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アンダーグラウンドのパンクレーベルが観光地じゃない京都、長の室で作る「MCR米」

今年は豊作でしたので一般発売致します。なくなり次第終了致しますのでご注文はお早目に。

パンクを中心としたインディーズレーベル、 創業1983年のMCR COMPANYです。 64歳の若さでこの世を去った父の田畑とご近所さんから託された農地、 約二万平方メートルの農園で減農薬米と無農薬野菜を作っている兼業農家でもあります。

現在の支援総額

435,400

435%

目標金額は100,000円

支援者数

93

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/05/29に募集を開始し、 93人の支援により 435,400円の資金を集め、 2019/07/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

435,400

435%達成

終了

目標金額100,000

支援者数93

このプロジェクトは、2019/05/29に募集を開始し、 93人の支援により 435,400円の資金を集め、 2019/07/31に募集を終了しました

パンクを中心としたインディーズレーベル、 創業1983年のMCR COMPANYです。 64歳の若さでこの世を去った父の田畑とご近所さんから託された農地、 約二万平方メートルの農園で減農薬米と無農薬野菜を作っている兼業農家でもあります。

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2019/07/11 15:11

MCR農園には強力な助っ人がいます。今こうしてこの文章を書いているのは車のラジエーターを修理する仕事の合間で、先日も少しお話ししましたが、自動車屋さんから電話を頂いたら早急にGOする仕事です。お客様はいち早く修理を待ち望んでいらっしゃいますので当然のことです。

その時間、農園に草刈機を背負ったその強力な助っ人が登場します。動物霊園を営む彼は手馴れた手つきで今まさに活動期の雑草を刈り取ってくれます。彼がいてくれるお陰で夫の負担も村のみなさんの負担も軽減されているのです。
その彼に先日亡くなった叔父が何十年と手がけてきた農地を片付けてもらいました。
夫の父方の叔父がこの世を去ったのはこのプロジェクトを開始して間もなくのことでした。

亡き父の従姉妹である叔母さんの旦那さんですので、そんなに近い親戚ではないのですが、同村に住む祖母のことをよく気にかけてくれた気の良い叔父でした。

私たちの仲人も引き受けてくれた叔父との距離が縮まったのは田んぼをし始めた頃から。

毎年、田植えを迎える頃からうちの田んぼの様子を見に行ってくれては、かかりつけの医者へ行くついでにうちの店に寄ってくれていました。

「あれでは水が多ーいーのぅー」と教えてくれるのですが、コップの水ではないのでよくわかりません。どれだけ少なくするのかは自分次第です。
「お前、あれでは少なすぎるじゃろ?よう考えーよ。」と言われるので少し増やしてみる。
「まああれやったら上等じゃろ。良いじゃろ。そやけど毎年(気候によって)違うでの、よう見とれよ。」と言われてホッ。こんな風に本当に根気よく丁寧に教えてくれるのです。

稲刈りにも昨年まで毎年来てくれ、機械で刈ることのできない四隅の刈込をしながら、私に刈り方や今年度の失敗点をこと細かく教えてくれました。
稲刈りをした後、乾燥して籾摺りをするのはいつも夕方農園仕事をした後ですから、外は真っ暗です。
軽トラに乗ってやって来て、うちの玄米を手で触り「粒が小さいのぅ」と言いながら機械の調整をしてくれて、でもここ数年は毎年「良いのがでけた、上等じゃ」と嬉しい事を言ってくれると同時に「ワシものぅ、もう先長ないで片付けとんじゃ、後のもんに迷惑掛けるでの」とまるでその日がわかっているかのような言葉が叔父の口から出るようになり、今まで大事に使って来た道具を「ワシはいらんで使え、使てくれたら良いど。遠慮すなよ。」と言うようになっていきました。この春に家へ行った時には「もうわからへんど、どうなるじゃろ知らん」と言い、それからまもなく入院しました。

そんなに重くとらえていなかったのと叔父が来なくていいと言うので、言う通りにしてお見舞いにも行かず。だけどこれまでのように大きな精米機を使えないので家庭用の精米機を注文して欲しいと頼まれており、それを持って家に行ったらちょうど退院して来た日でした。
今までなかった手すりが付けてあるのに気付きましたが、特にそれには触れず、叔母の言うように精米機を設置していると、車椅子に乗った叔父が隣の部屋から顔を出し言うのです。
「もうこんなんなってしもた」
内心驚きましたが、ここで私たちが落胆してはいけないと思い、
「おっちゃん、今年は長いこと寒て用事ができなんだけど、またいっつもみたいにやりたいことばっかりでじっとしとってないって。じきに元気になるで。」と言うと、
「世話になるのぅ、悪いのぅ、ほじゃけど、それ買うといてもろたら安心じゃ。もぅ、よぅ持たんでのぅ、重たいもんは。」
と笑っていたので、以前ほどではなくても叔父とのやり取りは続いていくものだと思っていたのです。

だけど、 その日からすぐに再入院してしまったので「しんどいからしゃべれんし、誰にも来てほしくないって言うんや」という娘さんに今度はお見舞いに行かせて欲しいと頼んでみました。

その翌日のお昼前、その娘さんから電話があり
「父が勝隆くんに会いたい、今から来てー言うとるから来て欲しい」
私も行きたかったのですが、店をからっぽには出来ず夫だけで。

病室に入ると叔父は夫の手を両方の手でしっかりと掴み、
「頼むでのー、勝隆くん、頼むでのー」と
精一杯の声で言ったそう。それが叔父とのお別れでした。

人の死はある日突然に訪れるものですが、叔父はその日がわかっていたかのように夫に農業のノウハウを託し、身の回りを綺麗にして旅立ちました。その叔父が稲刈り時に出会うその強力な助っ人、せいじろうのことを大層気に入り「あんなええ子をどこでスカウトしたじゃ?」と毎年褒めていました。そのええ子に自分の手がけた農地を片付けてもらい、叔父も喜んでいると思います。


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