JIAは、中国にあるハンセン病元隔離村の記録を書籍で残すための
クラウドファンディングを、日本で行おうとしています。
歴史を繰り返さないため。
元患者の魅力を語り継ぐため。
若者に勇気を与えるため。
私たちとハンセン病元患者との出逢いを形にして、未来へ残すことに価値があると信じています。
どうして中国なの?どうしてハンセン病?どうして日本で?
そんな『???』に答えるため、まずはこの下に書いた、私たちの歩みを是非読んでみてください。
~ことの始まり~
2002年、日本の大学生たちが中国のハンセン病元隔離村を訪れたことから、全ては始まりました。
中国には現在約600か所の元隔離村があり、2万人のハンセン病元患者が生活していると言われています。
病気は数十年前に完治していますが、後遺症による体の変形が原因で差別が続き、今なお元隔離村での生活を余儀なくされる元患者―村人―たち。家族からも周辺住民からも受け入れられず、政府から支給されるわずかな生活費を支えに山奥でひっそりと暮らしていました。
そんな村人と日本人大学生たちは、現地の人と衣食住を共にしながら行う “ワークキャンプ”と呼ばれるボランティア活動を通じて出逢いました。
~互いに気付き、成長する~
村人たちにとって、外国の若者たちの訪問は衝撃的なものでした。家族すら訪ねて来ない隔離村にやって来た若者たちは、村人と一緒に寝泊まりするだけでなく、一緒に食事をし、一緒に話をし、村の生活環境改善まで始めました。
当時を振り返り、村人はこういいました。
「初めの頃は、なぜ??という思いでいっぱいだった。夢でも見ているんじゃないか、騙されているんじゃないかと思った。」
更に、珍しい外国の若者を一目見ようと、今まで決して隔離村へ寄りつかなかった周辺住民たちが一人、また一人と、村へやってくるようになりました。村人と学生が一緒に生活する様子を見て、周辺住民は、病気が完治した村人からハンセン病が感染しないことを初めて知ります。こうして、数十年苦しめられてきた差別が、予想もしない形で消えていったのです。物を売ってもらえないことも、店から追い出されることもなくなりました。
ある村人は、こういいました。
「学生と触れ合う中で、再び自分自身に尊厳を覚えることが出来た。」
学生たちも、村人との出逢いから大きな影響を受けました。想像もできないほど過酷な過去を潜り抜けてきた村人たちには、今を生きる強さがありました。
そして学生たちは、ボランティアで村人を“助けに”行ったはずが、逆に自分たちが“助けられている”ことに気付きます。
「村人はハンセン病のために生きる場所を選べなかったけれど、どのように生きていくかは選んだ。自分自身を振り返って、どうだっただろう?」
こうして学生と村人たちは、ボランティアとしてではなく、互いに顔の見える人間として信頼関係を築き、共に成長していきました。
やがて、初めは日本人大学生だけしか参加しなかった活動に、地元の中国人も参加し始めます。
現在では、毎年2,000人の中国人大学生がワークキャンプに参加するようになりました。
~JIAが今向き合う課題~
ハンセン病元患者の平均年齢は70歳を越えます。少しずつ、確実に、彼らは衰えています。
村へ行くたび、あのじいちゃん、ばあちゃんが亡くなったという話を聞くようになりました。私たちは、中国でハンセン病による差別を経験した人たちと出逢える最後の世代です。
時代を生き抜いた村人の強さ、たくましさ、優しさが、若者を育てています。村人の最後の1人が亡くなったとしても、彼らの存在を絶やしたくない。
村人と最も近く、深い関係を築いてきた私たちが、彼らの生き様を記録に残したい。
そんな想いから、JIAは2014年から、ワークキャンプを通して成長してきた学生たちと一緒に『ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』に取り組み始めました。
村人の生き様、その価値を後世に残すことは、彼らと出逢い、学び、成長する機会をもらった私たちが彼らに出来る恩返しだと思うのです。
~初めての試み~
村人や村、村の歴史を形にする中で、彼らの現状や精神を多くの人に伝え、社会からハンセン病に対する差別をなくすこと。それが、『ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』の一つの大きな目標でした。
けれど、2014年、JIA事務局スタッフと学生が手探りで始めた 『【第一期】ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』は、試行錯誤の連続でした。
