2021/08/24 11:39

クラウドファンディング、あと1週間になりました!
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8月21日、ベルリン在住フリーランスライターの中村真人さんを招いて、オンラインイベント「被爆の記憶を伝える~音楽で、世界で」を行いました。ご視聴いただいたみなさん、ありがとうございました。

中村さんは、米軍基地のある横須賀で生まれ、平和運動や平和教育を身近に育ちました。冷戦期と重なり、当時から核兵器の脅威というものを感じていたそうです。一方で、クラシック音楽に親しみ、フルート奏者としてオーケストラに加わり、音楽のすばらしさ、美しさも経験を通して感じてこられました。大学の時に演奏旅行に参加し、ドイツに魅せられ、暮らしの場所としてベルリンを選んだそうです。

坂井原さん(左)と二口さん(中央)との出会いを語る中村さん(右上)音楽のつながりがきっかけで、岩波ブックレット「明子のピアノ~被爆をこえて奏で継ぐ」の企画が実現します。2020年2月に訪広、「明子さんのピアノ」を取材した5日間は、出会いの連続だったそうです。明子さん(河本家)のお墓参り中には、明子さんの甥っ子さん家族との遭遇。明子さんがパルチコフさん(当時広島女学院で音楽を教えたロシア人教師)と一緒に写る写真について知ったのもその時でした。「明子さんのピアノ」の発見した書道家の森下弘さんとの出会いも大きく、のちにインタビュー記事となっています。
ヒロシマから世界へ 平和の種をまき続けて
「明子さんのピアノ」は、原爆投下の歴史を「自分ごと」として考えられる大切な楽器だ感じた、と語りました。


後半では、ドイツで戦争の記憶をどのように伝えているか、ホロコーストに関するさまざまな記念碑を見せながら説明くださいました。そして、中村さんが注目する「つまづきの石」プロジェクトについて紹介されました。
名前、暮らした場所、生年月日、収容所で亡くなった日などが記された「つまづきの石」「つまづきの石」プロジェクトは、1992年にドイツの芸術家グンター・デムニヒによって始められたものです。10センチ角のコンクリートの立方体のブロックの表面に、ナチスによる迫害者・犠牲者の氏名・生年月日などを刻み、歩道に埋め込んでいくプロジェクトです。「つまづきの石」をひとつひとつ見ていくと、98歳で収容所に送られた女性、稀に見る生存者や亡命者など、さまざまな人の歴史が浮かびます。ひとつの家にいくつも埋められていることもあり、家族で連れ出されたことも想像されます。

「彼らも当時は一般市民として生活していた。ある日突然、生活が奪われた。だから、彼らを追悼するには一般市民として生活したその場所に、この石を埋めることが必要なんだ」

このようにして、20年間で75,000個の石が埋められたということです。

最後に、11月9日の「水晶の夜」(1938年11月9日ドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動)について教えてくださいました。毎年この夜、「つまづき石」には、地域の人々によって蝋燭が備えられ、追悼の祈りがささげられます。添えられたカードには、「憎しみは魂を傷つける」という言葉が書かれています。憎しみからは何も生まれない、という中村さんのメッセージが強く伝わってきました。

ひとつの場所に作られる「中央記念碑」に対して、より生活の中で歴史について考えるつまづき石は「世界最大の分散型記念碑」と呼ばれているそうです。今回、この「つまづきの石」を知ることで、日常生活における被爆の継承の可能性について、大きなヒントを得た気がしています。