2019/06/05 11:24

こんにちは


デフフットサル日本代表10番 松本 弘です。

福岡県出身で、東京育ちの33歳です。

チームでは船越、風間に次ぐいわゆる年長組です。


まず、本日までに210名の方に支援して頂き本当に

ありがとうございます。

また先日の岩渕主将の記事にもありましたように10万人

の方に拡散され、ただただ驚いております。


「なぜ驚くのか?」

「先日ろう学校で講演したときに感じたこと」


この2点をしてフィーチャーして私の生い立ちと共に

ご紹介していきますので、最後までお付き合い頂きたいと思います。



「生い立ち」


福岡時代は小学校3年生まで、普通の小学校に通っていました。

「普通の学校」この普通の学校という言葉には健常者からしたら、

違和感があるのだろう。

しかし、ろう者にとっては普通の学校又はろう学校の選択がある。

その為、ここでは普通の学校と使わせていただきます。


私は、両親共に耳が聞こえず、先天性の障害を持って生まれた。

幸いにも補聴器をつければ、なんとか音を拾える、周囲の言葉

が理解できるレベルなので幼稚園の頃から発声の練習に費やし、

また両親の声、耳となり通訳もしてきたことで発生が上達した。


両親から常日頃言われたのは「自分の言葉で伝える大切さ」

よりも「自分の声で伝えることのできないつらさ」を聞かされました。

なんでこんなつらい発声練習しなくちゃいけないのかと嘆くこともありましたが、このつらい時期が数十年後になって

感謝する日がくるとは当時は思いもしませんでした。

話は飛びましたが、小学校2年のある日、同級生のイジメから助けてくれた近所のお兄さんの誘いもあって

サッカーをやることになりました。これが僕のフットボールの出会いです。

ちょうどJリーグ開幕と重なっていた時期なのでそれはもう毎日のようにサッカーをしていました。

が、4年生になると父親の転勤を機に東京に。


これまで勉強よりも発声練習に時間を費やしたために普通の学校に転校しても遅れてしまうという理由で

ろう学校に通うことになりました。


「ろう学校での過ごし方」


ろう学校では普通の学校とは違い、教室のドアを開けると

馬蹄形に机が並んでいます。これはお互いの口と手話が見えるため。

当時のクラスには6人しかいなく、同学年は14人。

とてもじゃないほど寂しい。

それでも手話が飛び交う教室は静寂の中に賑やかな光景を記憶している自分がいます。


当然のように大好きなサッカーを学校ではすることはできず、家の近所のクラブチームへ

クラブチームだけあって立派な環境にレベルも高く小学生ながら武者震いするほどでした。

が、両親が耳が聞こえなく緊急の連絡ができないという理由で入部を断られました。

今では時代の変化で携帯電話があるのでこのようなことはないと思います。


こうして大好きなサッカーは、学校の昼休みで数人の仲間と蹴る程度。

体育教員もちょうどサッカーが好きだったのでちょっとしたブームになった時期も。

中学も高校も、ろう学校に進学。

サッカー部ができるような人数には程遠いので、やむ得なく野球部へ

ポジションは捕手で4番。

捕手というポジションから常に相手を観察し味方にもアドバイスする癖がここで根付いてきたのかな。

※ちなみに当時の野球部監督は、パラリンピック競技”ゴールボール”男子日本代表の現ヘッドコーチ!!


「デフサッカーとの出会い」


20歳のころにデフサッカーに出会い、ちょうど選考会が行われた頃だったので応募しました。

選考会では50人の選手が体力テストから始まり実戦形式が行われました。

どうにか監督の目に止めてもらおうと、あえてアクロバティックな技も取り入れこの作戦は成功。

次回の合宿にも呼ばれましたが、合宿を重ねるごとに、当然サッカー経験が著しい私は、次第に周りとの連携に苦しみました。

なぜ自分のような選手がいきなり選出されるのかと思うこともありました。

が、当時チームの中心選手だった船越選手の「監督が選んだ選手の一人なんだから、失敗なんか恐れずに自分のプレーをしたらいいんじゃないか。」

という一言に励まされました。それ以降は日の丸を胸に13年もの間代表に選出され、数々の国際大会に挑んむことができました。



「川元監督と出逢ってしまった」


ここで皆さんに質問です。

サッカーとフットサルは別物でしょうか。

私は川元監督と出逢うまではサッカーとフットサルは別物だと感じてました。

ルール上はもちろん、ボールも違います。

でも監督に言われたんです。

「フットボール」って!!

