みなさん、はじめまして!『unscene magazine』のプロジェクトに携わっています、窪田彩香ともうします。1991年生まれの28歳。高校卒業後は携帯電話販売員として約6年OLを経験し、憧れていたライター、エディター、デザインの仕事は25歳から始めました。現在は主に取材、記事作成、デザイン制作などを担当。また地元の地域起こしチームきたみらいかいぎ(http://kitamiraikaigi.com/)に所属しています。それでは前回の半田さんに続き、私も自己紹介をさせていただこうかな~と思います。私は生まれも育ちも宮崎県。生まれ育った街を1度も離れたことがありません。『なぜ地元を離れなかったのか?』と、今回の『unscene magazine』で友人の茜さんとの対談で改めて考えました。その時、思い浮かんだのは私の人生に関わってくれた友人や家族、仕事仲間たちの顔でした。『地方』に生まれ育った私が常に憧れている『都会』という存在。「いつかは地元を離れて…」と、考えたことは数知れず。それでも私はここ(地元)を離れられなかった?のです…と、これまでの自分のことなどを紙面でも語らせていただいてます。(自分のことを改めて話すのは、こっぱずかしいですが手にとって欲しいです)さて今回創刊する雑誌について北原編集長は、【宮崎にもいろんなシーンがあるはずなのにそれがカルチャーとして根付かないのは大衆にお金がなくて、生きていくことだけで精一杯だからなのか?それとも彼らがただ単にフカンショウなだけなのか、それとも情報の窓が少なくて気づけていないだけなのか。それを知らずに死ぬのってなんだか不幸なことだと思うんです。僕は今までいろんな人といろんな場所で時間を共有して、知ることができて、ワクワクするような妄想ができた。そのワクワクだったりをいろんな人に知ってもらいたいし、もっといろんな人にいろんな妄想をしてもらいたい。だけど、ここには情報の選択肢がすくない。そこで思いついたのがこの雑誌「UNSCENEMAGAZINE」です。】と、記しています。学生時代、学校が終わるとちょっとスカートを曲げて短くしたりして、自転車を全力で漕ぎ通った若草通。文具屋さんで友達とお揃いで買ったペンケース。とにかく恋バナがしたくて何時間も居座ったファストフード店。少し薄暗い店内でお気に入りの本を探していた本屋さん。…たった10年ほどでそのお店たちは姿を消し、今では駐車場やカラオケ店になっていて。街は時代とともに変化しています。私は昔の街も好きだし、今の街も好きです。昔は誰かと行くから好きだった場所でしたが、今は誰かに会いに行ける好きな場所へと変わっています。例えば「くぼちゃん、いつものでいいよね?」と大好きなメープルラテが飲めるコーヒー屋さん。「こんにちは~!お疲れさまです」と爽やかに挨拶してくれる配達員のお兄さん。「行ってらっしゃい~」とお店を出る時に声をかけてくれるご飯屋さん。そういう場所が増えていることが、これからのカルチャーやシーンが生まれるきっかけになるのでは?と、街の変化を私なりに感じています。何者でもない私たちができることは、そんなに多くはないかもしれない。でも伝えたい。そんな思いや経験を生かして『unscene magazine』を才能溢れる仲間たちと作りたいのです。って、おっと私も長くなっちゃいました(笑)この辺で失礼します!それでは、次回のレポート更新もお楽しみに~です。
アート の付いた活動報告
