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デフフットサル日本代表OURVISION W杯渡航費プロジェクト

男子・女子デフフットサル日本代表は11月のスイスで行われるW杯に出場することが決定しました。 ですが渡航費用や滞在費も選手の自費での負担で賄っている状態です 選手の負担を減らし、沢山の方に応援していただき、男女共に日本フットボール界ではまだ成しえていない【男女W杯アベック優勝 】を目指します

現在の支援総額

4,554,500

22%

目標金額は20,000,000円

支援者数

726

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 726人の支援により 4,554,500円の資金を集め、 2019/07/31に募集を終了しました

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デフフットサル日本代表OURVISION W杯渡航費プロジェクト

現在の支援総額

4,554,500

22%達成

終了

目標金額20,000,000

支援者数726

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 726人の支援により 4,554,500円の資金を集め、 2019/07/31に募集を終了しました

男子・女子デフフットサル日本代表は11月のスイスで行われるW杯に出場することが決定しました。 ですが渡航費用や滞在費も選手の自費での負担で賄っている状態です 選手の負担を減らし、沢山の方に応援していただき、男女共に日本フットボール界ではまだ成しえていない【男女W杯アベック優勝 】を目指します

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2017年10月に男子フットサル日本代表のフィジカルべースの向上と競技環境を改善しよう!と立ち上げた【DeaffutsalOurvision】

障がい者アスリートではなくアスリートととして、健常者など関係なく戦えるところを目指そうと【日本代表基準=世界最高基準】という指標を作り、スタートしました。

かつて合宿などでは誰でも参加できた流れから、最低限決められたフィジカルレベルをクリアしないと参加できなくなったり、メンバーを絞り競争が起こる環境に変化してきています。
デフフットサル日本代表も確実に強くなる資質のあるレベルに近づいてきています。

デフ界において確立されていないフィジカルベースの基準をつくり、未来のデフの選手達のためにもこのように選手のレベルを上げるための活動を通し未来のデフフットボールに関わる選手達に良い影響を与えれたらと考えています。

そして圧倒的なフィジカルを作り、世界で勝つための身体を作るため、日本フットボール界において男子初めてのメダルを獲得、更には男女アベック世界一をとるために選手が自発的に活動し、デフフットサル日本代表のトレーニングに関わる活動資金や今回スイスで行われるW杯の渡航費や滞在費などを集めるためのプロジェクトになります!

2019年2月にはアジア予選がタイバンコクで開催されました

世界2位でホスト国タイを破ってアジア2位。

女子は圧倒的な強さで優勝しました。

男女共に11月のワールドカップへの出場の切符を獲得しました。
ですが、環境が整わない状態が続いています。

デフフットサル日本代表の遠征費や合宿などの活動費は基本的に選手の自己負担になります。

目標の為に死に物狂いでやる為このような活動を通し発信していこうと決めました

人生をかけた勝負、皆さん応援よろしくお願いします!

アジア予選までも本当に多くの方々に応援・サポートしていただきました。

誠にありがとうございます!


皆様の力がなければ、一つ目の目標であったW杯出場権獲得を達成できなかったと思います。

立ち上げから1年半。
本番まで残り半年。

この度、デフフットサル女子日本代表とも一緒に、このプロジェクトを活動していくことになりました。

男子だけではなく女子選手の競技環境の改善にも皆様のサポートが必要です。
これまでサポートしていただいた皆様。
新しくサポートしていただける皆様。

男女共に、熱い応援をよろしくお願いします!!

何が何でも成し遂げます!!
男女アベック優勝!

応援してくださる皆さんと共に戦い、夢を一緒に叶えましょう!

後悔はさせません!

死に物狂いで取りに行きます!

応援よろしくお願いします!

