思う。
ジュテルレザーの革には「傷」がそのまま残してある。
蚊に刺された痕、怪我をした痕、吹き出物の痕。それが生き物が生きた証であるからだ。昨今の革製品にはそれはあまり見られない。スーパーの野菜なんかと一緒で「見てくれの良さ」が一番の需要であるからだと僕は思う。綺麗で美しいものが一級品で、傷があるものはB品。本当はいろんな薬品漬けで「美しさ」を買っているのかもしれない。しかし、そんな事は誰も考えない社会がある。わかりやすさが売り物の価値となっている。僕にとって価値というのは真逆にあると思う。傷一つない綺麗な革が最高とするならば、それは生産性や合理性から言っても合皮でいいと思う。生き物の命を感じることもなく、革の質感が欲しいだけならば。綺麗でかつ使いやすいものがたくさん作れる。しかし「革」が使いたいならば、話は真逆で、
「生き物からいただいた革」
を感じるからこそ意味があると思うのだ。でなければ革を使用する、愛する権利を有していないと思うのだ。
SANGOUでは、ジュテルレザーの和牛革を使用して革製品を作っている。もちろん傷を避けずに堂々と傷を入れて(残して)製品を作る。それは生き物がくれた自然のデザインとして、我々人間の生活を豊かにしてくるものとなる。僕は、この生き物の 命を感じさせてくれる革が大好きだ。傷やシワを撫でるたびに「こいつは生きていた」と感じる。だからこそ、そのアイテムがたまらなく愛おしく、大事に感じる。一つとして同じ革はないように、SANGOUの革製品にも一つとして同じ製品はない。傷の入り方、硬さ、色、どれをとっても一つ一つ違うものになる。それは生きていた命をが一つとして同じでないのと一緒だ。SANGOUでもジュテルレザーの「THANKS ANIMALS. SCRATCHES:EVIDENCE OF GEN- UINE LEATHER」の精神を受け継いで、これからのモノづくりに向き合っていきたいと思う。