どうも、こんにちは。おはよう、こんばんは、おやすみ。『unscene magazine』のプロジェクトに携わっています半田孝輔といいます。今31歳で、ふだんは地域起こし系のお仕事で企画や編集・ライティングをしています。本に映画に音楽といったカルチャー的なものが好きで、それらが揃う場所によく出没しています。あとはランニングにハマってますね(来年はフルマラソンを3時間40分で走りきりたいなあ)。僕がどういう人間か、note(https://note.com/kounosuken)をブログ代わりに文章を書いているので読んでいただけると少しつかめるかも。ここでは僕の自己紹介となんでこの企画に関わったのかを書いていこうかと。ちょいと自分語りにお付き合いくださいませ。僕は1988年に東京で生まれました。両親は福島と東京の人。父の仕事で宮崎へ。確か僕が3歳くらい。僕の記憶のスタート地点はすでに宮崎。遺伝子的なものは置いといて、内面的なものはかなり宮崎人です。それから19歳まで宮崎で暮らして、20歳になる歳で東京の大学へ行くため上京してます。大学では哲学を中心に勉強していました。なんで哲学を? ってよく疑問を持たれるんですけれど、理由は明快でその分野しか勉強したいと思えることがなかったためです。思想系のお話って、僕らの日常の奥底を掘り返してくるというか、見慣れた景色をどか〜んって崩していく力があっておもしろいんですよね。そして、あらゆる学問分野を超えて共通するものを見出す営み。導き出された考えをもとに人がつながっていく仕組みをつくることができる。そこがおもしろいというか。そうやって幸運にも大学の勉強が楽しくって、たくさん本も読んで、バンドを楽しんで、バイトにも精を出して、しかも東京ってカルチャーの中心地で毎日刺激を浴びてっていう日々を過ごしていました。もう宮崎になんて戻らねーぞ(だって宮崎大嫌いで出たくてしょうがなかったんだし)! って思いをいだいていたのもつかの間……まあ、いろいろあって25歳で宮崎へ戻ってくるんですけどね。宮崎へ帰ってきて感じたのは、おそらくUターン組なら同じことを感じていたと思うけれど、とにかく街に人がいない、おもしろくない、刺激がない、え? どこに行けばいいの? という感覚。かつての友人たちもほとんど地元にはいなかったので、東京時代に覚えた「街をひたすらふらつく」という行為を戻ってきたばかりのときによくしていました。いろんなお店行ったり興味のあるイベントに参加してみたり。そんなことをしているうちに知り合いも増えて、ちょっとは街のことにも詳しくなってきて、いろんな催しにも主催側として首を突っ込むことが多くなり。そして、この宮崎で、この街で生活する一人の人間として、この土地の抱える課題にも少しずつ気づいてきて。宮崎、そしてこの街にもおもしろい人がいておもしろい場所がある。そして僕らが“カルチャー”と読んでいるような文化って言うほど高尚ではないけれど、なんか僕らをワクワクさせる空気や雰囲気、そして、そんな状況を生み出す「もの・こと」たち。それらが「ある」はずなのに、なぜか「ない」ことにされてないか? さらに言えば、文化・カルチャー的なものがしっかりと根をはっていかない感じ。これがすごくむず痒く感じるんです。その課題意識の延長線上にこの『unscene magazine』があるって感じです。発起人の北原優くんは、そのワクワクさせる雰囲気や、そう感じる一瞬の出来事や情景を「シーン」という言葉で表現しています。このマガジンを作ることでそうしたシーンをちゃんと保存しておきたい。そうやって記録することによって、ちゃんと人や土地の記憶として残るようになってほしい。ちょっとでかい話かもしれないけれど、そういう営みって大事だなって思うんです。今になってみると、宮崎で10代を過ごしていた自分、宮崎に帰ってきたばかりの自分は知らないことが多すぎたし、ワクワクするものと出会う機会もよほど感度が高くなければほとんどなかった。そのときの自分たちに、「ちょっと歩くだけでワクワクする出会いはいっぱいあるよ」と耳元で囁きたい。北原くんに誘われたときは素直に嬉しかった。だって、彼みたいに若くて才能溢れる青年が一緒に作りませんか? って言ってくれるんですよ。照れ笑いでハニカミますって。彼と、そして倉本さんと窪田さんっていう濃ゆくてリスペクトしまくりな方々と一緒にワクワクするものを作りたいと思います。ちょっと長くなりましたね…すんません、悪いクセです。次のレポート更新もお楽しみに!