土台が出来上がったら、その上に水はけのよい砂利を敷きつめます。 砂利を敷きつめたら、次はそれを固めてその上からコンクリートを敷きます。写真の赤い上着の男性がやっている作業が、土を固めるという作業です。この道具もすべてお手製。節約できるものは極力お金を使わずに作っています。 そうして、基礎工事が無事完了しました。その後は校舎建設の為、ブロックを作って周りを固めているところです。 ここまでの材料や工事費用は全て私個人で負担しました。経費も含めると、100万近くかかりました。そして、現在建設費用が底を尽きてしまったため、工事をストップしております。皆様にご協力をお願いしたいのは、これから校舎建設に使うブロック作成のための材料費用です。何とかして次の新学期が始まる10月までには完成させて、子供達が学べる環境をつくりたいと思っています。 そして、校舎を完成させる為には、もちろんお金も大事ですが、もっと大事な事は日本に、そしてこの地球に住む方の気持ちや興味、関心です。私はたまたまこのカンジャガ村の村人と出会い、子供達が公用語も話せず学校にも通えない現状を見て、色々な衝撃を受け、色々な想いを抱き、現在の活動に至っています。情報多寡のこの世の中で、貧富の格差が目に見えてわかるとしても、それが自分や家族、友人など直接関わる人でなければ、中々手助けしようという気持ちにはなれないと思います。でもそれが例えば自分の子供だとしたら、という事を私は考えて、今校舎を建設しています。先日、友人の結婚式に参加させて頂いた時に、おめでたい席で私の活動などまるで関係ないのに、わざわざ列席者のみなさんの前でこの活動を宣伝して頂きました。私は感動して涙が出そうになりました。そうした人を思いやる気持ちというのが、生きていく上で最も大事な事だと感じると共に、そうした思いやる人間関係を日本とガーナで、そして日本と世界でどんどん増やしていくことが出来たらと願ってやみません。アマチャスクールがそのきっかけの一つになればこれ程幸せな事はないと思っています。
穴を掘ってブロック作りが終わったら、今度はその穴にコンクリートを敷きつめていきます。 カンジャガ村で作られている一般的な家は、土壁の家がほとんどなのですが、建物の強度で言うと、 ①砂を水で固める②砂とセメントを水で固める(モルタル)③砂とセメントと石を水で固める(コンクリート) ①<②<③の順で固く丈夫な建物になります。土壁の建物は数年で壁が崩れてくるので、こまめなメンテナンスが必要となります。学校となると、ある程度の耐久年数が必要となるので、場所によってモルタルとコンクリートを使い分けます。 そして、ここが非常に重要なポイントとなるのですが、途上国のさらにカンジャガ村のような地方で学校や病院など建物を建築する時には、「なるべくご近所で調達できる安価な材料を使う」という事が大事です。何故かというと、一つは仮に建物が壊れたりして修理が必要な場合に、特殊な材料を使った建物だと、現地の村人による修理が出来ないからです。例えばセメントなどどこで買っても同じ材質のものだと、単純に安いものを買えばいいと思いますが、ドアや屋根などで特殊なものを使ってしまうと、将来代わりのものがどこにも売っていないという事態に陥ります。「末代をかけて責任もってメンテナンスをする!」という事なら大丈夫ですが、支援で建てられる校舎というのは、1人のオーナーによって長い間マネジメントされるケースは珍しく、たいがいは所有者が変わるか自治体や政府に移管されます。その先までを考えると、出来るだけ地元で安く購入できる材料を使った方が後々メンテナンスされる可能性が高くなります。 そしてもう一つは、その地域にお金を落とすという事です。地域の材料を使って人手を雇って校舎を建設するという事だけでも、その地域の人達の現金収入となります。支援というのは建物をプレゼントするという事ではありません。例えば教育というテーマであれば、「村人みんなで学校をつくって子供達に勉強させて自分達が出来なかった事を可能にしてもらう。」