こんにちは!LUCKY4回生の淺野友紀菜です!今日は私からLUCKYの支援活動について話したいと思います!(支援の話ですが、出来るだけ簡単な言葉で書くので、軽く読んでもらえたら大丈夫です)今までにLUCKYは2つの学校を支援してきました!1つ目はラムジャコット村のマヘンドロダヤセカンダリースクール。この学校は校舎の老朽化が激しく、地震の影響もあったことから、新校舎の建設を行いました。LUCKYの初めての支援校だったため、村の人とのコミュニケーション、寄付金集め、お金や情報の管理、NPOとの連携の仕方など多くの壁にぶつかりました。多くの困難を経て、校舎完成までは5年もの時間がかかり、村の人にも多くの迷惑をかけました。毎年村を訪れて子供達に授業をしたり一緒に遊んだりするのは楽しかったですが、訪れる度喜んでくれる村人もいれば、一部にはまだ学校は建たないのかと怒る村人もいました。開校式ができる予定だった春。村に行けなかった私は、建設途中のまま止まっている校舎の写真を見て悔しい気持ちになりました。あんなにも活動を頑張ったのに、どうしてまだ子供達に学校を届けられないのか、と。今は学校が完成し、開校式も行うことが出来ました!!しかし、私個人の思いとしては後悔の残る支援だったと思っています。2つ目の支援校はシルコット村のスリーパトマジョティベーシックスクール。この学校では、校舎建設は政府の支援で行われることが分かり、教材等の50万円程度の物資支援を行いました。この村は先生達の意欲がとても高く、先生達は、「カースト制度に関係ない仕事に就くために、子供達に学力やパソコンスキルを身に付けさせたい」と話していました。ネパールの貧しい農村の人々の生活は自作自農で暮らすか、村の学校の先生になるか、街へ出稼ぎに出るかです。出稼ぎに出ても、カースト制度により仕事は限られ、ネパールの最低賃金はRs13,450ルピー/月です。これは日本円だと13,000円/月程度…。(日本の大学生のアルバイト代より少ないですよね(>_<))人々は、村の中では十分平和に幸せに生きていけますが、村を出たいとか、もっといい暮らしをしたいと思えば、沢山勉強して国外で働いたり、カーストに左右されない仕事に就かなくてはいけません。(日本で働いているネパール人達はそうやって国外に出てきた人達です。)そんな先生達の思いに応えようとLUCKYは教材やパソコン等を寄贈しましたが、子供達の学力アップにどこまで役立つのか、まだ結果は分かりません。今後も訪問を繰り返して、成果を確認していく予定です。過去2つの教育支援を通して、支援を続けることの難しさや言葉や環境が違うことによる支援の不確かさを何度も感じました。街頭募金で少しずつ集めた支援金のみでは、継続的な支援が難しいことも痛感しました。そして現在、LUCKYは3つ目の学校を支援しようとしています。「給食設備を作り、学校で学べる子供達を増やす」今までの学校建設や教材支援とは異なった新たな支援で、LUCKYにとって大きな挑戦です。そして、この「給食プロジェクト」に先立ち、LUCKYはクラウドファンディングにも初挑戦しています。詳しい支援の内容は、クラウドファンディングのサイトに書いてあるのでそちらを見てもらいたいですが、↓https://camp-fire.jp/projects/view/149437過去の支援で経験した困難や失敗を繰り返さないよう、教訓を生かして、プロジェクトを成功させたいと思っています!新たな後ろ盾となるNPO法人も決まり、全てが新しい、『LUCKYの再出発』だと、私は思います。そんなLUCKYの新たな支援を応援してくれる人が、1人でも増えたら嬉しいです!応援の形は、お金の支援だけじゃありません。SNSで共有したり、周囲に広めたりして貰えるだけでも、積み重なれば大きな力になり得ます。是非、応援よろしくお願いします!!
