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台湟ず日本の障害者を぀なぐために䞭囜語留孊がしたい

台湟の障害者斜蚭にボランティアずしお滞圚し、台湟の障害者事情を知るために、䞭囜語の語孊留孊をしたす。留孊先は台湟は花蓮の倧孊で、ボランティア先は、日本統治時代から戊埌たでハンセン病療逊所で、今は知的障害のある子どもたちが䜏む堎所の楜山院を志望しおいたす。日本ず台湟の歎史を犏祉から぀なぎたす。

珟圚の支揎総額

0円

0%

目暙金額は650,000円

支揎者数

0人

募集終了たで残り

終了

このプロゞェクトは、2019/08/09に募集を開始し、 2019/08/31に募集を終了したした

このプロゞェクトを芋た人はこちらもチェックしおいたす

台湟ず日本の障害者を぀なぐために䞭囜語留孊がしたい

珟圚の支揎総額

0円

0%達成

終了

目暙金額650,000円

支揎者数0人

このプロゞェクトは、2019/08/09に募集を開始し、 2019/08/31に募集を終了したした

台湟の障害者斜蚭にボランティアずしお滞圚し、台湟の障害者事情を知るために、䞭囜語の語孊留孊をしたす。留孊先は台湟は花蓮の倧孊で、ボランティア先は、日本統治時代から戊埌たでハンセン病療逊所で、今は知的障害のある子どもたちが䜏む堎所の楜山院を志望しおいたす。日本ず台湟の歎史を犏祉から぀なぎたす。

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䞭文圚䞋面 English is below

はじめに・ご挚拶

八朚智倧ず申したす。倧阪で障害者の介助の仕事をしおいたす。26歳です。

このプロゞェクトで実珟したいこず

台湟の楜山院ずいう知的障害がある子どもの斜蚭で、ヶ月〜ヶ月ほどボランティアをしようず思っおいたす。台湟の障害がある人たちに、私のこずや、生たれ育った倧阪のこず、日本の障害者の人たちのこずなどを知っおもらい、そしお私も、台湟の障害がある人たちのこずを知るためです。そのために、台湟に半幎間語孊留孊をしお、䞭囜語力を぀けたいです。楜山院は戊前から戊埌しばらくたで、ハンセン病者の療逊所でした。1970幎代からは知的障害児の斜蚭です。病者、障害者ずいう最も匱い存圚から芋える歎史を孊び、むンタヌネットなどで発信しお日本や台湟の人たちに䌝えたす。そしお、日本の人、台湟の人が、互いの土地の歎史に興味を持ち、行ったり来たりしお、人ず人ずの぀ながりができる未来の䞀助ずなりたいです。

プロゞェクトをやろうず思った理由

昚幎2018幎の12月から今幎1月にかけおのカ月間、台湟南郚の台南垂郊倖の知的障害者斜蚭に滞圚しお、障害者の人たちず共に過ごしたした。䞀緒に運動をしたり、裁瞫をしたり、幎習っおいる気功を教えたり、日本語や日本のこず、家族のこずなど色々ず話をしたした。障害者の人たちず同じ建物に䜏み、䞀緒にご飯を食べ、屋台が出る日には倖を散歩したした。共によく笑い、楜しい時を持぀こずができたした。
台湟ボランティア蚘・第週

その垰りに、先述した知的障害児の斜蚭、楜山院を蚪問したした。
台湟の元・ハンセン病療逊所「楜山教逊院」蚪問蚘 - マむル日蚘

台湟は1895幎から1945幎の51幎間、日本の怍民地でしたが、楜山院は1934幎にハンセン病療逊所ずしお、カナダ人宣教垫により台北郊倖に䜜られたす。戊埌、ハンセン病者は枛っおいき、1971幎からは知的障害のある子どもたちが䜏む堎所ずなっおいたす。

楜山院を蚪問した際、ここでボランティアをしたいず申し䞊げたのですが、もっず䞭囜語がうたくなっおからず蚀われたした私の䞭囜語は、倧孊の第二倖囜語ずしお孊んだ皋床です。そこで、たずは台湟に半幎語孊留孊をしお、䞭囜語力を鍛えたいです。語孊留孊先は、花蓮ずいう町にしたす。ここは、日本の四囜の人たちが開拓した町で、台湟でも特に日本ず瞁の深い堎所です。

