どうも、こんにちは。
おはよう、こんばんは、おやすみ。
『unscene magazine』のプロジェクトに携わっています半田孝輔といいます。
今31歳で、ふだんは地域起こし系のお仕事で企画や編集・ライティングをしています。
本に映画に音楽といったカルチャー的なものが好きで、それらが揃う場所によく出没しています。あとはランニングにハマってますね(来年はフルマラソンを3時間40分で走りきりたいなあ)。
僕がどういう人間か、note(https://note.com/kounosuken)をブログ代わりに文章を書いているので読んでいただけると少しつかめるかも。
ここでは僕の自己紹介となんでこの企画に関わったのかを書いていこうかと。
ちょいと自分語りにお付き合いくださいませ。
僕は1988年に東京で生まれました。両親は福島と東京の人。
父の仕事で宮崎へ。確か僕が3歳くらい。僕の記憶のスタート地点はすでに宮崎。
遺伝子的なものは置いといて、内面的なものはかなり宮崎人です。
それから19歳まで宮崎で暮らして、20歳になる歳で東京の大学へ行くため上京してます。
大学では哲学を中心に勉強していました。
なんで哲学を? ってよく疑問を持たれるんですけれど、理由は明快でその分野しか勉強したいと思えることがなかったためです。思想系のお話って、僕らの日常の奥底を掘り返してくるというか、見慣れた景色をどか〜んって崩していく力があっておもしろいんですよね。そして、あらゆる学問分野を超えて共通するものを見出す営み。導き出された考えをもとに人がつながっていく仕組みをつくることができる。そこがおもしろいというか。
そうやって幸運にも大学の勉強が楽しくって、たくさん本も読んで、バンドを楽しんで、バイトにも精を出して、しかも東京ってカルチャーの中心地で毎日刺激を浴びてっていう日々を過ごしていました。もう宮崎になんて戻らねーぞ(だって宮崎大嫌いで出たくてしょうがなかったんだし)! って思いをいだいていたのもつかの間…
…まあ、いろいろあって25歳で宮崎へ戻ってくるんですけどね。
宮崎へ帰ってきて感じたのは、おそらくUターン組なら同じことを感じていたと思うけれど、とにかく街に人がいない、おもしろくない、刺激がない、え? どこに行けばいいの? という感覚。
かつての友人たちもほとんど地元にはいなかったので、東京時代に覚えた「街をひたすらふらつく」という行為を戻ってきたばかりのときによくしていました。いろんなお店行ったり興味のあるイベントに参加してみたり。そんなことをしているうちに知り合いも増えて、ちょっとは街のことにも詳しくなってきて、いろんな催しにも主催側として首を突っ込むことが多くなり。そして、この宮崎で、この街で生活する一人の人間として、この土地の抱える課題にも少しずつ気づいてきて。
宮崎、そしてこの街にもおもしろい人がいておもしろい場所がある。そして僕らが“カルチャー”と読んでいるような文化って言うほど高尚ではないけれど、なんか僕らをワクワクさせる空気や雰囲気、そして、そんな状況を生み出す「もの・こと」たち。それらが「ある」はずなのに、なぜか「ない」ことにされてないか? さらに言えば、文化・カルチャー的なものがしっかりと根をはっていかない感じ。これがすごくむず痒く感じるんです。
その課題意識の延長線上にこの『unscene magazine』があるって感じです。
発起人の北原優くんは、そのワクワクさせる雰囲気や、そう感じる一瞬の出来事や情景を「シーン」という言葉で表現しています。このマガジンを作ることでそうしたシーンをちゃんと保存しておきたい。そうやって記録することによって、ちゃんと人や土地の記憶として残るようになってほしい。
ちょっとでかい話かもしれないけれど、そういう営みって大事だなって思うんです。今になってみると、宮崎で10代を過ごしていた自分、宮崎に帰ってきたばかりの自分は知らないことが多すぎたし、ワクワクするものと出会う機会もよほど感度が高くなければほとんどなかった。そのときの自分たちに、「ちょっと歩くだけでワクワクする出会いはいっぱいあるよ」と耳元で囁きたい。
北原くんに誘われたときは素直に嬉しかった。
だって、彼みたいに若くて才能溢れる青年が一緒に作りませんか? って言ってくれるんですよ。照れ笑いでハニカミますって。彼と、そして倉本さんと窪田さんっていう濃ゆくてリスペクトしまくりな方々と一緒にワクワクするものを作りたいと思います。
ちょっと長くなりましたね…すんません、悪いクセです。
次のレポート更新もお楽しみに!