2度の合宿、2度の実地研修、継続的なミーティングを経て、参加した学生たちは文章の書き方、考察の仕方、コミュニケーションの取り方、題材選びについて1から学び、自身が思い入れのある村人、村を題材とし、記録を始めました。
(研修の様子)
(村人から話を聞く学生たち)
(村人の意見を聞く学生)
そして2015年夏、9名の学生が、やっと12つの作品を完成させました。
ハンセン病はこれまで、『負の遺産』と呼ばれてきました。けれど、こうして若者を育て、未来へつながっていく村人がいることで、ハンセン病は『未来の財産』と呼べるようになるのではないでしょうか。
『ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』を通して村人の生きた証を少しでも多く残したい残してほしいと願っています。
2017年、『【第二期】ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』を実施するために、皆様の力が必要です。
~なぜ、日本でクラウドファンディングを行うのか~
2002年に初めて中国のハンセン病快復村でワークキャンプを行った日本人は、彼らなりの方法で、人と人との距離を縮めていきます。
活動当初に日本の大学生とワークキャンプに参加し、その後JIAの中核として活動を創ってきたある中国人は、こういいました。
「日本人たちは村で、“ニーハオ(こんにちは)”と“シェイシェイ(ありがとう)”しか言えなかった。それなのに、村人に寄り添い、村人と深い関係を築いていた。中国語を使える自分たちはなぜ日本人と同じようにできないのか…」
日本人の誠実な姿勢だけではありません。誰にも命令されなくとも一生懸命働く姿、真剣にミーティングに取り組む姿、時間をしっかり守り、目的をみんなで一緒に達成しようとする姿に、一緒にワークキャンプに参加した中国人学生たちは衝撃を受けました。
そして15年が経った今、中国で行われているワークキャンプは、当時の様子をそのまま保っています。今では、中国人の学生たちが、新たに参加する中国の学生たちに、活動に対する取り組み方や姿勢を教えています。
ワークキャンプが、日本の文化を中国にも根付かせたのです。
残念なことに、近年中国のワークキャンプに参加する日本の大学生は日に日に少なくなっています。
メディアで取りざたされる、中国に対するマイナスのイメージも少なからず影響しています。
これを受けて、中国のキャンパーが言いました。
「日本のキャンパーに元気がないなら、僕たちが日本に行って、日本人とワークキャンプをしたい。昔日本人が僕たちにしてくれたことの恩返しがしたい。」
この“ワークキャンプ逆輸入計画”を、JIAは前向きに検討しています。
その基盤をつくるためにも、日本と中国が今ワークキャンプを通してつながり続けることがとても大切なのです。
今回、この『ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』は、JIAが日本と中国をつなげるための一つのチャンスです。このチャンスから、多くの人がJIAの活動をより深く理解し、今後JIAが踏み出す一歩に関心を抱いていただけることを願っています。
2017年、 『【第二期】ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』を実施するために、皆様の協力が必要です。
~JIAのことをもっと詳しく知りたい~
こちらのHPから、JIAの情報や活動内容をご覧いただけます。
~作品を読みたい~
『【第一期】ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』で完成した作品を、作品集として出版します。
~リターン~
このプロジェクトを支援していただける方には、ささやかではありますが、JIAからお礼の品をお送りしたいと考えています。
3,000円…①
5,000円…①+②
10,000円…①+②+③
30,000円…①+②+③+④
①支援いただいた方の名前の入った感謝のお手紙を直筆でお送りします。
②JIA特製ファイル、はがきセットをプレゼントします。
③書籍版『【第一期】ハンセン病元隔離村記録プロジェクト』に感謝の言葉を直筆で書き、お送りします。
④ハンセン病元患者の方が丁寧にでつくった“ちょっとした”小物をプレゼントします。どんな小物かは、届いてからのお楽しみに…。
ご協力、どうぞよろしくお願いいたします!
