研究者・吉野良祐さんによるレクチャー「祈りの空間〜近代の室礼〜鉄川与助と日本教会建築のあゆみ」9月10日18:30より富山市中央通りカフェ・レンタルスペースTsunag.で開催しました。本コンサートに興味のある方、古い建築物を現代に残す運動をされている方々、建築家の方などが参加されました。講演1. バロック2. 建築史という学問3. 鉄川与助と長崎の教会群4. 鉄川与助の人物像と近代建築評価5. 難航した世界遺産登録6. 「文化財」か「日常」か時折、吉野良祐さんから参加者へ質問があり、一人一人が自由に発言できてとてもリラックスした雰囲気で進められました。各項目ごとに参考図書も実物が詳しく紹介されて、好奇心をくすぐられました。建築史では、時代の最先端をいく技術を駆使した、そして費用のかかった建物=教会や宮廷といったものが研究対象になガチでそうした動きが文化財保護の在り方に影響するということ。要するに、文化財の決め方として、最先端の技術とか、費用とか、大きさとかが重要になっているのですね。具体的に国宝(建造物)は、近世以前では神社、寺院、城郭、住宅などが計225件。近代では旧開智学校校舎、旧富岡製糸場、迎賓館赤坂離宮のたった3件。民家は0。なんです。人々の日常がある建物、民家が顧みられないという現実を気付かされました。上の写真は参加者の小畔美治さんが持参されたご自身の制作「堂崎教会」ケント紙の切り紙細工です。下の写真は当日の資料。鉄川与助(1877~1976)は五島列島出身の大工職人、建築家。建築に携わった今村天守堂、青砂ヶ浦天守堂、江上天守堂、田平天主堂が重要文化財に指定されています。一人が関わった重要文化財として圧倒的な数です。しかしながら、世界文化遺産となっている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に鉄川与助の作った教会が建築物としてではなく集落の一部でしかないのです。これは、当時「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」構成資産として、2つの城跡、3つの歴史的景観、9つの教会建築を推薦したものの、イコモスから禁教期とどのように繋がっていたか歴史的な説明が不足していると指摘され、「教会建築」から「集落」へ焦点を移し、最終的に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として認められたという経緯があったことを知りました。レクチャー最後に参加者から、◉「明治村で古い建物を見学しているうちに頭が痛くなってきたなぜか考えたのだが、そこには生活がないからだと気がついた」◉「たとえば楽器。博物館に収められている楽器と演奏に常日頃使われる楽器と、どちらが楽器として幸せなんだろう?」という発言があり、吉野良祐さんから、「建物の本当に価値は、実際に足を運び、その場所や空間を自らの身体で体験してみる。そういう積み重ねの上で多くの人々に愛されるものになっていくことにあり、そうなっていくことを願う。そして、ビーバーのロザリオ・ソナタも奇跡の曲として崇めるよりも数百年前の信仰と暮らしに想いを馳せるような素朴な聴き方こそが良いのかもしれない。」と、すばらしい締めくくりの言葉をいただいて和やかに終えることができました。引き続き、活動報告をいたします。