等というような目的があります。その際に地元の人達との取引があれば、自然と「このセメント何に使うんだい?」というような会話に発展するので、後々色々な面で協力を得ることが出来るようになります。日本の田舎と一緒ですね。 話が脱線しましたが、そうしてコンクリートを敷きつめたらその上からブロックを重ねて建物の土台をつくります。ここまでの作業で輸送に使う三輪車以外一切機械を使っていません。時間はかかりますが、こうして人の手をかけて丁寧につくる事で、アマチャスクールに対する愛着も湧いてくるのではないかと思っています。
前回までの報告で、何故学校建設をしているのか、アフリカにかける想いなどをお伝えしました。今回から実際にどうやって学校建設が行われているのか、その建設方法や経過をお伝えしたいと思います。 ①測量とライン引き日本の建築現場では測量機を使って正確な測量をしますが、高価な機械なので持っている建設会社は少なく、紐を使って感覚でザックリと測量します。ただ、ガーナは国土のほとんどが平地なので、平らな場所を見つけることが出来れば紐だけでもほぼ正確な測量が可能になります。写真の黒い部分は草が生えていたので、焼いて更な土地にしました。 ②基礎をつくる為の穴掘りラインを引いたら、そのラインに沿って穴を掘ります。校舎全体を支える土台となる基礎にする為、1.5~2m程掘りますがショベルカーがないので、全てつるはしとスコップを使って手作業で行います。40℃を越える灼熱の中、こうした土木作業が行われています。実際私も掘る作業を行いましたが、一瞬で汗だくになり、手が震えました。③ブロックづくり穴掘り作業が終わったら、そこにブロックを積んで固めます。ブロックは砂とセメントを自前で購入し、混ぜ合わせてつくります。写真にあるように村に住む女性が、井戸から水を汲んで運んできてくれます。その水を使って砂とセメントを混ぜ合わせて、型にはめて天日干しをします。こうして数日間水をかけては干してという事を繰り返し、固いブロックに仕上げてから実際の建物に使用します。写真の後ろにある校舎が、2年前に完成したアマチャ幼稚園校舎なのですが、総計7000個以上のブロックを使いました。写真のブロックで300~350個ぐらいなので、校舎を完成させる為にはこの20倍ぐらいのブロックが必要になる訳です。
今回は学校建設や運営など、途上国での教育支援に対する私の想いについて書きます。 私が国際協力に初めて目を向けたのは、小学生の時でした。ノーベル平和賞を受賞したドイツの医者シュバイツァー。彼の伝記を読んで「お医者さんになって僕もアフリカに病院を建てる」という夢を持ちました。 母1人、息子2人という裕福ではない家庭だったので、奨学金をもらいながらも医者になるべく勉強を頑張った訳ですが、敢え無く受験で失敗し、新聞奨学生(新聞配達や集金などしながら学校に通って奨学金をもらう制度)をして浪人するも、さらに医学部合格の道は遠く、文転しました。 その後、大学在学中に1年休学し、オーストラリアにワーキングホリデーで7ヶ月程滞在しました。その時に原住民(アボリジニー)と移民(白人)の生活水準の大きな差を目の当たりにして、教育の重要性を感じ取りました。そして、「人の命を救う事も大事なことだけど、その国の将来を考えると、教育を普及させて医師が育ち、自分達で命を救うようにならなくては」と感じて、自らの夢を病院→学校へと変更しました。 卒業後にパチンコ屋さんに就職して、12年の間に奨学金を返済すると共に、学校建設の資金を貯めて、退職後に青年海外協力隊を受けて、3度目の正直で合格し、ガーナに派遣されました。そして、ガーナ派遣中に幼稚園を建設し、現在運営3年目に突入しているところです。 一方、学校建設だけしても教育は普及しない(ある程度家庭にお金がないと、子供を学校に通わせる余裕がない)という現実にも直面し、農業技術支援(カンジャガ村民の約8割は農家なので)による収入向上と学校建設による教育普及をセットにした支援が必要だと感じ、帰国後に自ら野菜農家となり、日本の農業技術を学びながら、野菜を売って学校建設をするという生活を始めました。