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「明子さんの被爆ピアノ」をアジア10の港で響かせたい!

私たちピースボートは、この夏、74年前に被爆した「明子さんのピアノ」を船に乗せて、その演奏を通じて、被爆者の”声”と”思い”を広く届けるプロジェクトを企画しました。

現在の支援総額

906,997

113%

目標金額は800,000円

支援者数

100

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/04/15に募集を開始し、 100人の支援により 906,997円の資金を集め、 2019/06/29に募集を終了しました

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「明子さんの被爆ピアノ」をアジア10の港で響かせたい!

現在の支援総額

906,997

113%達成

終了

目標金額800,000

支援者数100

このプロジェクトは、2019/04/15に募集を開始し、 100人の支援により 906,997円の資金を集め、 2019/06/29に募集を終了しました

私たちピースボートは、この夏、74年前に被爆した「明子さんのピアノ」を船に乗せて、その演奏を通じて、被爆者の”声”と”思い”を広く届けるプロジェクトを企画しました。

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▼「平和と音楽の船旅」プロジェクトのめざすこと

1.今年8月に東アジア(日本、韓国、ロシア)3カ国10寄港地を回るピースボートに、広島から「明子さんの被爆ピアノ」を乗せて、各地で演奏会を行いたいと考えています。釜山(韓国)、ウラジオストック(ロシア)、石巻(日本)をはじめ、なるべく多くの寄港地で演奏家を招き、多くの地元の方々に参加していただいて、被爆しながらも、優しい音を奏でる「明子さんのピアノ」の音色を届けたいと考えています。

日本をぐるっと一周                 演奏家を招いて2.「明子さんの被爆ピアノ」は、広島で19歳のときに被爆して亡くなった米国生まれの河本明子さんが愛用していたピアノです。明子さんが書き残した言葉、原爆の爆風で無数のガラス破片が突き刺さったピアノ、そしてその音色を、一人でも多くの人々に届けたいと考えています。それを通じて、あの日キノコ雲の下で何が起こったのかを一緒に想像し、核兵器のおそろしさを感じ、平和の大切さや命の尊さを考える機会にしたいと考えています。

爆風で傷ついたピアノの側面を見る子どもたち             突き刺さったガラス3.「明子さんの被爆ピアノ」に触れることで、被爆者の記憶を継承し、未来へ平和のメッセージをつなぐために自分に何ができるかを多くの人たちに考えてもらいたいと思います。そして、核兵器のない平和な世界のために行動をとることのできる人を増やしていきたいと考えています。

アジアの若者たちと共有                  船内で意見交換   
▼「明子さんの被爆ピアノ」をなぜ響かせたいのか

ピースボートは、広島・長崎の被爆者のみなさんの声を世界各地に届ける活動を長く続けてきました。しかし、原爆投下から70年以上が経ち、自らの体験を語りながら旅のできる被爆者の方は本当に少なくなってしまいました。そんなとき「明子さんの被爆ピアノ」と出会いました。

被爆者の方から証言を聞けなくなる時代は、まもなくやってきます。残された資料、記念碑、明子さんのピアノのような楽器を含む数々の遺品は、原爆の悲惨さを語りメッセージを発信する重要な語り部となっていきます。

生まれたばかりの明子さんとピアノ    19歳の明子さん/上段左から2番目「明子さんの被爆ピアノ」とは、米国ロサンゼルスで生まれた河本明子さんという女の子が愛用していたピアノです。1933年に両親と共に広島に渡った明子さんは、1945年8月6日に建物疎開の作業中に被爆し、翌7日に19歳で亡くなりました。同時にピアノも爆風により多くのガラス破片で傷つき、しばらくのあいだそのままにされていました。そのピアノが後に修復され、2005年の被爆60周年のコンサートで演奏されました。それ以来一般社団法人「HOPEプロジェクト」(二口とみゑ代表)が平和教育活動としてこのピアノを維持し活用しています。世界的ピアニストのピーター・ゼルキンさんによる試奏はCD化され、マルタ・アルゲリッチさんは「明子さんのピアノ」の響きを高く評価し、広島交響楽団と2020年の「Music for Peace」で「明子さんのピアノ」を演奏されます。そのため「明子さんのピアノ」をモチーフに作曲家の藤倉大さんがピアノ協奏曲を作曲しています。
そんななか、今回は、ピースボートとHOPEプロジェクトが協力してこの企画を行うことになりました。

