2019/09/25 21:00

 現在開催中の「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」は、展示作品に対しての公権力による検閲ともとれる言及やSNSなどでの誹謗中傷、テロ行為の脅迫により僅か3日で中止に追込まれ、図らずしも我が国の表現の自由が直面している危機的な状況を浮き彫りに致しました。

 私たちが暮らすこの国では、昨今、立場やイデオロギーの異なる他者を認めない不寛容な空気が社会に蔓延しつつある中、アートをはじめ、表現の現場への検閲介入、一般市民からの抗議や無名の誹謗中傷などの圧力忖度萎縮による自主規制により、展覧会の中止作品の出展取りやめなどに至る事例が増えており、開催中の「あいちトリエンナーレ2019」はまさしくそうした状況が顕在化しました。また、芸術や文化の領域に留まらず、報道や言論に対する圧力自主規制も日常化しており、ますます不寛容さが増す中、自由に表現をする権利が浸食されつつあります。

2015年、東京都現代美術館で開催された「おとなもこどもも考える ここはだれの場所? 」展にて、市民からの抗議を受けて、美術館側から撤去の要請があった、会田誠の家族3人による会田家《檄》2015 展示風景 2015 撮影:宮島径 (c) AIDA Family Courtesy Mizuma Art Gallery

2014年、愛知県美術館で開催された「これからの写真」展で、愛知県警からの指摘を受けて布で覆った、鷹野隆大の作品《“with KJ#2(2007)” 》(シリーズ『おれと』より)
 Ryudai Takano Courtesy of Yumiko Chiba Associates, Zeit-Foto Salon

 表現の自由は決してアーティストや表現者だけの権利ではなく、資本力や権力によって歪められかねない思想及び良心の自由を守るために国民全員が持つ武器であり、守られるべき最低限の権利であり、その権利が浸食されつつある我が国の状況に強い危機意識を抱いております。


 今回の「表現の不自由展・その後」に関する一連の騒動と議論は、イデオロギーの対立と分断芸術や文化に対する無理解、芸術作品に自ら対置することのない無知ばかりが表層化して際立っています。


 今こそ必要とされているのは、立場の違う相手や他者、隣人のことを想い、理解しようと試みる想像力であり、それを培う芸術や文化の力だと思います。

Chim↑Pom 《広島の空をピカッとさせる》 2009 ビデオ(5分35秒)

 小社では、表現の自由が危機に瀕している現状が浮き彫りになったこの機会に、今回の「あいちトリエンナーレ」の件や、過去にアートや音楽、映像、コミックなどの表現の現場で、検閲や自主規制、あるいは組織や個人による誹謗中傷や脅迫により表現の自由が浸食された事例を通して、今一度、我が国の表現の自由が直面している現状を見つめ直し、様々な議論を通して、そのあり方を考える機運を創り出したく、『表現の不自由時代本』を発刊致します。

 この機会に、私たち1人1人が自分らしく暮らしていくために欠かすことのできない表現の自由について、個々人で見つめ直して、そのあり方を考える機会を創出したいと考えております。皆様のご支援をお願い申し上げます(拝)