2017/01/15 14:29

私のことを少し書きます。vol.1

■SPITALを立ち上げるまで

原田 謙剛 (kengou harada)
1978年 北九州市生まれ、38歳。


10代の頃に、クラブミュージックにはまり
1996年からクラブDJをスタート。→ここが自分のイベントの仕事の原点。
当時の大学生の社交場的な場所が、クラブだった。
(自然な流れで、音楽で知り合った仲間と、一緒にイベントを作っていくことになりました)


地元の大学卒業後、単身上京。
東京では、同じ音楽を通じて、たくさんの仲間に出会い
中目黒の古い一軒家を、音楽を通じて知り合った仲間3人とシェア。
1階に、DJブースと掘りごたつ。2階が部屋。
イベントで知り合った仲間の溜まり場と化してました。
この頃から、人が集まる場所のコミュニティの
可能性を感じていました。

楽しすぎた、2年間の東京生活を経て、2003年からLONDONに移住。
東京生活楽しすぎて、毎日パーティー三昧でしたが
30歳までは、いろんな場所に住み、経験を積もうと決めていたので
Londonに移住。当時、1年間の予定の留学だったけど、VISAをギリギリまで更新。
結局3年8ヶ月間をロンドンで過ごす。この期間、一生分くらい
ロンドンのクラブミュージックシーンを体験しました。


(写真は、最近営業を開始した、Londonの老舗クラブ Fabricに遊びに行った時の物
DJは、Francois K & James Holden)
https://www.fabriclondon.com

 London生活2年目の頃に
“mixi”(日本で一番最初に火がついた、招待制SNS)、
が日本でリリースされ、WEB上でのコミュニティ作りが始まりました。
mixiに招待されることが、早かったこともあり、London在住者、
Londonに興味がある人のコミュニティ“London掲示板”を作成。
あっという間にコミュティ参加者が、1万人に近いくらいの数字になり、
たくさんの人が使う、掲示板の管理人となってしまいました。

そこから、ロンドンに旅行に来る人が、
いつも宿泊先に困っていたので、管理人の僕に、
メッセージが飛んでくることになった。(当日は物価が高かった。 1ポンド=220円くらい)
音楽を大音量家で聞くこともあり、個室3部屋とキッチンと風呂、トイレをシェアする小さな家を丸ごと借りていて、1部屋を旅人に貸したりすることになった。(今の民泊のようなの)
そのまま勢いに乗って、ロンドンで知り合った仲間と、スピタルロンドンハウスという名の
ゲストハウスを立ち上げることになる。2年間運営。(2005年頃) 


(検索したら出てきた昔のHPに使ってた写真)

 

ゲストハウス業と、並行してたまたま見つけた
募集広告で、Londonのブリクストンにある、
小さな音楽プロダクションのアシスタントを6か月経験。
主に、UKのDJ、アーティスのブッキングの手配のお手伝い。
ここでの学んだ考え方が、今後の音楽イベントの原点となる。
3年目の頃に、ロンドン地下鉄のテロに遭遇し、その後留学生への
Visaが厳しくなり、帰国することになる。
帰国前に、ロンドンを離れ、イギリス最南端の町、
ブライトンで3か月間、海辺での生活を体験。



帰国後、独立前に一度経験を積みたかったのもあり
株式会社リクルートのマーケティングの部署に入社。
約3年間勤務。その頃、同時に音楽クラブイベント”DImension”を立ち上げる。
今までに37回開催。毎回国内外からアーティストを招致。

 
転機となったのが、勤めて2年目を過ぎた頃、
全国各地にあったマーケティングの部署が、
東京に集約されることになり、3択を迫られたこと。
①転勤②部署移動③退職(特別退職金あり)
ちょうど30歳の時だったので、③の退職を選び、独立を決意しました。
そして 、2009年12月に北九州市にSPITALを開業。
続きは、SPITALを立ち上げてからに続きます。(後日投稿)

※SPITAL→east londonにある、Spitalfields Marketが名前の由来。
http://www.spitalfields.co.uk

SPITAL代表 原田 謙剛
(2017年1月14日 @SPITAL前撮影)