「明子さんのピアノ」について詳しくはこちら

修復の様子/二口さんと調律氏の坂井原浩さん          学校訪問演奏会/子どもたちは真剣 また、今回の船旅では、明子さんが在籍していた広島女学院が所蔵している「被爆バイオリン」も貸与いただけることになりました。このバイオリンは、広島女学院で音楽教師として赴任したセルゲイ・パルチコフさんが愛用していたものです。ピアノとバイオリンが奏でる美しい響きによって、当時の様子に思いをはせることができるでしょう。

広島女学院展示のバイオリン            当時の楽団 中央がパルチコフ先生  

▼これまでの活動

ピースボートは2008年より、「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」として、これまでに広島・長崎の被爆者170名以上とともに地球を回りながら「核兵器のない世界」へのアピールを行ってきました。ピースボートは、核兵器禁止条約の成立に貢献して2017年にノーベル平和賞を授賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際運営団体でもあります。このような活動を長く続けてきたとはいえ、被爆者が高齢化する中で、核兵器の問題を実感をもって考えることがなかなか困難になってきました。より多くの方々に核兵器や戦争の問題を自分のこととして考える機会を作っていきたいと思い、たえず試行錯誤しながら活動しています。

おりづるプロジェクト出航の様子              海外の学生とおりづる交流 
▼いただいたご支援は、以下のように活用します

交通費   300,000円 各港で招待・船に合流する演奏者/調律師の国内外移動費
宿泊費   120,000円 乗船する前の日の港での宿泊費
調律費   100,000円 5回分の調律を予定
記録費   150,000円 演奏や交流をまとめたドキュメンタリー制作の人件費、材料費
事務費   130,000円 記者会見、楽譜印刷、広報、翻訳、クラウドファンディング手数料など
合計    800,000円

▼プロジェクトの実施プラン

広島を出発点とし、石巻で締めくくる、計10回の演奏会を実施したいと考えています。実際にいくつの港でできるかは、ご支援の集まりによります。コンサートは船内で行い、地元の方々を招待する形です。

8月6日:広島寄港中にコンサート
8月8日:鹿児島寄港中にコンサート
8月9日:長崎寄港中にコンサート
8月10日:釜山寄港中にコンサート
8月12日:金沢寄港中にコンサート
8月14日:ウラジオストック寄港中にコンサート
8月16日:小樽寄港中にコンサート
8月18日:釧路寄港中にコンサート
8月19日:室蘭寄港中にコンサート
8月21日:石巻寄港中にコンサート

航海中は、合唱、合奏等、被爆証言と音楽、核兵器廃絶をアピールする音楽イベントなど、1,000名以上の乗船者を対象にした企画を行います。

▼最後に~あなたの19歳を想像して

このプロジェクトに関心を持ち、共感してくださる方に心から感謝いたします。

核兵器について理解し、「なくすことができる」と実感するのは難しいことだと思います。政治や外交的なことだと自分から距離をおき、私たちとは関係ないとしてしまいがちです。

このプロジェクトを通して、19歳まで成長した河本明子さんが書き残した日記や、毎日のように練習したというピアノの音色に触れた方々が、自分の19歳を想像し、明子さんを身近に感じ、友人となり、希望の言葉を語り継ぎ、音楽を響かせてもらえたら嬉しいです。そして、今聞くことができる貴重な証言、遺品それぞれのストーリーに耳をかたむけ、広げていくひとが増えることを心から願います。

ご協力をお願いいたします。

★本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします

最新の活動報告

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  • 【ご支援、心から感謝いたします!100人超えました!!】本日、クラウドファンディング最終日でした。このプロジェクトを立ち上げた頃を振り返り、「明子さんのピアノ」に息を吹き込んだお父さんのような存在の坂井原さん、語り継ぎ子どもたちと共有されるお母さんとも言える二口さんへの感謝の気持ちを再認識する1日でした。「明子さんのピアノ」との出会いを語る調律師の坂井原浩さん:https://www.youtube.com/watch?v=RL0_C4XhziE&feature=youtu.be「明子さんのピアノ」を船に乗せることについて話してくれた二口とみゑさん:https://www.youtube.com/watch?v=7BiE4Oegyr4&feature=youtu.beお二人、そして「明子さんのピアノ」をとりまくHOPEプロジェクトのみなさん(日記の解読に奮闘する廣谷先生、会見でお世話になった高野さん、しっかり事務をこなす千恵美さん)は、「明子さんのピアノ」を心から愛し、大切にし、プロジェクトの名の通り「希望」を持たれています。修復し、これまで維持し、ご活動してこられたこと、心から敬意を表します。また、96歳になるピアノを船のどこに保管し、どの場所で演奏されるのがよいかを見るため、船内見学に来てくださったKAJIMOTOの佐藤さん、音響設計の豊田さん、関東にお住まいのHOPEプロジェクトの田辺先生と桑田さん、貴重なご意見、ありがとうございました。そして、手配や企画の準備、文章添削など、このプロジェクトをささえてくれているピースボートの仲間たち、本当にありがとう。プロジェクト実施、達成まで、引き続きどうぞよろしくお願いします!みなさん、クラウドファンディングへのご協力、本当にありがとうございました。良いご報告ができるよう、あと2ヶ月、頑張りたいと思います! もっと見る