最新の活動報告
もっと見る日本語版の印刷完了
2019/07/17 21:00皆さま大変お待たせ致しました。日本語版の印刷が終わりました。現在発送作業を行なっております。ご支援を頂きました方々への「リターン」は近日中にお手元に届く予定です。もし問題があればご連絡を頂ければと思います。どうぞよろしくお願い致します。 もっと見る
目標を達成しました!
2017/05/06 16:54皆さま、こんにちは。 今回はJIAのクラウドファンディングにご協力いただきまして、どうもありがとうございました。 4月末にクラウドファンディングは終了し、結果は寄付総額86.3万円で、目標額の140万円は達成できませんでした。しかし、その後もJIAの郵便口座で寄付を募集し続けたところ、本日までに113万円が追加で集まりました。現時点で合計199.3万円が集まったことになります! そのため、中国のハンセン病快復者のストーリーを日本語で出版することができ、また、中国での記録プロジェクトを引き続き進めていくことができます! 本当にどうもありがとうございました! 日本語訳のチェックも最終段階に入りました。寄付が全額集まったので、出版社との出版の相談も連休明けから始めたいと思っています。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 心からの感謝を込めて、皆さまに報告致します。 JIA事務局 もっと見る
小牧義美訪中
2017/04/05 23:5387歳の小牧義美が中国に帰ってきた。 2005年3月、小牧は中国にてJIAの原田燎太郎と出逢い、以来、同年5月、8月とJIAの活動に参加する。自身がハンセン病を病み、後遺症で麻痺した足の裏にできる傷の手当てをした経験から、中国桂林のハンセン病快復村・ピンシャン村に40日単独で住み込み、村人(快復者)が自らケアを行い、それを地元学生が支える仕組みを構築。2006年には生活・医療環境の整った日本のハンセン病療養所を退所し、中国にて社会復帰を実現し、快復村での活動を続ける。しかし、その過程で自らも足に傷を負い、2007年末に足を切断するために帰国する。 その後、8年の間、中国に想いを馳せながら、ピンシャン村を、中国を訪れることができないでいた。近年、小牧は体重も落ち、かつての精気もなく、鹿児島の療養所で小さくなっていた。 その間もずっと鹿児島の療養所に小牧を訪ね続けたのが、谷之木勤任。学生時代の2007年に中国でのワークキャンプに初参加し、以来休みごとに中国を訪れていた。卒業して消防士として働き始めてからは中国に来ることは難しくなったが、小牧を定期的に訪れ、また後輩たちの面倒を見続ける。 その谷之木が今回、小牧に付き添うことになり、「それならば安心」と、小牧の訪中が実現した。 桂林、広州では12年前から活動を共にした仲間が各地から集まり、小牧と夕食を共にした。ピンシャン村ではかつて傷の手当てを受けた村人たちを中心に小牧の再訪を歓迎してくれた。そして、北京ではJIAの原田燎太郎と共に講演会を開催し、北京の学生や社会人、報道関係者に向けて活動の体験などについて語りかけた。 中国滞在中、小牧は日を重ねるに従い、明らかに体力的に疲れていった。しかし、その反面、彼の存在感は日増しに大きくなっていった。2005年、2006年の最盛期以上であるかのように。 彼の講演を聴いたある記者は言った、「小牧さんは中国が好きというより、むしろJIAのみんなのことが好きなんだろうなあ」。 小牧はピンシャン村を離れるとき、こうつぶやく、「足をもう少し鍛えんといかんなぁ。そうすれば、またピンシャンに戻ってこれるかもしれない」。 ピンシャン村の村人は2005年当時43名いたが、現在は18名と半数以下になっている。 小牧自身も87歳。 もっと見る
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