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2017年3月11日 東北の被災地で同じ時間を過ごしたい

東日本大震災から2017年3月11日で六年が経ちます。震災の風化が進む現状があるなかで、神奈川から学生が震災に触れる時間を作るため、被災地を訪れ、被災地で被災者と同じ時間を共有する。

現在の支援総額

15,000

5%

目標金額は300,000円

支援者数

5

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/01/17に募集を開始し、 5人の支援により 15,000円の資金を集め、 2017/03/14に募集を終了しました

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2017年3月11日 東北の被災地で同じ時間を過ごしたい

現在の支援総額

15,000

5%達成

終了

目標金額300,000

支援者数5

このプロジェクトは、2017/01/17に募集を開始し、 5人の支援により 15,000円の資金を集め、 2017/03/14に募集を終了しました

東日本大震災から2017年3月11日で六年が経ちます。震災の風化が進む現状があるなかで、神奈川から学生が震災に触れる時間を作るため、被災地を訪れ、被災地で被災者と同じ時間を共有する。

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2017/03/15 18:53
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3.11つなぐっぺし 被災地バスツアーRELiGHT

高校二年生

 

この二日間、学生40人で東日本大震災で被害を受けた福島県南相馬市、宮城県女川町、石巻市をまわってきました。

初日は南相馬市の追悼式に参列し、式終了後には献花を包んで参列されたご遺族の方々にお渡しするという作業を手伝わせていただきました。

市長さんから「生まれて生きているからには幸せになれ」というお言葉を頂きましたが、幸せになりなさいという言葉にさえ、神奈川で直接の被害をなにも受けていない私たちから出るものと被災された方から出るものでは重みが違います。ひたすらに力強く感じました。

 

南相馬市の追悼式では途中 国の追悼式の中継をスクリーンに映して参列者全員で観て黙祷をしたんですが、安倍総理が式辞の後ご位牌に礼をせず段を降りたのがなんだか引っかかる点ではありました(笑)

 

夜は女川まで移動しエルファロに泊まりました。

夕食の後みんなで会議室に集まりその日の意見交換・共有を行いましたが、それぞれの班で中・高生とは思えないくらい立派な意見が飛び交い、みんな有意義な時間を過ごせたのではないかと思います。

 

岩手県陸前高田市や宮城県女川町、石巻市などは津波被害でよく知られていると思います。地震で大きく揺れ 波に普段の生活や家、物、思い出、笑顔を飲み込まれてしまった場所です。

福島県ももちろん津波被害はありました。

しかし、第一原発での放射能が大きな被害として爪痕を残しているのはみなさんもご存知だと思います。

 

6年経った今でも、帰宅困難区域として私たちが足を踏み入れられない地域があります。

"家"という私たちの居場所は壊れず流されずそこにあるのに、目に見えない放射線によって帰路を塞がれいるべき場所に帰ることができないというのはどれだけ悔しいことなんでしょうか。

放射線を吸ったものはすべて黒い袋に入れられ、線量が下がるまでの数年間広い空き地に置かれますがそのたくさんの袋は現地の方にはどう映るんでしょうか。

私がボランティアとして被災地に赴くのはこれで5回目になりますが、知識は増えても被災された方本人の気持ちが完全に理解できることはありませんでした。

私たちには 理解できなくても"伝わる" "忘れない"ということはできると思うので、私たちから見た被災地や 現地で感じたことは忘れず地元に持ち帰って共有したいです。

 

そして今日 2日目は、朝から石巻市に移動し2グループに分かれて 実際にいろんな場所をまわりながら 語り部さんのお話をききました。

「石巻津波伝承AR ( Ishinomaki Future Support Association「石巻津波伝承AR」

https://appsto.re/jp/GqQzX.i )」というアプリをタブレットで使って散策するというツアーでした。

 

写真で何枚も載せているんですが、上に「石巻まちあるき」と書いてあるのがそのアプリのものです。

実際に被害にあった直後と今日の様子を写真に撮って比べて見ました。こうみると同じ場所に立っているのが怖いと思うくらいの光景です。

 

川沿いには新しく4.5mの堤防も建設を始めているようです。

言われただけではあまり想像ができませんが、その堤防の階段を登っているツアーメンバーをみるとその大きさがよくわかります。

 

このアプリでは震災後に"ここは将来こうなる予定だ"と建設予定のものなどを示した未来図も見れるんですが、今日見た中である黄色いマンションがありました。

語り部さんに言われてアプリの未来図をみると、そのまんまの姿が予想図になっていました。

今まで「こうなる予定です」「こうする方針です」という言葉は散々聞いてきましたが、実際にこうして完成したものをみたのは初めてでした。

着々と復興に近づいているのを目で感じられました。

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