ソーシャルグッド の付いた活動報告
こんにちは!外交班2回生 上田那渚です。今回は、給食プロジェクトで支援しているマッチャカンヤスクールを視察した時に感じたことを書こうと思います。 給食プロジェクトを始めるにあたって、学校の先生、生徒、近くに住む村の人にヒアリングを行いました。 ヒアリングでは、現地ガイドさんとラッキーメンバーであり、ネパール人のハナさんを通して、教育について、生活についてなど沢山質問しました。そこで、学校や勉強に対する考えや気持ちを深く理解することができました。 ヒアリングを行った村は、緑が少なく、土はカラカラ。田舎で育った私は、こんな土地じゃ植物を育てるのは大変だなと感じました。 そんな村で1人のおばあちゃんに出会いました。そのおばあちゃんは、「毎日仕事を探しに町まで降りて、石を運ぶ仕事などをしている。もらったお金で孫と手の不自由な旦那さんを養っている。毎日生活するだけで精一杯で、ペンやノートを買ってあげられないから、孫を学校へ行かせたいけど、行かせられない。」とおっしゃられていました。私は自分の力だけでは、どうしようもない、手をつけられないっていうのはこういう状態なんだな、と思いました。周りの子供達は学校へ通っているのに、自分は1人でする事もなく時間を潰す。そんな毎日を過ごすお孫さんの気持ちはどうなのでしょうか… 学校に通っていない子供達はとても大人しい、そんな印象を受けました。私たちを見ると走って距離を置いたり、隠れたりしてしまいます。学校に通っている子供達は言葉が通じなくても、一生懸命ジェスチャーで伝えようとしてくれたり、手を握ってくれたりしてくれました。学校はただ学ぶための場所ではなく、社会性やコミュニケーションを学ぶ場所です。人間として成長していく中で、学校という場所は無くてはならないものです。少しでも多くの子供達が学校へ通えるように、より良い環境で教育が受けられるようにラッキーは支援していきます。ぜひ、ご理解とご協力お願い致します。
lucky二回生の朝本祐可です。私が所属する学生団体luckyには、運営班、企画班、外交班 の3つのグループあります。私が入っているのは運営班です。なぜ運営班にしたのかというと、3つ理由があります。1つ目は、裏方の仕事がしたかったからです。 2つ目は運営が一番大切だと感じたからです。3つ目は一番の決め手となったことなのですが、運営班が他の班に比べて人気がなかったからです。当時周りでは、どの班に入るかという話で、外交班か企画班の名前しか出てていませんでした。 運営って大事やのに、誰も入らんかったらなんかやばそう…そう感じたので、最終的に運営班に決めました。私が運営班で担当している仕事は主に募金活動や募金のお金の管理です。luckyでは各曜日ごとに分かれて募金活動をしています。各曜日グループがそれぞれ月2回ペースで行っています。大学の講義を受けた後行きますし、募金活動をする回数も増えたので正直しんどいと思うこともあります。でも、いざ募金活動を始めて周りの方々から温かいご支援をいただくと、とても嬉しく感じますしもっと頑張ろう!!という気持ちになります。 募金活動でも5月30日から始めたクラウドファンディングでも学生団体luckyを支援して下さる方々が大勢いらっしゃいます。本当にありがたいです。そして、luckyを支援して下さる方々がいるからこそ私たちはネパールの子供達を支援することができるのだと日々痛感しています。今後ともどうか学生団体luckyをよろしくお願いいたします。最後まで読んでいただきありがとうございました。
