2019/05/23 18:38

広島での滞在では、今回船旅のためにお借りする「パルチコフさんのヴァイオリン」の持ち主、セルゲイ・パルチコフさん、そしてそのご家族の波乱に満ちた生涯について知ることができました。HOPEプロジェクトで、代表・二口さんと一緒に活動されている廣谷明人さんが、広島女学院歴史資料館に足を運んだり、多く資料を入手したりして、ストーリーをまとめてくださいました:

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セルゲイ・パルチコフさんは1893年、ロシア・カザン市で貴族の家庭に生まれました。4歳からヴァイオリンを習い、カザン帝国大学では法学の学位を習得。1917年のロシア革命では帝政ロシアの陸軍中佐として戦いましたが、革命政府に追われ、妻とともにロシア東部へと逃亡。1921年ウラジオストックで朝鮮半島行きの船を接収し、妻と生後間もない娘を連れて他のロシア人と一緒に日本に亡命しました。

来日後広島に移住するも、経済的困難な生活が続き、ついに愛奏するヴァイオリンを売る決心をして広島市内の質屋に向かいます。質屋に向かう途中に偶然、「日進館」という映画館の館主に呼び止められ、楽器を弾いてみてくれと頼まれました。演奏に感激した館主はすぐに彼を雇い入れ、セルゲイさんは旧友のロシア人とともに繁華街にある映画館で無声映画の伴奏の仕事を始めました。

生徒の前で演奏するパルチコフさん彼の演奏の評判を聞いた私立広島女学校(1932年に広島女学院と改称)のゲーンズ校長は、彼を音楽教師として採用。彼は1926年~1943年音楽教師を務め、30人程度の弦楽オーケストラを組織。女学生だけのオーケストラは当時大変珍しく、広島の名物となりNHKのラジオで放送されるほどになりました。

また、陸軍幼年学校でロシア語教師を務め、自宅ではヴァイオリンのレッスンの他に英語塾も開きました。当時の自宅は女学院の近く、爆心から500mほどの上流川(現在の幟町)にありました。

セルゲイさんと妻アレキサンドラさんには、3人の子どもがいました。ウラジオストックで生まれた長女のカレリアさん(1922-2015)、広島で生まれた長男ニコライさん(1924-2003)と、次男デヴィッドさん(1933-1995)です。

小学校時代のカレリアさん(上段左から4番目)「私たちは市内中心部の流川町に住んでいました。家の周りには大きな池があって美しい鯉がたくさんいました。とても快適な生活でした」(カレリアさん)

「広島で生活しているときには、友人も多く、私は外国人として扱われたことは一度もありませんでした。一人の広島人として受け入れてもらっていました。川で泳いだり、釣りをしたり、町中を自転車で走りまわったり。」(ニコライさん)

1940年、ニコライさんは高校進学時に奨学金を得て大学進学を目指し、セルゲイさんの知人のアメリカ人宣教師と一緒にアメリカに渡りました。1941年に太平洋戦争が始まると、ニコライさんとは音信不通の状態になってしまいます。


太平洋戦争勃発後、他の外国人は帰国しますが、祖国に戻れないパルチコフ一家は広島に残りました。1943年、セルゲイさんはスパイの容疑をかけられ投獄されます。多くの人の援助もあって1年後に容疑が晴れ、自宅を広島市東区牛田(爆心から約2.5㎞)に移しました。


そして、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されたとき、デヴィッドさんは自宅の庭に、セルゲイさん、アレキサンドラさん、カレリアさんは自宅の中にいて被爆しました。爆風で倒れた壁の下敷きになり負傷しましたが、幸い軽傷で済み陸軍病院に避難した後、二週間ほど戸坂の民家に身を寄せていました。

その後ロシア人たちは広島県北東部の帝釈峡に集められ、1~2カ月後には知人を頼って各地に移動していきました。


【カレリアさんの証言】

アメリカ戦略爆撃調査団が1945年12月に被爆者に面接調査を実施した録音テープに、唯一英語による外国人女性の記録としてカレリアさんの証言が残っています。

「みんな外に出てきました。打撲した人、けがをした人、やけどした人もいました。私たちが山に向かって登っていくと、そこに黒人がいたのです――日本人ではありません――黒人です。私は『何があったの』『どうしたの』と聞きました。すると『ピカッと光が見えて、それでこんな色になった』と話しました。やっと病院、陸軍病院に着きました。そこに二日いました。」

カレリアさんは陸軍病院で数日間けが人の治療にあたりました。インタビューではやけどの様子について答えています。

「皮膚がすぐにはがれるのです。骨まで見える人もいました。目は塞がっていました。鼻血が出て。唇が腫れあがって、頭全体が腫れ始めました。水を飲ませると途端に全部吐いて、死ぬまで吐き続けて、血が噴き出してそれが最期です。二日目になると傷口が黄色くなってだんだん黄色が濃くなっていきました。どんなに必死になって黄色い色を取ろうとしても、腐った肉の色はどんどん濃くなっていきました。痛みはあまりなかったように思います。」


