金魚ねぶたを掲げる廣田神社の鳥居のお話しです(^^)
神社の鳥居には神社名が掛かれた額が奉納されていることが多いのですが、廣田神社の社号額はどなたが揮毫されたか御存知ですか???
その前にひとつ経緯を。
廣田神社は青森大空襲によって灰燼に帰した際、都市計画の一環で境内が二分され、現在のような道路を挟んで本社と末社とで分かれてしまいました。
実はこの道路がもともと神社の表参道で、この上に社殿と鳥居が一直線に並んでいたそうです。
一刻も早い復興を願う市民の心の拠り所として建てられた鳥居は長く持つものではなく、数十年の時を経て念願の鳥居を建設することとなりました。
その際、本来の境内地であった表参道に建設するよう進めていたそうですが、市道となってしまったその道路をまたいての建設許可が下りず断念してしまいました。
しかし、氏子崇敬者の想いは篤く、それであれば県都に相応しく永久に誇りを持って掲げることが出来るお方の揮毫をと思案したところ、当神社に篤い崇敬を寄せていた敬神会会員である、元厚生大臣の津島雄二先生が発案し、当時の内閣総理大臣であった第68・69代内閣総理大臣の大平正芳氏に揮毫頂くことになりました。
当時、現役の総理大臣であり、国内はもちろん海外へと公務多忙の中、アメリカ、マニラ等より帰国されたばかりの合間を縫って、数々の長官を歴任された田沢吉郎先生の応援もあり、実現することとなりました。
大平正芳元総理大臣は、廣田神社の為なれば、そして、青森県の繁栄の為なればと、ご快諾されたそうで、すぐさま当神社の例大祭である6月19、20日に合わせて直筆の社名の掛け軸が到着しました。
その総理大臣のご配慮に、大鳥居が竣工した例大祭は稀に見る参拝者の方で境内は溢れていたそうです。
それから約一年後、数々の功績を残しながらも、志半ばで大平正芳氏は急死し、齢70歳にてその生涯を閉じてしまいました。
実は、大平正芳元総理大臣は敬虔なクリスチャンであり、地元の香川県で洗礼も受けられていたそうです。
ですが、「日本国」の繁栄隆昌を常に願い政務を執り行ったその心は、日本の文化、伝統、また宗教に至るまで篤い想いを寄せられていたそうです。
この大鳥居は、そうした青森県の繁栄を願う多くの方々の篤志で建設されたものであり、その想いは現役の総理大臣の心を動かす程の敬神深いものだったということです。
そのような大鳥居に掲げられる金魚ねぶたの煌々とした灯りを以て、数十年の時を経ても尚、朽ちることなく直立する、青森の繁栄を願う大鳥居だということを多くの人に知ってもらいたいと思います。