こんにちは私は同志社大学三回の辻恵里菜です。ネパールの村では学校の先生や村長さんなどの都市との繋がりがある人以外は、ほとんど携帯を持っていません。だから村で子供達の写真を撮っているとみんな集まってきて携帯を取り合い興味津々に携帯をあれこれ操作します。私たちは普段から写真を撮っていますが村の子供たちは写真を撮られる機会は少ないので、カメラを向けるととってもステキな素の純粋な表情が撮れることが多いです!なので私はネパールから帰ってきた後はカメラロールをたくさんたくさん見返します!照れる子もいますカメラロールを見返すとネパールの村の子供達がいつのまにか自撮りしてることに気づいたりもします。笑特にこのオレンジの帽子をかぶってくれている女の子。マンジュっていいます!この子は2年前に初めて会った時に特に心を開いてくれているわけではなかったです。↓二年前のマンジュしかし今年の春にネパールに行った時ついに心を開いてくれて仲良くなることができました。私のネパールネームがガジャリって言うのですが、「ガジャルー!!」って言って走ってきてれた時はとても嬉しかったです!カメラが大好きでいろんな写真を撮ってくれます。カメラを向けると素敵な表情をしてくれます。ネパールの村の子供達は純粋でとにかく癒されます。このようなネパールの子供達のために、私たちは現在実施しているクラウドファンディングを全力で取り組んでいます。絶対に成功させて、すこしでも早くネパールの子供達に報告して、喜んでいる笑顔を見たいです。どうか温かいご理解ご協力お願いします。以下のURLから私たちのクラウドファンディングのサイトが見れます。すこしでも興味をもっていただけたら幸いです。https://camp-fire.jp/projects/view/149437
ー募集ー日給:400円業務内容:炎天下で砂埃が舞う中、重たい石の運搬勤務時間:9時〜17時備考:天候や受注の状況により不定期のお仕事になります。 この求人を見てあなたは何を思うだろう? 「あなたにはこの仕事以外は紹介できません。それが嫌なら無職です。」 まさにそんな現実が突きつけられている人達がネパールにいる。私たちがヒアリングさせていただいたおばあちゃんはその1人だった。 56歳の細身のおばあちゃんは、この仕事で自分の生計を立てているだけでなく、手の不自由な旦那さんと孫も養っている。 生きるためには働かなければならない。ただ、安定した職に就けないのはなぜなのか? それは、おばあちゃんが『教育』を受けていないからだ。読み書きや計算などの生活の基礎知識がないと就ける仕事が非常に限られてしまうのだ。 ▲おばあちゃん達が住む村。家はレンガ造。 おばあちゃんの家族にはある共通点がある。 おばあちゃんは学校に行っていない。2人の息子も学校に行っていない。 孫も学校に行っていない。 みんな『教育』を受けていない。 これはなにかの偶然なのだろうか? 『教育』を受けられない。だから、字が読めない。計算できない。だから、安定した職に就けない。だから、収入が少ない。だから、子供に『教育』を受けさせられない。だから、子供が字を読めない。計算できない。だから、子供が安定した職につけない。・・・ これはただの偶然なんかじゃない。確実に貧困の連鎖に陥っていた。 ▲家畜の水牛は痩せて肋骨が浮き出ていた。 実際、家を出た32歳と35歳の息子は現在職につけていない。 孫は今12歳だ。私がおばあちゃんに「給食があれば、孫は今からでも小学校に通える?」なんて本気で聞いたものだから周りの大人は苦笑いしていた。 彼は給食を支援できても小学校に入って1年生から学ぶ余裕なんてないんだろう。 もう手遅れだった。 彼は一生教育を受ける機会はないのだろう。 このままでは貧困の連鎖は続いていく。 彼は将来どんな生活を送るのだろうか。 現状を知った今、動き出さずにはいられなかった。誰かが動かなければこの連鎖は終わらない。 おばあちゃんは私たちに、 「本当はとても学校に通いたかった。昔は早く嫁いで家庭を持つことが女性の理想だとされていた。だから、女の子に勉強させても意味がないと言われ、学校に通わせてもらえなかった。」 と涙ながらに語った。 こうなってしまった今、私たちはおばあちゃんや孫に何かしてあげられるだろうか。 時間は巻き戻せない。 私たちは今できることを全力でやるしかない。 学生団体LUCKY 副代表 真鍋 達也