これたでの掻動

私自身に吃音ずいう障害があり、吃音や障害をテヌマに掻動をしおきたした。

2016幎には、NHKのバリバラずいう番組に出挔したした。
バリバラ「吃音ず向き合う」

番組でも述べおいるのですが、この頃は小孊校の教垫になりたいず思っおいお、京郜垂の小孊校でボランティアずしお、発達障害がある子どもたちの教宀に入ったり、フィリピン系の児童に日本語を教えたりしおいたした。同時に、既存の教育のあり方に疑問も感じ、和歌山県は熊野の、デモクラティックスクヌルずいう孊校での過ごし方を自分たちで決める様匏の孊校に䞀ヵ月䜏み蟌みで滞圚したり、他にもフリヌスクヌルを芋に行ったりしたした。熊野 廃校になった小孊校を再利甚しおいたす

吃音に話を戻したすず、京郜垂で、吃音のある子どもたちず、吃音がある倧孊生たちずの亀流䌚を䌁画運営したり、東倧阪垂の小孊校で吃音のある子どもたちに䜓隓を話し、盞談に乗ったりしたこずもありたす。

その埌も、吃音の圓事者団䜓が䞻催した「吃音シンポゞりム」に出たり

友人ず䞀緒に「ナニバヌサル哲孊カフェ」ずいう、障害やマむノリティ性に぀いお孊び語り合う䌚を開いたりしおいたす。
ナニバヌサル哲孊カフェ
ナニバヌサル哲孊カフェでは、障害者運動の歎史を孊ぶなどしお、障害者をはじめずしたマむノリティずされる人たち・私たちがどう生きおいけるかを考えおきたした。

たた、静岡県のふた぀のハンセン病療逊所や、東京の囜立ハンセン病資料通を蚪問し、『隔離の文孊』をはじめハンセン病に関する本を読んだりもしたした。

圓事者研究ずいう、生きづらさに぀いお語り孊び合う䌚にも幎ほどかかわっおおり、昚幎秋には阪倧であった「第回 関西圓事者研究亀流集䌚」で、「がくらの非モテ研究䌚」ずいうメンズリブの䌚の䞀員ずしお、恋愛の圓事者研究に぀いお発衚をしたした。たた昚幎、NHKバリバラの吃音ず堎面緘黙に぀いお取り䞊げた回に出たこずもきっかけずなり、筆談で語り合う「筆談䌚」を床、吃音ず堎面緘黙の亀流䌚を関西で床開催したした。今幎春は、長野であった堎面緘黙の倧䌚「かんもくフォヌラム」で、吃音ず堎面緘黙に぀いお発衚をしたした。

筆談䌚の様子 吃音ず堎面緘黙亀流䌚でも同じように筆談の時間を取りたした

台湟に぀いおは、高校生のころから、日本による怍民地支配を䞭心に関心を持っおきたした。高䞀ず高二の間の春䌑みに、10日間かけお、友人ず鉄道で台湟を䞀呚したした。

その埌、倧孊に入孊しお第二倖囜語で䞭囜語を遞択し、新竹にある枅華倧孊に週間行く、倧孊の亀流プログラムに参加したり、史跡をめぐる旅行をしたりで、前回のボランティアを含めお床ほど蚪れたした。

花蓮から台東たで日本時代の神瀟跡をめぐり぀぀200km自転車で行きたした

昚幎の倏は、台湟南郚の原䜏民の集萜で、東アゞア共同ワヌクショップずいう東アゞアの近代史を孊び平和に぀いお考える孊習䌚に参加したした。歎史を孊び、台湟をはじめ朝鮮半島や沖瞄、アむヌ、もちろん日本囜内の諞地域などなど、倚様性を芋぀け守るこずができる東アゞアであっおほしいず思っおいたす。台湟では高校幎のずきに、台湟史の授業があるのですが、その教科曞を蟞曞をひきながら数ヶ月かけお読み終えたした。

台湟の高校幎が習う『台湟史』 台湟の曞店で買い自宅で読み進めたした

静岡県の知的障害者のコミュニティに週間滞圚しお、蟲䜜業や石けん䜜りなどの掻動のお手䌝いをさせおもらったこずもありたす。衚玙の写真はその時に撮ったものです。前に滞圚した台南郊倖の知的障害者斜蚭は、このコミュニティに玹介しおもらいたした。静岡の知的障害者のコミュニティ 畑や田んがの仕事を手䌝ったりしたした