【ニコライさんとの再会】

ニコライさんは渡米後学業を続けていましたが、1941年の日本軍による真珠湾攻撃で人生が一変し、日本にいる家族とは連絡が取れなくなってしまいました。

1943年高校卒業直前にアメリカ陸軍に入隊し、ラジオ放送の傍受や日本人捕虜への日本語での尋問を担当しました。

1945年8月6日、彼はフィリピンで原爆投下のニュースを知りました。終戦後彼はマッカーサー一行と来日。横浜に赴任し、特別の許可を得て家族を探すために9月に広島を訪れました。

彼は自分が生まれ育った広島の変わり果てた姿に衝撃を受けました。


【劇的な再会:ニコラスさん、ニューヨークタイムズに投稿】

ニコライさん「私の人生の最悪の瞬間でした。私はそれまで戦争で多くの死を見てきましたが、私が目にしたのは想像を絶するもの、『無』でした。鳥もなく、人もなく、建物もなく、木もなく、命もありませんでした。写真のネガのようにセメントに焼き付けられた人の影。私が生まれた家もなくなっていました。町は消え去っていました。」

ニコライさんは自分が生まれた家を探しましたが、流川の昔の家は跡形もなく、彼が使っていたベッドの枠だけが焼け残っていました。転居のことを知らなかった彼は、一家は全滅したと思っていました。限られた時間の中でニコライさんがジープで市内を走っていた時、同僚を探すために市内に出てきていたセルゲイさんを偶然見かけました。二人は劇的な再会に大変に驚き、お互いに「幻を見ているように思えた」ということです。

ニコライさんはセルゲイさんとともに他の家族のもとを訪れ、再会を喜びます。


【パルチコフ家のその後】

ニコライさんの働きかけで家族は東京に移り、その後アメリカに渡ります。セルゲイさんは進駐軍の施設で働き、渡米後はアメリカ陸軍語学学校でロシア語を教えました。そして、1969年に亡くなりました。
妻のアレキサンドラさんは、1985年に亡くなっています。

カレリアさんはGHQに勤め、そこで知り合ったアメリカ人ドレイゴさんと結婚してアメリカに移住。終戦直後はアメリカに来た最初の外国人被爆者として大きく報道されましたが、その後は被爆体験についてはほとんど語りませんでした。2014年没。

ニコライさんはUCLAを卒業。陸軍で働いていましたが、次第にアメリカ政府や軍の核政策に疑問を持つようになり退役。後には積極的に反核平和活動に参加しました。反核を訴え10万以上の署名を集めて国連の委員会に提出し、1995年広島の原水爆禁止協議会大会で講演するなどしました。2003年ネヴァダ州レノ没。

デヴィッドさんのその後の詳細は不明ですが、牧師としてケニアのナイロビで働いていたということです。アメリカ公文書にDavid S Palchikoff (1933-1995)の名前が記録されていますが詳細はわかりません。


【カレリアさんとニコライさんの広島訪問】

1986年、カレリアさんがアメリカ在住ということがわかり、かつての友人やセルゲイさんの教え子などが広島女学院の100年祭に彼女を招待しました。彼女は旧友との再会を喜び、すでに亡くなった両親の名前を被爆者名簿に記載するよう広島市に申し出、受理されました。ニコライさんも翌年来日し、東京~広島間を自転車で旅をしながら平和を訴えました。


【流浪のヴァイオリン、そして修復】

ヴァイオリンは1986年にカレリアさんから広島女学院に寄贈されました。

ヴァイオリンは壊れた状態のまま20年以上広島女学院の歴史資料館に展示されていました。2011年12月、イタリア、クレモナ在住のヴァイオリン製作者石井高さん(1943-2015)が広島女学院を訪れました。

大学は石井さんに修復を依頼し、石井さんはヴァイオリンをイタリアに運び、クレモナの工房で3ヶ月かけて分解、修復しました。

ヴァイオリンは1900年頃のドイツの機械製で比較的安価なものでしたが、楽器の鳴りをよくするために板の厚みが調整してありました。ラベルには「ユーリ・パルチコフ 1920」と書かれ、おそらくセルゲイさんの兄が改作したと思われます。
修復後には広島だけでなく日本各地に貸し出され、ニューヨークやウクライナでも演奏されました。

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爆心地から2.5kmで被爆した「パルチコフさんのヴァイオリン」は、普段、広島女学院歴史資料館で展示されています。今夏お借りしたそのヴァイオリンは、97年前に出発したロシアを含む、数々の港を訪れ、この物語を語るように深い音色を多くの人々に届けてくれることでしょう。

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