最新の活動報告

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  • いつもデフフットサルの応援ありがとうございます。クラウドファンディングも今日で終わります。チームのみんなの自己紹介も終わり、デフフットサルという、世界を目指すチームのこと、知っていただき、みなさんの心に残り、引き続き応援いただけるとうれしいです。フィジカルモンスター 中井香那、日本一、そして世界を目指す遅くなりましたが、読んでいただけるとうれしいです。私は、聴覚障害のおかげで、隣の校区の中学校に、堺市で唯一の難聴学級があり、そこに越境で通うことになります。 小学生の時から球技は得意でした。ミニバスケのようなポートボールをやっていたので、バスケ部に入る気満々でしたが、中学にはバスケ部がありませんでした。いろいろ見学しましたが、何部に入ったらいいのか、柔道か水泳かハンドボールか悩みました。初めて見るハンドボールに、走りたい、投げたい、シュートしたいと球技が好きな私はワクワクし、ハンドボールを選びました。まずはフィールドで練習しましたが、その時は仲間のかけ声や、指示もわからず、戸惑うことが多かったので、続けられるか不安になりました。中学1年の時は、チームの中にGKが1人だったため、1年生の誰がGKに使えるか、順番に回しながら、GKの練習をしていました。監督から「GKどうや?」と勧められました。初めは監督に褒められると天狗になりやる気になっていましたが、走るのが好きな私は「フィールドがやりたい。」と思い始め監督と相談したら「G Kや!」ときっぱり言われました。「聞こえないからキーパーや。」「仲間とコミュニケーション取れないからや。」とマイナスになることが多く監督とコミュニケーションを上手く取れないことが多かったので、監督からの提案で、交換ノートを始めました。ほんとに怖い先生でね、面と向かってはなかなか言えないこともノートなら、自分の悩んでること、練習のことで分からないことや、聞きたいこと、自分の気持ちを伝えるようにしました。何度も「GKが嫌になりました。ハンド部を辞めたい。」と書きました。監督からは「聞こえないからこそ視野が広く、誰よりも遠くにボールを飛ばせる。お前みたいなGKはいない。お前がいるからこそ助かる所が多い。」と書いてもらい、何度も辞めずに踏みとどまりました。監督とのノートは14冊にもなりました。監督は、以前にも男子ハンドボール部を全国大会に出場させるほど、熱血指導者です。朝練に始まり、どのクラブよりも一番遅くまで練習、土日は2部練、連休は、合宿や練習試合ばかりでした。試合に勝っても、内容が悪かったら、帰ってからも練習でした。本当に厳しくて辞めようと仲間と話ししたりしましたが、監督が怖すぎで辞めれませんでした(笑)ハンドばかりの生活だったので、中学の行事の思い出とかあまり覚えていません。(笑)修学旅行の思い出も薄い…(笑)どこに行ったけ?体育大会だけが、楽しかったなー。 髪の毛も男の子みたいに短髪でした。その時は補聴器を見られたくないという気持ちが大きくて、髪の毛切る時は泣いていたの覚えています。やっと伸ばせたのは、大学だ!幸せだった!(笑)高校も耳の上まで切られる、、、、本当に本当に嫌だった! チームの目標の「全国制覇!!!」「覇」の漢字が書けずに苦労していたの覚えています。(笑)努力は決して裏切らない。なんでも一生懸命やる、聞こえない分、人の二倍、三倍やる。勉強もそれだけやればよかったんですがね(笑)堺、大阪、近畿大会を勝ち抜き、いよいよ、北海道での全国大会!苦しい試合を、ギリギリで勝ち抜き、どんどん波に乗っていき、全国大会優勝という結果を手にしました。ハンデ乗り越え日本一と、ハンドボールの雑誌や、新聞にも載せてもらいました。