それってろう者と健常者と区別しているようなものかもしれない。

監督の言葉を借りるなら「ヒューマン!!」って!


こうして川元監督の言霊(言魂)に励まされ、フットボール選手として、フットサルにも挑戦することになりました。

監督の言葉、選手と真剣に向き合ってくれるトレーナで挑んだ2015年のタイのでフットサルW杯。

日本は強豪国イラン、ロシアと僅差の試合を落としてしまい予選敗退。

順位決定戦まであったこの大会は、最終日まで滞在することになっていた。

世界のトップレベルの試合を観ようと決勝戦のスタジアムへ

決勝戦カードは、地元開催のタイと連覇のかかるイラン。

スタジアムは満員のタイのサポーターで埋め尽くされていた。

地元の応援団も横断幕を用意(タイの指文字)やチャントでタイチームを鼓舞。

試合は序盤から攻守の切り替えが早く、激しいデュエルで繰り広げていた。

それでも巧みに試合を進めたのは王者イラン。

最終的に3-8のスコアでイランが連覇を成し遂げた。

なぜイランは強いのか?優勝すると国からの待遇がかなり手厚い(家を支給されるなど)。

ハングリー精神とは言われるが果たしてそれだけなのだろうか。

一人ひとりの能力、フットボールに向き合う中での日々のトレーニングも果たして彼らに勝っていると言えるのだろうか。


「東海林と上井」

OURVISIONというプロジェクトを語るうえで東海林、上井は外せない。


この2人が2015年感じたことを、帰国後トレーナーと相談しながら、このプロジェクトを設立した。

プロジェクトは今も進行中で、多くの企業やサポートもあり、日本代表は見違えるほど強く、大きくなった。


2015年にいなかった選手はきっと東海林や上井の言葉、ひたむきに向き合う姿勢に一緒に戦いたいと思う選手が出てきたのではなかろうか。

昨年冬には有志を募りスペイン遠征も計画してくれた。スペインで経験したこと、教わったことも多くの財産となった。

そして、2019W杯出場権をかけたアジア大会。当初は別の国で開催される予定だったが、運営国の準備不足により大会が延期。

それに伴いタイでの開催に変更された。

4年ぶりに踏むこの地で並々ならぬ決意と覚悟を持って挑んだ。

予選を2位で通過すると、準決勝の相手は別ブロック首位の前回W杯準優勝タイ。

前半終盤に1点を失い、ハーフタイムのロッカー。

「いける!いけるって!」

この言葉には4年前とは違った感情があった。ここに来るまでの過程。


アジリティに勝るタイと互角に渡り合えている。

後半が始まるとセットプレーから立て続けに得点し3-1、試合終盤にタイの猛攻で1点差に迫るも、ここで試合終了のフラッグ!!