今回のカンジャガ村での取り組みはその第一歩です(農業支援に関してはまた後日掲載します)。 こうした活動をしていて、よく「何故そんな事をしているの?」と質問される事があります。自分が仕事をして稼いだお金で見ず知らずの、しかも外国の他人を支援する為に学校を建設したり運営したり。その行動に「素晴らしい」と賞賛頂く事もあれば、「理解できないと」言われる事もあり、場合によっては偽善者と揶揄される事もあります。 支援する方の中には色んな考えを持ってやられている方がいると思いますが、私がこうした活動を続ける理由は、簡単に言ってしまえば「やりたいからやっている」です。自分が日本の恵まれた環境(家族)で育ち、世界には恵まれない環境で育つ子供達がいる。その差を少しでも埋めたいという、自分勝手な正義感が活動の根本的な要因です。でも、それは同時にやり甲斐にもなり、自分の存在意義にもなっています。自分や日本の将来にとってもプラスになる事だとも思っています。 簡単にお伝えすると、そうした想いで私は離島で野菜を育て販売し、日本とガーナを繋げながら、人生を賭けて途上国に住む子供達の学習環境を支援をしています。 こうした活動をお伝えする事によって、少しでも共感して頂いたり、途上国の現状を知るきっかけになれば幸いです。
今回は現在建設中の小学校の前段階となる、アマチャ幼稚園建設のお話をさせて頂きます。 約3年前にはじめてカンジャガ村に来た時に、子供6000人に対して学校が4校(キャパ約1000人)しかないという状況を聞き、私はまず小学校を建てようと思いました。ところが、村に滞在して実際に小学校に通っている子供達と接していると、学校に通っている子供達もほとんど公用語である英語で読み書き出来ない、という事に気が付きました。 小学校の教科書は全て英語で書かれているのに、英語の基礎を学ぶ場がなく、家庭では現地語(ブリ語)しか使われない為、小学生になっても英語が話せないのです。その現実を目の当たりにして、まずは教科書が読めるレベルの英語と四則計算が必須だと感じ、建設を始めていた小学校の校舎を、幼稚園として運営するように変更しました。 また「白人からプレゼントされた学校」にしたくはなかったので、最初の村長との話で「自分の子供達には教育が必要だという親の想い」と、「村人の主体的な関わり」の重要性を説き、校舎を建設する材料を用意する代わりに、村人に労働力を提供して貰うという約束をしました。 そうして、村人と共に約10ヶ月かけて3教室+職員室の校舎が完成しました。総工費は約400万円。そのうち350万は自費でした。 村には継続的な教育が必要であり重要であると考え、最終的な目標を「学校もしくは村など自治体による自立運営」と定めて、校舎が完成する前から教育委員会に何度も足を運び、共同運営や先生派遣のお願いをしました。その甲斐あって、現在は5人の先生を教育委員会から派遣してもらっています。また、学校自体で自立運営が可能になるように農業や運送業など、数々のビジネスを試行錯誤しながらチャレンジしています。 そうして、相棒ダニエルや私、村人、支援者の方々、青年海外協力隊員や在ガーナ日本人など協力者の方々の3年の努力と想いを経て、100人以上の園児が2年間の教育を終え、英語が少し話せるようになりました。動画に載っている子供達は、私がカンジャガ村に来た当初、英語が全く話せなかった子供達です。 そして今、このアマチャスクールのプロジェクトは次の段階に入りました。当初計画していた小学校の建設をして、子供達が小学校で英語の教科書を使って勉強出来る場を作ります。 皆様にはその支援を手伝って頂きたいのです。財務の状況についてはまた後にご報告しますが、皆様のご協力なしにはこの小学校は完成出来ません。 長文拝読頂き、ありがとうございます。