2019/04/10 09:31

正直。。清水の舞台から…の気持ちでトライした、プロジェクトですが、みなさんからのご支援やあたたかい応援メッセージに、たいへんたいへん、励まされております。

プロジェクト看板の写真も、キャンプファイアー担当さんがお気に入りの一枚と候補にあげてくださり、決定しました。福島で中筋純さんが撮ってくださった一枚です。

この3月に開催された、金沢の21世紀美術館で開催された「もやい展」(*もやい展/金沢21世紀美術館)でわたしも詩を展示してもらったのですが、その詩をごらんになったかたからも、ご支援とうれしい応援メッセージをいただきました。(*パトロン、の欄にはみなさまの応援メッセージが掲載されます。

展覧会以外では、未公開のものですが。どなたかが写してくださった会場での写真とともに、その詩「花の声、草木の声」をここに載せさせていただきます。

なかなか書き上がらなくて、苦労したものですが…、何がしかを受け取って、いただけたのなら、報われます。

ありがとうございました!

       ***

花の声 草木の声
       ――福島にて
                宮尾節子

帰還困難と
呼ばれる場所にも
春の帰還は誰にも止められず
あたたかい陽ざしや雨水をもらって

主の居ない
家々の庭先や空地で
草木はすこやかに丈を伸ばし
花々は明るく誇らしげに咲いていた

信号機が
黄色い点滅や
赤い点滅を繰り返す大通りで
人の時間だけがぴたりと止まっている

それでも
こぼれた種から
生まれでた命を植物たちは
ところかまわず広げて大事に育んでいた

ひび割れた舗道では
傷口を草花の糸で繕うように
草の列や花の列を縦横に走らせて
傷ついた町をやさしく修繕してみせる

花盛りの野ばらは
人家の塀を溢れ出ると
道いっぱいに蔓を延ばして
辺り一面を白い花で埋め尽くしてゆく

特別な許可をもらって
訪ねた帰還困難区域に足を
踏み入れると目を瞠る光景が広がった
そこはまるで、楽園のような満開の花の園だ

駐車場に置き捨てられた ワゴン車の
周りには 子供が群がるように 花が群がり
割れた窓から中を覗き込み ボンネットに這い上がり
傾いた軒先を 持ち上げながら屋根に登って 勝ち誇ったように
花たちは咲き誇っていた

ひとっこ ひとり いなく なって なんぶふうりんの なる
むじんのまちの からっぽに なったいえいえの にわやうらにわ
(ひとの くらした ひびの どうぐは そのひ そのときの まま)
みせの まわりは はるの ほがらかな はなたちで みちあふれて

花々に包囲され――

ひとの したことを思えば
かれらに できるはずのない歓迎を
いまされている錯覚を 拭いきれずに
いつのまにか 胸がいっぱいになっていた

ひとが 
ことばを見つけられないでいるとき 
ひとが 生きかたを見うしなったとき
ことばを知らない草木が ここで教えてくれている
ひとが約束を破るとき 
けっして破ることのない約束をここで
草木が見せている。

ひとが
戻ることのできない地に立ち上がる 
声なき 草木の声を聞け。
春を迎えて 胸いっぱいに 咲きほこる 
声なき 花の声を聞け。

*写真家の中筋純氏の撮影に同行して福島を訪ねたのは
 二〇一八年の五月。未だ帰還困難区域の大熊町は丁度
 花の季節で、特にあちこちで群生する満開の野ばらの
 花は息を呑むほど圧巻でした。帰ってから、野ばらの
 花言葉を引いてみると――「痛みから立ち上がる」と。