  • ウラジオストック、小樽、釧路、室蘭で演奏する、香田早智さん(バイオリン)を紹介します。北海道では毎夏、札幌市を拠点に、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)が行われます。世界中から集まった100人以上の若い音楽家が共同で生活し、オーケストラ/室内楽活動を通して音楽性を養い、感動のステージを繰り広げています。1990年、音楽教育の力を入れていた作曲家で指揮者である、故レナード・バーンスタイン氏が提唱したもので、今年で30周年を迎えます。2018PMF アカデミー生のみなさん (提供:PMFOC)この国際音楽祭の開催中、美しい響きを誇るコンサートホール「キタラ」を中心に、北海道各地で演奏会が行われます。会期の締めくくりには、会場を東京ほか数都市に移し、集大成のコンサートが行われます。昨年のコンサート会場に選ばれたのは広島。北海道出身で昨年の広島公演に出演した香田さんのご乗船は、PMF実行委員会のご推薦・ご協力によってかなったものです。香田さん:「私は昨年のPMF広島公演で、初めて広島に行きました。日本人として、いつか必ず行きたいと思っていた場所に訪れることができて、とても良い経験となりました。PMFのアカデミー生たちと広島平和記念公園、資料館へ行き、被爆者の方のお話を聞くこともできました。たくさんの資料を見学し、証言を聞き、言葉にならない気持ちになりながらも、日本人、人間として知らなくてはいけないことだと改めて強く実感しました。自由時間に、韓国人のアカデミー生と原爆ドームを見学しに行きました。彼女が、『とても悲しい』と言っていたのが今でも印象的で、覚えています。国境を超え、同じ気持ちになることができる、という事がどれほど大切なことか、と思います」遺品を見学する香田さん  (いずれも提供:PMFOC)  証言を聞くアカデミー生(右奥が香田さん)「フェニックスホール」での演奏を経験した香田さんは、こう続けます。「広島の方々、観客の皆さんが熱い拍手を送ってくださったこと、とても嬉しかったです。世界中の方と会えること、そして私たち音楽家は音楽を通して1つになることができることは決して当たり前ではないこと。これからの未来も続いてほしいです」PMF開催中は、中国、韓国、日本、アメリカから来た音楽家で構成されたカルテットや、ロシアとポーランドの音楽家が隣り合って演奏するのを目の当たりにします。ある時代では想像できなかったであろう組み合わせのハーモニーは、一段と深く美しく感じられます。札幌市内 室内楽コンサートでの演奏 (提供:PMFOC)パルチコフ先生の楽器を弾く想いも語ってくれました。「貴重な『パルチコフ先生の被爆ヴァイオリン』を演奏させていただけることを、ヴァイオリニストとしてとても光栄に思うと同時に、とても緊張します。このヴァイオリンが、今までに何人もの人に音楽の素晴らしさを伝え、時代を生き抜いたのか。私はまだまだ未知なる世界です。パルチコフ先生のヴァイオリンの音の魅力、生き抜いた強さなどを私自身が感じ、1人でも多くの方と共有できたらと思っています」香田さんは、金沢から乗船し、パルチコフ先生の懐かしい土地、ウラジオストックに向かいます。そこで出会うロシア人音楽家らとともに演奏したあと、ご自身の故郷である北海道の港でロシア人ピアニストと共演予定です。夏休み最後を迎える北海道の子どもたちの合唱との共演も予定されています。どうぞお楽しみに。現在、小樽での演奏会お申し込みを受け付けています。こちらから https://peaceboat.org/29006.html もっと見る