チーム全員が戦っていた。日本からの応援エールも届いた。

数十年前、電話でしか連絡手段がない時代からメール、チャットと文字で言葉を送れる時代になり、「伝えられないつらさ」を時代が変えてくれた。


決勝戦のイラン。

試合前、言葉の少ない両親からのLINEに「思いっきりやってきなさい。応援してる」ふり絞った言葉を頂戴し、挑んだ。

この大会ではフットボール経験のある手話通訳兼メンタルコーチも帯同。

ピッチに立って聞く「君が代」は、手話通訳の手によって選手に伝わり、国歌を斉唱する。

それぞれの想いを乗せた声は、肩を組むその手から振動が伝わる。きっとこれはデフ特有の感覚かもしれない。

決勝は4-0のスコアで敗戦。

上井、東海林が作ったこのプロジェクトは間違いなく世界一を取る可能性を残している。


「ろう学校の生徒」

先日ろう学校の中学生の前で生い立ちから現在に至るまでを講演してきました。

終盤の質問コーナーの時間になり、

「みんなに夢や目標はありますか?」と問いだしたら

なんと回答がゼロ。

恥ずかしいとかそういうのを抜きにして回答がないのは寂しく感じました。

そこで目標に関してて、話してみることにしました。

すると前列にいた男の子に

「サッカーが好きで日本代表を目指したいどうすれば日本代表になれますか?」と

質問があった。

この質問は、勇気を振り絞ってみんなの前で宣言したその勇気がとてもうれしかった半面

質問の中身にちょっと正直どう答えていいのか迷った。

「君が考えている以上に日本代表選手として犠牲にしなくてはならないことも起こるだろう。それでも今年行われるW杯で優勝して君が日本代表になった頃にはもっといい環境でやれるよう僕たちも結果を残していくから応援してね。」

と答えた。

犠牲というのは、先日の野寺選手の投稿記事にもありましたように日本代表といえども自己負担を始めとした様々な困難。

その中でもやはり金銭面での工面は大きな問題となる。

過去には大会の参加費が支払えなくなって親に頭を下げることもありました。

失ったものは多くはないけれども、工面するために大事な仲間の誘いも蹴ることもありました。

犠牲にしてまでも、日本代表として世界一!

子供たちが将来何不自由なく日の丸を胸に世界と戦えることが出来る環境を作り上げていくためにも現日本代表で大きな成果を成し遂げたい!

金銭面の不安を取り除いて世界へ盤石な体制で挑みたいのが本心です。


そして日本のデフの子供たちが誇れる日本代表を皆様と共につくりあげていきたい。


その一方で、去年4月からフリマあぷり「mercari]に転職。

メルカリが掲げる3つのバリュー

「Go Bold」「All for One」「Be Professional」に共感し、メルカリアスリートとして大きな挑戦を手助けして頂いています。

また、月に1回開催される手話教室では、皆さんに触れ、私たちのような障害と接する方法も伝授しています。

デフは外見では判別しにくく、デフの中でも自身がどのように支援してどこまでできるかをうまく伝えきれていない

人が多く見受けられます。

それはやはり耳で聞く情報を目で得るしかなく、目で得る情報もうまく解釈できないという背景があるからだと思っています。

そういった差を埋めるべく、手話教室を通じて皆さんとよりよい環境を作ることも大切だと思い始めました。

こちらはデフサッカー日本代表の現在ドイツで奮闘中よ林選手と一緒に始めた手話レッスン!https://mercan.mercari.com/articles/2019-01-25-193000/


もちろん、競技に関しては金銭面以外では、専念する環境も作ってくれました。

とても感謝しています。

このクラファンが成功して、来る11月のW杯で世界一を取ったあかつきには、両親の教えにあった「伝えられないつらさ」

を自身のために発声練習したその声で


「ありがとう」と。


チームメイト、監督、コーチ、日本代表を支えるスタッフ、そしてみなさまの支援の声。

聞こえない僕らを少なく…いや、とても大きく背中を押してくれています。

10万人以上の皆様とともに世界一へ!!

10年前のサッカー日本代表のときでは考えられない数。

陰で応援してくれたとしても10万人の方に目に触れることはなかったはずです。

SNSを通して、できること。

SNSを通して「伝えられることがあること」

デフの選手は、パラリンピック大会には出場できないということをどれだけの人が知っていますか?

もっと拡散して、僕たちのこと、現状を知ってもらいたい。


どうぞ最後までよろしくお願いいたします。


そしてみなさんに私から伝えたいこと

「肩を組み円陣(縁陣)になりデフフットサル日本代表と共に挑戦しませんか。」