地元の方もこんな横断幕を作ってくれたり、私は越境で別の中学に行っていたから、久しぶりに会った小学校の友達から「すげぇーやん」って言ってもらったのを覚えています。でもあんまり会いたくなかったなー。髪の毛が短いから見られたくなかった。(笑)あくまで、髪型にこだわる私でした。全国にいるGKは160㎝以上が多く、私は日本一のチビGKでした。でも、反射神経やスロー(速攻)は他の人には負けませんでした。チビだから上のシュートを狙われることが多く、ジャンプ力もつけました。なので、ジャンプは自信あります。(笑) 高校でもハンドボールを続けます。高校は大阪か兵庫か和歌山のどこに行くか悩みましたが、レギュラーで、出れる初芝橋本(和歌山)に決めました。高校では女の監督で、私と同じ身長ぐらいで、小さい私の気持ちもわかってくれました。(笑)県外まで通うのは確かに大変でした…帰りの電車は爆睡です。初芝橋本高校はサッカー名門校です。(今年のインターハイもベスト8に入っています。同級生でプロになった選手もいます。)彼らの練習の厳しさもみて、またサッカーの練習方法をハンドの練習に取り入れたりしました。こうして思えば、サッカーとも縁があります。3年連続インターハイ、選抜、国体も出場しました。高校にも中学のチームメイトが1人いたので、その友達が通訳してくれたり、指文字を広めてくれました。高校の友達も指文字を覚えてくれました。(その時私は手話は全く知りませんでした。)交換ノートは高校卒業するまで続けていました。毎日書くのも大変だったけど、ノートのおかげで監督とコミュニケーションが取れ、反省、目標を明確にできました。初芝橋本高校は山の上だったので、毎日走らされていました。坂ダッシュやランニングや走り込みやらされていました。ハンドのモットーが走る・速攻でした。連帯責任や自主練は絶対しないといけないルールで、テスト前でも関係なし。夜は遅く毎日クタクタでした。中学、高校で監督に厳しく鍛えられたおかげで今、あきらめない、フィジカルモンスターと言われる私があります。その後「龍谷大学短期大学(京都府)」に進みます。大学では、クラブより勉強の毎日でした。短大だったので、授業はめいいっぱい、部活へ行ったらもう終わっていたので、自主練だけでした。試合は当たり前に出れなく終わりましたが、やっと念願だったフィールドプレーヤーで、誰よりも早く走り、ハンドボールを楽しみました。日本一を目指し、走り続けてきた私が、スポーツすることの情熱を失いかけた頃、デフサッカー、フットサルと出会い、私の夢は、世界を目指す夢に変わります。フットサルは手ではなく足を使うスポーツなので、やっぱ難しいです。。ドリブルを頑張ってるところです、、、、(笑)でも守備は得意です(笑)スポーツは障害に関係なく、同じ目標を目指す仲間とともに過ごす時間、楽しかったことはもちろん、辛いことも、しんどいことも経験したこと、出会いが私の宝物です。今は、このデフフットサルの仲間、そして応援してくださるみなさんが私の大事な宝物です。一生懸命やっても思うようにならないことはある。でも、一緒懸命できる人になれる。恩師の言葉です。いやいや、思うような結果になるよう、負けない心で、より一層がんばります。目指せ、世界一!!!!お読みいただきありがとうございました。今回このような機会をいただき、自分の頑張ってきた時代を思い出し、さらに、力が湧いてきました。ありがとうございます。W杯まであと3ヶ月となりました。たくさんの方に毎回デフフットサル応援メンバーを見て頂き、選手のブログを読んでいただきありがとうございます。みなさんのたくさんの支援があり嬉しく思います。今日も明日もみなさんにとって幸せな1日になりますように。#14 中井 香那 もっと見る