知的障害者の倖出支揎ず、重床蚪問介護の資栌を持っおいお、知的障害者のグルヌプホヌムず䜜業所での生掻介助、および知的障害者の倖出支揎の仕事を倧阪でしおいたす。そうしながら、読んだ本ずその考察を発衚し合う䌚に出たり、メンズリブの䌚に行ったり、聖曞の読曞䌚に参加したり、倧阪・京郜を䞭心に色んな孊びの堎に出る日々を送っおいたす。

資金の䜿い道

以䞋の通りです。

・授業料 6侇3千元22侇500円

・宿舎 1侇5千元5侇2500円

・飛行機埀埩 䞇円

・台北⇄花蓮の埀埩電車賃 880元3080円

・食費日千円ず換算 ×170日17䞇円

・曞籍代教科曞等含む 3䞇円

・台湟でのその他亀通費 2䞇円

・花蓮の移動で䜿う自転車 5000円

・スマホ通信費 7500円

・䞭囜語モデルの電子蟞曞 3侇5000円2009幎に買った䞭高生甚モデルにカヌドを足しお䜿っおたすが限界を迎え぀぀ありたす

・予防接皮 䞇円

党お足すず59侇4080円です。クラりドファンディングの手数料がかかりたすので、65䞇円を目暙にしたす。

リタヌンに぀いお

 3000円花蓮から絵はがきを通お届けしたす
 5000円花蓮から絵はがきを通お届けしたす
  1䞇円花蓮から絵はがき通タロコ枓谷ず海に掗われた小石
  3䞇円楜山院のグッズを぀花蓮から絵はがき通タロコ枓谷ず海に掗われた小石
  5䞇円楜山院のグッズを぀絵はがき月に通タロコ枓谷ず海に掗われた小石
  10䞇円楜山院のグッズを぀滞圚の日々を蚘した日誌の冊子を手䜜りしおお届けしたす絵はがき月に通
  20䞇円パトロン限定の滞圚報告䌚にご招埅したす楜山院のグッズを぀花蓮滞圚日誌の冊子を手䜜りしおお送りしたす絵はがき月に通
  30䞇円ご近所の公共の堎所にうかがっお滞圚に぀いおお話したすパトロン限定の滞圚報告䌚にご招埅したす楜山院のグッズを぀花蓮滞圚日誌の冊子を手䜜りしおお送りしたす絵はがき月に通

 番倖 5䞇円花蓮滞圚をお手䌝い花蓮の山 3000m玚が連なりたす

実斜スケゞュヌル

・2019幎9月~2020幎2月 花蓮に語孊留孊

・2020幎床に楜山院でボランティア楜山院の郚屋の空き状況にも巊右されたす。もし楜山院が無理でも他のずころを探したす

最埌に

日本ず深い぀ながりのある台湟ですが、これからは芳光、映画や小説、もの䜜りなどだけでなく、犏祉などでの぀ながりも深たっおいくこずず思いたす。将来は、障害がある人や倖囜の人も集うこずができる拠点ずしお、倧阪や京郜でシェアハりスなどをしたいず思っおいたす。そこで、亀流䌚や孊習䌚を開き、瀟䌚的に匱い立堎にある人同士が、぀ながりあえる瀟䌚を目指したいです。障害やルヌツなどで孀独になったり困難を抱えがちな子どもに察しおは、攟課埌等デむサヌビスやフリヌスクヌルなどができればいいず思っおいたす。これからは日本に倖囜人・倖囜系の人が増えおいきたすが、それは倖囜にルヌツがある子どもや、障害がある人が増えるずいうこずです。どのような圢になるかはわかりたせんが、同じ地域に䜏む人同士、䜕らかの圢で支え合いたいず思っおいたす。

台湟や障害ずの付き合いはずっず続くず思うのですが、今回の留孊を、それを深める䞀歩ずしたいです。台湟や東アゞアのためにいい働きができるよう、しっかり孊んで行きたすので、ご支揎のほどよろしくお願いしたす。


All-in方匏
本プロゞェクトはAll-in方匏で実斜したす。目暙金額に満たない堎合も、蚈画を実行し、リタヌンをお届けしたす。


介玹/問候:
我的名字是八朚智倧今幎26歲。我圚倧阪埞事照護身心障瀙者的工䜜。

透過本蚈畫垌望寊珟之事:
我想圚台灣䞀家名為暂山院的智胜障瀙兒童機構做志工玄䞀至兩個月。垌望胜倠讓圚台灣的身心障瀙者認識我認識日本認識我出生和成長的倧阪認識日本的殘疟人等。而䞔我也是為了了解認識台灣的身心障瀙者們。為歀我想圚台灣孞習語蚀半幎䞊提高我的䞭文胜力。 暂山院圚二戰前到二戰埌曟是麻颚病療逊院。埞1970幎代以䟆它䞀盎是智胜障瀙兒童照顧蚭斜。我想向蚱倚人傳達埞最匱小的病人和殘疟人那裡看到的歷史。

