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給食を提供し、ネパールの小さな村の子供達の【人生】を変えたい!!

私たちが支援をしているネパールの子供達の中には、家庭の経済的事情により、昼食を食べられない子供がいる。学校に通えない子供さえいる。給食制度を通して家庭の経済的負担を減らし、子供達が勉強に集中できる環境を提供します!

現在の支援総額

1,056,000

105%

目標金額は1,000,000円

支援者数

174

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 174人の支援により 1,056,000円の資金を集め、 2019/06/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,056,000

105%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数174

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 174人の支援により 1,056,000円の資金を集め、 2019/06/30に募集を終了しました

私たちが支援をしているネパールの子供達の中には、家庭の経済的事情により、昼食を食べられない子供がいる。学校に通えない子供さえいる。給食制度を通して家庭の経済的負担を減らし、子供達が勉強に集中できる環境を提供します!

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Charity Aid Foundation の付いた活動報告

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僕たちは何のためにボランティア活動を行なっているのでしょうか。企画班3回生の大島和也(おおしまかずや)です。僕はLUCKYに入って、街中で募金を呼びかける機会を得たのですが、思いのほか協力してくださる方が多くいます。僕がLUCKYに入ってなくてLUCKYの募金活動に出会ったとしたら協力できていないだろうなと思います。今までの僕にはボランティア精神がまったくと言っていいほどありませんでした。でもそれが悪いとは思っていません。いままでそういう経験がなかったのですから。経験無しでは育まれないものだと思っています。例えば、ゴミ拾い。中学校や高校で街のゴミ拾いをすることがあると思います。最初は「何でそんなことしなきゃいけないんだ」と嫌々参加する人が多いとまでは言わないですが本当に意義を感じて行なっている人は少ないでしょう。しかし、無理やりでも参加し体験する中でこんなにたくさんゴミが落ちてるんだ。街が汚れてるのは良くない。と今までは意識しなかった気づきが得られます。そこから考えが変わりいつもしていたポイ捨てをやめよう。ゴミを見つけたら拾うようにしよう。と新たな行動が生まれます。ゴミ拾いを一度も経験してこなかった人がこのような考えを得られるでしょうか。僕はそうは思いません。人は経験から学び、考える時間があって徐々に自分の中に新たな領域が生まれるものだと思っています。僕はLUCKYに入ってボランティアという領域を獲得できました。ボランティアを経験していない人の中には自己満足なのではないか。集めたお金をちゃんと使っているのか信用できない。などと思っている人がいるかと思います。特に日本はボランティア活動に対してあまり理解がないなと感じます。 それが悪いとは言いません。日本はボランティアの文化が根付いてないからです。もちろんまったくボランティア精神がないとは言いません。大きな災害が起こった時、たくさんの人が被災地に支援をしました。それはテレビの映像などを通して災害を間接的に経験したからです。しかし、一時的な支援はものすごいですが、日が経つにつれて忘れられていきます。(もちろんずっと献身的な支援をしている人もたくさんいます)日本のボランティア精神は他の国と比べたらどの程度なのだろうとふと疑問に思って調べてみました。Charity Aid Foundationという団体が世界寄付指数(world giving index)なるものを毎年公表していました。https://www.cafonline.org/about-us/publications/2018-publications/caf-world-giving-index-2018144カ国を対象に以下の3点でボランティア精神を測っています。①手助けを必要としている見知らぬ他人を助けたか②チャリティー団体などに寄付をしたか③チャリティー団体などにボランティアとして自分の時間を      提供したか日本はなんと128位でした。最新版の1位はインドネシアでしたが、過去5年の平均を見るとミャンマーが1番のようです。決して日本より豊かな国とは言えないですが、ボランティア精神は日本より豊かです。なんでミャンマーはそうなっているのかと少し調べてみるとこんな文章を見つけました。ここミャンマーでは、村のためにボランティアをするのは名誉なことで、村の中で尊敬されるんですよ。彼女たちにはそれだけで十分なんです。ミャンマーではボランティアはすばらしいこととされている。親たちがボランティアをして社会に認められてる姿を見ているからボランティアはいいことなんだと子供たちも受け継ぐ。想像でしかないのですが、きっとそういう好循環があるのでしょう。ボランティアとは志願者という意味です。何かを助けたいと志願して活動しているのです。皆さんにも何か意思を持って志願してほしいです。かといって志願しないことはダメなことではありません。志願とは強要するものではないからです。ですが、自分は志願しなくとも、志願するものに疑いの目をかけたり厳しい言葉を吐いたりするのではなく賞賛してあげられる社会に日本はなってほしいと思います。その賞賛がボランティアをする者の励みになりますし、その励みで助けを得られる人たちがいます。僕はネパールに行った経験を通して貧しい境遇の子供たちのために支援することに志願しています。街頭募金活動では冷ややかな目を向けられることもたまにはありますが、がんばってねと協力してくださる方もいます。とても励みになります。 もし街中で募金を呼びかけている学生を見かけたら、がんばってねと少しでもいいので協力してあげてください。ちなみにLUCKYはいまクラウドファンディングに挑戦しています。貧しい地域の学校に給食制度を作ることで学校にさえ行けばご飯が食べられるという環境づくりをめざしています。貧しさから学校に行けない子供が学校に行く理由になるような制度であると思っています。もし時間があるのならクラウドファンディングのページを読んでください。ネパールを間接的に経験してください。その上で、僕たちと一緒に給食制度の支援に志願したいと思ってくれた方はご協力お願いします。文章の構成を定めぬままにどのように書いたら伝わるだろうかと考えながら書いたので、首尾一貫した文章ではなかったかもしれません。でもこの文章を考えながら書くことでまたひとつ僕のボランティア精神が育まれたと思います。考えれば考えるほどほど難しいですが、正解がない世界なので考えた上で自分が納得できる方向で進んでいくのが良いかと思います。拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました大島和也