  • いつもデフフットサル日本代表を応援してくださり誠にありがとうございます。#15 一色麻衣です。今回が最後の他己紹介になります!では最後にご紹介させていただくのはこちら。#10 岩渕亜依選手です!皆さんから「ぶち」と呼ばれています。我らがデフフットサル女子日本代表のキャプテンです!!私の年下とは思えないほどしっかりと自分の意見を持ち皆を引っ張ってまとめてくれたりと山本監督や選手たちからの信頼も厚く本当に頼りになる選手です。試合の中でも主力でドリブルが上手くてチャンスメイクができる選手です。ピッチに入ったら全力疾走で走り回ります。過呼吸しないか皆が心配するほどです笑試合や練習試合でベンチスタートの多い私にとってスタメンの多いぶちと一緒にピッチに立つ事はあまりないのですが2月のアジア大会の時、短い時間一緒にピッチに立ちました。パスを出しやすい所に顔を出してくれるので攻めやすくてすぐゴールに結びつきました。ぶちがピッチの上にいるかいないかで大きく変わるぐらい存在感あります!オンとオフの切り替えもしっかりできています。そして時々変顔したりと笑わせてくれたりします。寝起きは不機嫌になりやすくメンバーの中でもダントツ?で恐いらしいです笑そんなぶちと初めて出会ったのはブルガリアデフリンピック(2013年)で一緒にデフサッカー日本代表として選ばれた時です。私よりも10歳下で当時はまだ大学生でダンス好きで場所問わずどこでも踊っていて頭の中はいつも音楽が流れてるような感じでした。しかも髪もロングで可愛い少年って感じでした。 今も中学14年生と言われています笑テクニックあってドリブルが持ち味でゴール決められるFWと期待されていましたが初めてのデフリンピックで緊張したのか本来の力を出せず不完全燃焼で終わってしまい本人も不本意だったと思います。私自身、結婚出産によりデフサッカーフットサルから離れてた時期、ぶちとあまり会うこともありませんでした。4年前のタイW杯はぶちが自信を持ってはつらつとして躍動感あふれるプレーでチームを引っ張る存在に成長した姿をライブ越しに見て感動しました。しかしベスト4を懸けたイタリア戦でPKを外してしまい日本の敗北が決まり、がっくりするぶちが一番小さく見えて胸が痛かったです。そして私が去年デフフットサルに復帰して数年ぶりに再会することになります。4年前に味わった悔しさや大きな怪我や気の遠くなるような大変なリハビリも乗り越え、6年前とは見違えるほどフットサルの戦術理解度も上がり精神的にも成長したぶちと対面して驚きを覚えました。本当に逞しくなりました。今年のスイスW杯に向けて本気で世界一を獲るために健常者のフットサルチームに入部したりパーソナルトレーニング、トレーニングする時間の確保の為に転職したりとかなりストイックでフットサル中心の生活を送っています。所属チームでもキャプテンを務めています。両方とも頼りにされて凄いことです。実はチームに入部する時デフ同士対決を密かに楽しみにしていましたが私の所属チームはめでたく都1部昇格、ぶちの所属チームはまさかの都2部降格ですれ違い、対決は叶わず。。。残念です。おこがましいとは思いますが、ぶちは都2部で終わるような選手ではないと思っています。関東リーグでもやっていけると思います。もっと上のカテゴリーでチャレンジして欲しいものです。ぶち本人が決める事だから何も口出すことはありませんが密かに勝手に期待しています笑また、合宿や所属チームの練習だけでは物足りない!と危機感からぶちが中心となって関東在住のメンバーを呼びかけて週2日平日の昼間に集まって基礎練やフィジカル、アジリティなどで切磋琢磨し合っています。こうやって子持ちでなかなか思い通りにトレーニングできない私にとって皆とトレーニングできる機会を与えてくれて本当に感謝してます。また、ぶちと接する時間も増えて色々なお話をするようになって嬉しいです。それから私が家庭の事でフットサル続けるのが難しいと悩んだ時、ぶちが「シュー(私)が必要だからもし何かあった時はメンバー全員を連れてシューの家まで押しかけて土下座してでも家族の人にお願いに行くから困った時に言って!」とジョークなのか本気なのか分からなかったけどぶちの気持ちが嬉しかったです。キャプテンを任されてから自分の時間を犠牲にしていつも選手のことを考えてくれています。でも必要以上に責任感を感じて一人で抱え込もうとして自分が潰れないかちょっと心配です。そんな時、私や先輩たちをもっと頼っていいんだよと言いたいです。あまり頼りにならなくて申し訳ないですが笑そんなぶちと再び一緒にプレーできることを嬉しく思います。スイスW杯ではキャプテンらしく最高のプレーを見せてくれるでしょう。W杯まで残り数ヶ月、死に物狂いで一緒にトレーニングに励み、世界一を取って喜びを分かち合いたいです。そしてキャプテンのぶちを胴上げしたいです。以上、ぶちの紹介は終わりますが他のデフも健聴者と同じように一人一人個性があって面白いです。良かったらデフフットサル日本代表たちに会いに合宿や試合に見学に来ませんか?皆さんの応援が本当に力になります。引き続き、応援よろしくお願いいたします。最後までありがとうございます。#15一色 麻衣 もっと見る