本蚈畫之起因:
埞去幎12月2018幎到今幎1月的䞀個月我留圚台灣的智胜障瀙蚭斜埞事志工。 台灣志願者第䞀呚回䟆的路䞊我參觀了䞊面提到的智障兒童蚭斜暂山院。圚台灣 - 英里日蚘䞭參觀前麻颚病保護區“暂山歐里森” 埞1895幎到1945幎的51幎間台灣是日本的殖民地。䜆是暂山院斌1934幎是由加拿倧傳教士圚台北郊區創建的麻颚療逊院。戰爭結束埌麻颚病人敞枛少自1971幎以䟆它成為了智胜障瀙兒童生掻的地方。我對台灣的歷史和病殘人士的歷史埈感興趣我垌望胜透過留圚暂山院的經驗有所體會䞊成為連接日本與台灣瀟會犏利的人才。 當我蚪問暂山時雖然我曟提到想做志工䜆被告知等䞭文孞埗曎奜再䟆我的䞭文皋床是圚倧孞的第二倖語皋床。因歀銖先我想圚台灣孞習半幎的䞭文。語蚀孞習目的地是䞀個叫花蓮的城鎮。這是䞀個由日本四國人民開創的小鎮也是與日本緣由特別深的台灣地區之䞀。

目前為止的掻動:
我自己有口吃的障瀙䞀盎臎力斌口吃和身心障瀙的䞻題。 參加NHK的Baribara節目“面對口吃”
參加由各方組織團體召集的“口吃蚎論會” 和我的朋友䞀起召開了“環球哲孞咖啡”的會議䟆了解和蚎論障瀙和匱勢族矀。

資金的䜿甚它劂䞋:
- å­žè²»63000元= 220500日元
- 䜏宿15,000元= 52500日元
- 飛機䞀次埀返30000日元
- 台北花蓮埀返火車祚 880元= 3080日元
- 食品費每倩1000日元乘170倩170000日元
- 曞本費包括教科曞30000日元
- 圚台灣的其他亀通費 20000日元
- 圚花蓮移動的自行車 5000日元
- 圚花蓮的手機通信費 7500日元
- 䞭文電子詞兞 35000日元我正䜿甚圚2009幎賌買的國高䞭生電子蟭兞加䞊擎充卡䜆是到了極限
- 疫苗 20,000日元
劂果党郚加起䟆的話是594080日元。由斌雲端募欟的手續費我們的目暙定圚650000日元。

關斌回饋:
3000日元將埞花蓮寄出䞀匵明信片
5000日元將埞花蓮寄出兩匵明信片
10000日元䟆自花蓮的兩匵明信片和圚倪魯閣谷與倧海䞭沖掗過的小鵝卵石
30000日元暂山院的文創商品䞀個和䟆自花蓮的兩匵明信片與圚倪魯閣谷與倧海䞭沖掗過的小鵝卵石
50000日元暂山院的文創商品䞀個和每月䞀匵明信片與圚倪魯閣谷與倧海䞭沖掗過的小鵝卵石
100000日元暂山院的文創商品二個和每月䞀匵明信片䞊將向悚癌送手工花蓮䜏宿日誌手冊
200000日元我們將邀請悚參加僅限莊助人的居留報告會暂山院的文創商品二個將向悚癌送手工花蓮䜏宿日誌手冊和每月䞀匵明信片
300000日元我將前埀悚䜏所附近的公共堎所與悚分享邀請悚參加僅限莊助人的居留報告會暂山院的文創商品二個將向悚癌送手工花蓮䜏宿日誌手冊和每月䞀匵明信片

寊斜時間衚:
- 2019幎9月至2020幎2月圚花蓮進行語蚀孞習·
- 圚2020幎期間允蚱的話圚暂山院做志工劂果暂山院䞍行的話會圚別處做志工

結語:
台灣與日本有埈深的聯繫䜆䞍只是珟圚圚旅遊業電圱小說和創䜜物等等䞊有連結我認為圚瀟會犏利䞊也會加深台日的聯繫。我將努力孞習連接日本和台灣謝謝悚的支持!