  • 【番外報告】ベネズエラより:ご支援に感謝します!あと6日、69,000円、もう一息です!「明子さんのピアノ」プロジェクトの準備の傍ら、寄港地プログラム下見のため、南米ベネズエラに来ています。担当スタッフとしてベネズエラの訪れるのは15年目となります。プロフィールのとおり、私はチームの仲間と一緒に、ベネズエラの港で船を受け入れ、現地方々と参加者との交流プログラムを作っています。そのなかで、2005年から続けているのが、ベネズエラの「エル・システマ」(青少年オーケストラ・コーラス教育システム)との交流です。ベネズエラの子どもたちは、1975年に始まったユニークなこの音楽教育システムのおかげで、誰でも無料でクラシック音楽を習うことができ、オーケストラの一員になることができます。そのため、町のあらゆるところで毎週のようにコンサートが行われています。ピースボートでは、音楽練習所の子どもたちに楽器や楽譜を届けたり、若い音楽家によるコンサートを企画したり、船に彼らを招いて音楽レッスンやワークショップを催したりしてきました。船がベネズエラに近づくと、とにかく船内は音楽漬けの毎日です。地球の反対側で気づかされた、被爆証言の尊さピースボートは2008年に、「ヒバクシャ地球一周~証言の航海」(通称:おりづるプロジェクト)を立ち上げ、ほぼ毎年、広島・長崎の被爆者の方々にご乗船いただき、世界のいろいろな場所でご自身の体験を話していただきました。第1回目には100名以上が参加し、私たちが待つベネズエラにも到着しました。その100名のうちの4名が、約2週間はやく船を離脱し、空路でベネズエラに到着し、教育省、外務省、科学省、市役所など、さまざまな場所で証言会を行いました。被爆者の証言を聞くエルシステマメンバー        千羽鶴の贈り物によろこぶ子どもたち被爆証言を聞く人々がそれを涙とともに受け止め、証言後には被爆者の方々をあたたかく抱きしめる場面に何度も立ち会いました。人、地球を悲しませる核兵器は絶対悪である、と、彼らはストレートに考えているのです。音楽で伝える平和、核兵器廃絶をねがう音楽家たち「エル・システマ」の創始者で一昨年前にこの世を去ったマエストロ・アントニオ・アブレウは、広島・長崎の原爆の投下について、子どもたち、若者たちによく語っていました。2008年12月、2012年10月のユースオーケストラ日本ツアーの折には、広島を訪問地に選び、記念公園で献花をし、コンサートを行いました。広島を訪れたオーケストラ所属の友人は、「息がつまる思いだった。平和のために音楽を奏でようと思った、それが僕らにできること」と語っています。広島講演の際、献花するマエストロ・アブレウ(右から2番目)以来、ベネズエラの若者たちは音楽を通じて、広島での経験を伝え続けています。最近では、ペルーへ渡ったエル・システマ出身のバイオリニストたちが、ピースボートのペルー寄港に合わせ、自身が教えているリマの中学校で、証言会と平和コンサートを実施してくれました。ベネズエラ人の音楽の先生のおかげでペルーの子どもたちは原爆投下の意味を知り、二度と起こらないようにと願って演奏し、被爆者の方々は心穏やかにその音色を楽しんだと聞きます。ベネズエラのいまニュースを追っている方はご存じだと思いますが、いま「ベネズエラ」と調べると「移民」「難民」「暴動」「経済危機」などばかりが取り上げられ、その状況で生活し続ける人たちについてなかなか知ることができません。たしかに、私たちが今回訪ねたモンタルバン練習所でも、もともと2,000人近くいた子どもたちが600人ほどになってしまって、国外に出て行く友だちを見送りながら、やりきれない気持ちもあらわにする子もいるそうです。それでも、複雑な気持ちを音楽に変えて、訪問者に音楽を喜んでもらい、一生懸命に交流する姿はいまも変わっていませんでした。マエストロの言葉に、「Inclusión Social」(社会に巻き込んでいくこと)があります。ひとりだけが上手でも、オーケストラは響かない。演奏者、指導、バックステージ、運営、家族、コミュニティーまでが協力してこそ響くもの。エル・システマ本部の建物には、「音楽のための社会活動センター(Centro Nacional de Acción Social por la Música)」という名前がついています。ベネズエラでは、音楽活動はもはや社会活動なのです。「Tocar y Luchar(奏でよ、そして闘え)」 エル・システマのスローガンを胸に、子どもたちは今日も奏で続けています。いつか、エル・システマと「明子さんのピアノ」「パルチコフさんのバイオリン」の共演があったらいいな、と遠い夢を抱いています。モンタルバン音楽練習所の子どもたちと もっと見る

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