
デフフットサル日本代表11番の野寺風吹と申します。
北海道出身の筑波大学の3年生で、「筑波大学蹴球部」と関東2部のフットサルチーム「WELDADEIRO」に所属しています。
週7回の部活動と週2回のフットサル練習、週2〜3回のウエイトを行なっています。
フィジカルを活かしたパワフルなプレーが得意です。
今日は、自分の想いを綴らせていただきます。
長くなりますが、最後までお読みくださると嬉しいです。
幼稚園まで聾学校で小学校からは普通の高校に通い、兄の影響で小1からサッカーを始めました。
高校は、いわゆる進学校で道大会にも出られないような全く無名の高校でしたが、サッカーが好きだったので3年で1人だけ9月まで残ってプレーしていました。
プロ選手なんて無理だと感じていたので、スポーツトレーナーになることを志して、1年間の自宅浪人の末、体育学部の最高峰である筑波大学に入学し、大学サッカーの名門「筑波大学蹴球部」に入部。
これが転機でした。
蹴球部のOBに同じデフフットサル日本代表の仲井選手がおり、知人に紹介してもらって、デフフットボールを初めて知りました。
そうして、デフサッカーのアジア大会のメンバーに選ばれ、その大会を見に来た川元監督に誘われて、今こうしてデフフットサル日本代表として活動しています。

そして、今年から部活動と並行しながら関東2部のフットサルチームの「VELDADEIRO」でも活動しています。
正直に言って、デフの日本代表に選ばれてからは葛藤の毎日です。
日本代表と言っても、デフカテゴリーの認知度は低く、活動費はほぼ選手の自己負担です。
私は、部活動と学業以外の時間を全てバイトに充て、バイト代のほとんどを活動費に充てても足りず、親に迷惑はかけられないと借金をし、「代表活動をやめる」「満足な食事すらとれない」「友達と遊ぶどころかご飯にすら行けない」「咳ぜんそくの通院費すら払えず、衰えていく心肺機能」と様々な葛藤に思い悩みました。
それでも、『環境は待っていても変わらない。自分で現状を打破するしかない』と感じ、個人でクラウドファンディングを行うなどして、なんとか代表活動を続けてきました。(参照:https://readyfor.jp/projects/deaffootball2025)
そこまでして続けた理由は、『代表活動を辞めるということは、自分から日本代表の価値がないと言っているようなもの。自分で価値を上げればいい。そして、それは自分の財産になる。』と考えたからです。
サッカーを良く知っている人なら「筑波大学蹴球部」と聞けば、サッカーがとても強い大学だと思い浮かぶでしょう。
しかし、私は今5軍中で4軍のカテゴリーにいます。
昨年は5軍のスタメンですらありませんでした。
4軍にいるものの、今日の試合のメンバーにも選ばれませんでした。
トップチームには世代別の日本代表や大学選抜に選ばれている人、それ以外のカテゴリーにも全国でしのぎを削ってきた選手がごろごろいます。
その中で、4軍の私が日本代表として活動していることに葛藤をすごく感じます。
関東2部のフットサルチームでも、先日の試合のメンバーから落選しました。
それなのに、やはり日本代表として活動していることに葛藤を感じます。

でも、私はデフフットボールに出会えたことにとても感謝しています。
デフフットボールがなければ、大学に入っても、卒業した後も、競技アスリートとして上を目指すという考えには至らなかったでしょう。
私にとって、デフフットボールはトップアスリートになることがただの憧れから、明確な目標に変えてくれた存在です。

11月のスイスW杯で優勝するのが私の最終目標ではありません。
『世界一を獲り、デフカテゴリーの頂点になった上で、健聴の世界でもトップアスリートの舞台で活動する。デフ日本代表のレベルを上げ、
誰にでも元気と感動を与えられるような本当に価値のある組織にすること』が私の最終目標です。
そうなったときに初めて、今抱えている葛藤がなくなると思っています。
今の私には、まだその域に達することが出来ていません。
しかし、障がい者サッカーがきっかけでトップアスリートを志し、将来健常者の中でも戦えるようになれば、より障がい者サッカーの可能性を広げられると思っています。
しかし、以前自分で立ち上げたクラウドファンディングで頂いた支援金も半年でほぼ使い切ってしまいました。
選手の金銭的負担が軽くなれば、より競技に集中することができます。
私はこの葛藤が無くなるまで闘い続けます。
どうか皆様の温かい応援とご協力をよろしくお願いします。
長くなりましたが、ありがとうございました。
デフフットサル男子日本代表
野寺風吹




