Check our Terms and Privacy Policy.

ネパール・ヒマラヤの辺境 ・ドルポに暮らす人たちと一緒に冬を過ごしたい

私は、河口慧海の足跡ルートをもとに、過去ドルポを4度横断した。ドルポに行けは行くほどに魅了された。しかし、厳冬期を見たことがない。この生活を肌で感じたい!氷点下20~30度の極寒の地で暮らす人々、降雪により下界への道が閉ざされた世界で人の暮らしに受け継がれる知恵と叡知を体験する。

現在の支援総額

973,000

38%

目標金額は2,500,000円

支援者数

103

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 103人の支援により 973,000円の資金を集め、 2019/08/17に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

ネパール・ヒマラヤの辺境 ・ドルポに暮らす人たちと一緒に冬を過ごしたい

現在の支援総額

973,000

38%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数103

このプロジェクトは、2019/05/30に募集を開始し、 103人の支援により 973,000円の資金を集め、 2019/08/17に募集を終了しました

私は、河口慧海の足跡ルートをもとに、過去ドルポを4度横断した。ドルポに行けは行くほどに魅了された。しかし、厳冬期を見たことがない。この生活を肌で感じたい!氷点下20~30度の極寒の地で暮らす人々、降雪により下界への道が閉ざされた世界で人の暮らしに受け継がれる知恵と叡知を体験する。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

2019/07/04 20:50
thumbnail

今日は、何の日?!慧海の日!

7月4日は、河口慧海が、

ヒマラヤを超えてチベットへと密入国した日です。

今から119年前の1900年。

当時、チベットは鎖国時代で、

チベット人になりすまし作戦でインド経由でネパールに入り、ヒマラヤ山脈を越えてからは、更に、西へ!カイラスを巡礼してから、ラサを目指している。

これ、とんでもない遠回り!笑!


寄り道しまくりが、私のツボにハマって、面白いなぁ〜と思った。


あ、あと、同じ持病をもっている

リウマチもあるけど!


この遠回りを、私も体感してみようと思い、去年はネパールの北西部フムラの国境ラインから、カイラスを遠望してみたんだけど、意味わからんかったね〜〜笑

景色は、圧巻でしたけど!


慧海ルートの詳しくは、こちら!

昨年、雲南懇話会で発表させて頂いたものを、web上でもアップされてます。


https://www.yunnan-k.jp/yunnan-k/45-20180707/1028-20180707-45-03-inaba.html


写真は、その1900年7月4日の慧海日記。

これは、Dolpo-hairをオープンした時に、大西バラサーブから頂いたもの!

コピーですよ、もちろん。

でも、嬉しかったなぁ。

Dolpo-hairに飾ってま〜す!


黒く塗り潰してるのは、わざとです。

どこの峠を越えたのか、誰と?、など、わからないようにする為です。

なんせ密入国だから。。


私のドルポ越冬地は、慧海も滞在していた村。

2016年慧海ルート横断時に、

見つけられなかった物が実はあって、それが心残りで、今回探してみようと思っている。


慧海日記に出てくるところ。


慧海は、

陋石屋(ろうせきおく)着きて宿る、と書いている。


バラサーブは、

水神の竜(ルー)の前にテントを張った、と書いている。


私が、この村に到着した日は、時間が押して真っ暗だった。

ポーター達と、はぐれてしまって、疲れきって、真っ暗やし、探す気力がなかった。

翌朝は、次の目的地へ移動した。


陋石屋(ろうせきおく)とは?

せまい石でこさえた小屋、石積のあばら家のことでサルダン村外れのツァンパ(麦こがしの粉)水車を利用して石臼で挽く小屋を指す。


これを探してみたいな〜と思ってます。


シェアしてプロジェクトをもっと応援!