<All-in方匏>
本蚈畫將甚All-in方匏寊斜。既䜿未達到目暙金額我們將執行蚈劃䞊提䟛回饋。


Greeting
Hello, my name is Tomohiro Yagi. I work in Osaka as a caregiver for people with special needs. I am 26 years old.

Aim of this project:
I would like to volunteer in Taiwan, at 楜山院, a place for children with intellectual disabilities, for a couple of months. Through this opportunity I would like these children to get to learn about myself, about Japan, about Osaka, the place where I was born and grew up and about kids in Japan, who are like them. At the same time I would like to get to know people with handicaps, who are living in Taiwan. For this, I would first like to study the Chinese language in Taiwan for half a year. 楜山院 used to be a sanatorium for leprosy patients from before the war till some time after the end of the war. Since 1970s it serves as a facility for intellectually handicapped children. I would like to reach out to a lot of people to talk about the history seen from the "weak" such as the sick and the disabled.

How I came to this idea:
From the end of the last year (2018) through January this year, I had an opportunity to volunteer in another home for intellectually challenged persons for a month. On the way back I paid a visit to 楜山院. 楜山院 was established in 1934 by a Canadian missionary in a suburb of Taipei, although Taiwan was under Japanese rule for 51 years from 1895 to 1945. The number of leprosy patients decreased after the war and since 1971 楜山院 has been functioning as a place for intellectually handicapped kids. I am interested in the history of Taiwan, as well as the history of the sick and the disabled. Through the stay at this special place I'd like to directly feel the histories and come out as a person who would connect Taiwan and Japan in the field of welfare.
When I visited 楜山院, I manifested my wish to volunteer for them. However I was told to come when I speak better Chinese. (I learned Chinese only as a second foreign language at university.) Hence I would like to first study in Taiwan for half a year for language acquisition. I have chosen the city Hualien for a destination. This place was settled by the Japanese from Shikoku Island. It is a place that has a deep tie with Japan.

Examples of my social engagement so far:
Since I myself have a speech disorder, I have been engaging myself in the society around the themes of stuttering or stammering. I appeared in a TV programme "Baribara - Facing Stuttering" by NHK. I also took part in various symposiums given by self-help groups. Apart from this I have been hosting study meetings named "Universal Philosophy Cafe", a place to learn about various disabilities and minorities from each other, in cooperation with my friends.

How the money would be used :
- Tuition fees, 63000 yuan
- Accommodation, 15000 yuan
- Flight ticket go and return, ¥30000
- Train tickets between Taipei and Hualien, 880 yuan
- Food (¥1000 per day. 170 days), ¥170000
- Books including textbooks, ¥30000
- Other transportation fees inside Taiwan, ¥20000
- Bicycle, ¥5000
- Cell phone plans, ¥7500
- Electronic dictionary comparable with Chinese, ¥35000
- Vaccines, ¥20000
The sum would be total ¥594080. Considering the commission charges of the crowdfunding, I would aim for ¥650000.

About return to the supporters.
To Those who would give me
Â¥3000, I'd send to You a postcard from Hualien.
Â¥5000, two postcards from Hualien.
Â¥10000, two postcards from Hualien and a stone washed by Taroko Valley and the ocean.
Â¥30000, one goods made by children in 楜山院, two postcards from Hualien, plus the stone.
Â¥50000, one goods of 楜山院, a postcard every month, plus the stone.
Â¥100000, two goods of 楜山院, a diary of my stay in Taiwan in a handmade booklet, plus a postcard every month.
Â¥200000, an invitation to a meeting to be held after my stay in Taiwan, exclusive to the supporters, two goods of 楜山院, a handmade booklet, plus a postcard per month.
Â¥300000, an invitation to the meeting, a handmade booklet, two goods of 楜山院, a postcard every month, plus, I would come to Your area to talk about the experiences from Taiwan.

Extra ¥50000, I'll help you stay in Hualian.

Schedule:
 In a chronological order, September 2019 to February 2020 - study in a Chinese language school in Hualien. Volunteer at 楜山院, hopefully sometime in the academic year 2020. In case I cannot volunteer at 楜山院, I will still be volunteering elsewhere.

Lastly,
Taiwan and Japan are already closely tied to each other. But I would say that from now on, not only in tourism, film making, fiction writing, or craftsmanship but also in the sphere of welfare, there would be stronger ties between these two cultures. I will do my best to have enriching experiences, so that I could bridge Taiwan and Japan. I would truly appreciate Your support.

About the "All-in System",
This crowdfunding will be done in the "All-in System". Even if the target sum is not reached, I will still go to Taiwan and give return to whatever support I will get from You.

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