2019/08/16 11:33

初めてのドルポは2007年、馬旅だった。

この写真は、当時のもの。

慧海が越境したであろうクン・ラの峠に向かっている。

この日は、私を一番前にさせようと思って、前に行けと言われたが、私の馬君がビビって前に行かなかった。

なので、2番手を行っている。

バラサーブの背中をみながら^^


奇跡的なバラサーブとの出会いを書いてみよう!

遡ること、12年前。

一人マイブームで慧海ルートを楽しんでいたが、ど~しても国境ラインに行ってみたかった。

その頃、ドルポの情報なんて一般的に全くなかった。

唯一、旅行人ノートの全チベット文化圏完全ガイドに載っていたが、そこに書かれていたのは、研究者や作家などが多く、一般旅行者は少ない。1ページもなかった。

だから、自分なんて行ける世界ではないなぁと思っていたんだけど、、

もう我慢できず、誰に聞いたらわかるんだ、行けるんだ?!と思って、調べ尽くしてたどり着いた場所は、大西バラサーブだった。

山岳会のことなど、一切知らず、知ってたら無理だった、笑。

知らぬが仏?!状態で、無知な私に、チャンスが突然舞い込んできた。


ブログで、ど~~したらここに行けるんだろうか~~って呟いたら・・・


書き込みが入った、当時ミクシー時代。


「その人、知ってるよ~~」


えー、マジで!!誰だ、教えてくれ~~!!


書き込みしてくれた人は、S君。

会ったことない。笑。


S君は、大西バラサーブの後輩だった。

それが、私のお店の常連さんの彼氏の親友だったことで、私のミクシーの呟きを偶然にも見ていた。


この奇跡的な繋がりで、S君にありったけの想いをぶつけてみたら^^

どうなるかわからないけど、連絡とってみると言ってくれた。


1ヶ月後、メールアドレスをゲットして、すぐさまメールしたら、すぐ返信がきた。

大興奮した、笑。

それから毎日メールして、メールは大変だから、家に来いということになり、場所聞いたら、びっくり!

めっちゃ近い、車で30分の距離だった。

私は、千早に引っ越して1年ぐらいの時で、もうこれは、千早に来たのは、バラサーブに引き寄せられたに違いない!

と勝手に思い込んで、すぐ家に行った。


玄関口で、第一声は、「わっかーー、何歳や、おばはんが来ると思ってた、娘と同じぐらいちゃうか」って、言われた。笑!!


そんな若くないけどな~~、いつも若く見られるタイプやから、きっと20代?!と思ったか、その頃、34歳^^


それで、私の想いを聞いてもらって、そんなに行きたいなら、行くか!?と、いきなり誘ってくれた。

もう今年の遠征ま決まってる、慧海ルートの再調査に行くと行った。

私のドンピシャで行きたいルート、めっちゃ行きたいっ!!!飛びついた^^!


お金は?仕事は?と聞かれて、そんなんどうにでもする!と言って、その頃もお金ないくせに、行くこと決めた。

(これは、ずっと変わってないみたい、、笑)


あれから、12年だ。


大西バラサーブは、2014年に他界し、早すぎた旅立ちだった。

続いて吉永バラサーブもその一週間後に旅立った。

そして、まさかの水谷バラサーブも2016年に旅立った。


みんな私の越冬計画に着いて来てくれると思う、絶対来るはず!笑。

みんな揃って「ドルポを愛してくれてありがとう」と、書き残しているんだから。

みんなも行きたいんだよ、だから、お前が行ってこい、と言ってるはず^^!

私に行かせてくれようとチャンスを与えてくれたように最近感じている。

もしかして、天界から操られているんかね、私、、、笑。

バラサーブ達の夢を背負っているかのように^^


去年のフムラ遠征は、この越冬の為の訓練だったと思う。

大西バラサーブが夢に出て来て、指さした無名の湖を探しに行った。

そんな事で、旅先決めるの?って感じだけど、本当に行った。

そこでは、名もなき山からのカイラスや、ナムナニの展望を探し。

無人地帯のルートを考え、フムラ内部の横断し地図とニラメッコして、想像と違ったーと思いつつ、間違えながらもネパール人とのバランスを取ってなんとか行けた。

それが、凄いいい経験になっている。

今思うことは、一人でやってこい、どこまで行けるか、試してこいっていう事だったんだ。

と、思っている。


今度は、厳冬のドルポだ、そこには何が待っているのだろうか?!

ドキドキとワクワクが交差している。


クラウドファンディング ラスト2日!

ラストスパート、宜しくお願い致します。