  • いつもデフフットサルの応援ありがとうございます。#14 中井 香那です。紹介の順番が回って来ました〜今回は、#15   一色 麻衣さんのことを紹介したいと思います〜旧姓が首藤さんなので「シュー」と呼んでいます。大先輩なので、「シューさん」と呼ばせていただきますね。シューさんと初めて出会ったのは、2009年台北デフリンピック前のサッカー合宿です。台北、ブルガリアデフリンピックで一緒に戦ったメンバーです。なので、もう10年の付き合いになります。初対面のシューさんはおとなしく、クールで、しっかり者で綺麗好きだなーと思いました。実際もそうでした。(笑)落ち着いているシューさんと、よく喋る、うるさい私とは、全く正反対です。結構あこがれます。そして、また、フットサルで、一緒にプレイすることができ、よりいっそう、シューさんのことを知る機会が増えました。嬉しいです。シューさんのいいところは怪我しない。(私はいつも筋肉痛で動けないのに、シューさんはいつも普通に起き上がってる。)シューさんがテーピング巻いてるとこ見たことないし!(笑)しんどい顔しない。(私ははぁーはぁーって言ってしんどいのに、シューさんはいつも涼しい顔です。)ポジティブです!(私がデフフットサルに関わっての初アジア大会の時にシューさんに「いつも通りにプレーすれば大丈夫。」「大丈夫だよ。」という言葉をかけてもらい、背中を思いっきり叩いてもらいさらに気合いが入りました。アジア大会の時はほぼ、みんなが点を決めて、私だけ決まらないシーンが続いてたときに落ち込みましたが、、、私が点を決めた時はだれよりも一緒に喜んでくれました。嬉しかったです。)気持ちが誰よりも強い!クールなのに、気持ちは私より強いです。気持ちを張って転んでもすぐ立ち上がるし、シュートも顔面ブロックします。シューさんは、2011年のスウェーデンW杯が初出場で、2015年タイW杯では、第一子が生後3ヶ月でした。現在は2児ママさんアスリートです。今回2019年スイスW杯で8年ぶりになります。シューさんは今回が最後の代表マッチになるのかな?最後はフットサルシューズを置いて「後悔もなく、全力を尽くして気分良く引退したい。」と言っています。そんなシューさんがママさんになって競技者として、母としていろんな葛藤があり、それでもフットサルを続けること、子供への熱い思いがあります。(シューさんのブログを見てみるとわかります。是非見てください。)また、アジア大会期間中は、日本にいる子供ちゃんたちと会えない長い時間がありました。シューさんにとっても苦しい時間だったでしょうが、子供ちゃんたちに「世界一のプレーヤーだったんだよ。」そう伝えたいと、現在も頑張っています。アジア大会期間中、久しぶりに子供ちゃんたちとテレビ電話した時、泣きそうになったシューさんを見て、私まで泣きそうでした。シューさんの子供ちゃんたちは本当に可愛く、癒されます。元気の素になりますね。シューさんとまた一緒にプレーできること、私も嬉しいです。この時間を大事にし、世界大会、シューさんらしいプレーができ、充実した時間になるよう祈ります。そして、感動の瞬間を共に味わいたいです。こんなシューさんの応援を引き続きよろしくお願いします。#14 中井香那 もっと見る

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