今日は、何の日?!慧海の日!
7月4日は、河口慧海が、
ヒマラヤを超えてチベットへと密入国した日です。
今から119年前の1900年。
当時、チベットは鎖国時代で、
チベット人になりすまし作戦でインド経由でネパールに入り、ヒマラヤ山脈を越えてからは、更に、西へ!カイラスを巡礼してから、ラサを目指している。
これ、とんでもない遠回り!笑!
寄り道しまくりが、私のツボにハマって、面白いなぁ〜と思った。
あ、あと、同じ持病をもっている
リウマチもあるけど!
この遠回りを、私も体感してみようと思い、去年はネパールの北西部フムラの国境ラインから、カイラスを遠望してみたんだけど、意味わからんかったね〜〜笑
景色は、圧巻でしたけど!
慧海ルートの詳しくは、こちら!
昨年、雲南懇話会で発表させて頂いたものを、web上でもアップされてます。
https://www.yunnan-k.jp/yunnan-k/45-20180707/1028-20180707-45-03-inaba.html
写真は、その1900年7月4日の慧海日記。
これは、Dolpo-hairをオープンした時に、大西バラサーブから頂いたもの!
コピーですよ、もちろん。
でも、嬉しかったなぁ。
Dolpo-hairに飾ってま〜す!
黒く塗り潰してるのは、わざとです。
どこの峠を越えたのか、誰と?、など、わからないようにする為です。
なんせ密入国だから。。
私のドルポ越冬地は、慧海も滞在していた村。
2016年慧海ルート横断時に、
見つけられなかった物が実はあって、それが心残りで、今回探してみようと思っている。
慧海日記に出てくるところ。
慧海は、
陋石屋(ろうせきおく)着きて宿る、と書いている。
バラサーブは、
水神の竜(ルー)の前にテントを張った、と書いている。
私が、この村に到着した日は、時間が押して真っ暗だった。
ポーター達と、はぐれてしまって、疲れきって、真っ暗やし、探す気力がなかった。
翌朝は、次の目的地へ移動した。
陋石屋(ろうせきおく)とは?
せまい石でこさえた小屋、石積のあばら家のことでサルダン村外れのツァンパ(麦こがしの粉)水車を利用して石臼で挽く小屋を指す。
これを探してみたいな〜と思ってます。