2019/12/04 21:00

 今回の鳥公園の創作体制変更に始まる問題提起に対して、様々な方から応援や応答のメッセージをいただきました。ご紹介していきます!

 * * *

「応援メッセージ」

                       手塚夏子(ダンサー・振付家)


 幾つかの交流を通して、私は鳥公園の静かだけれども迫力のある粘質性の魅力を知った。西尾さんがSTスポットのヨコラボでソロとしての作品を上演した時も、オシメの中からドックフードが飛び出し、鳥公園として北九州の喫茶店の2階でお芝居を上演した時も、ぬめぬめした赤い紐が体から引っ張り出され、「鳥公園のアタマの中」展で私がするべきリーディングにて差し出された戯曲は引きこもりの女性が男性のオナニーを覗き、私はいちいちそれらの迫力ある粘質性に圧倒されて「まいったなあ〜」とタジタジしてしまうばかりであった。西尾さんの中にそれらの粘質性があるのか、それとも、西尾さんと世界の関係においてそれらがどうしようもなく生じてくるのか?あるいは「鳥公園」に関わる人々と西尾さんとの間でそれらが増幅されてしまうのか?はたまた、お客さんとの関わりにおいて益々それらが粘り気を帯びてくるのか?そうして、見ているこちらはなんとか目をそらしたくなる衝動と闘いながら、気がつけば目をそらすことができなくなってしまう事態にどっぷりと浸かっている。

 今回、鳥公園は新しい体制に移行するという。場としての「公園」になっていくことを願っての新体制であるという点がとても興味深い。西尾さんは明らかに強い作家性を持った稀有な人だけれど、「強い作家性」というものはどうしてもその視点を人に強いる危険性と隣り合わせでもある。だから、今回の新体制の中では、強い作家性のもたらす視点に対して、「演出」という別の角度からの視点が生じ、その誤差のようなスペースに様々な見方、感じ方が混在し拮抗しあう可能性が生まれうるとしたら、それがあらたな「公園」としての機能になりうるのではないだろうか?その体制の中で、鳥公園としての生き生きした活動を経済的にどのように運営するか?という問題がまた、ほんとうに大変なことではあり、様々な助成金は、継続的に舞台活動をする身としては綱渡りのような危うさを秘めている。舞台の活動というものが現代において抱えている「採算がとれない」という現実にどう向き合うか?ということは永遠の課題でもある。今回の鳥公園のチャレンジは、それをたくさんの舞台関係者と共に考えるきっかけを作り、またその結果様々な影響を与えうる新しい風でもある。私としては、演劇、ダンスに関わらず、活動を続けるものどうしの創造的なコミュニケーションの延長線上で、経済的な困難さを克服する知恵をも創造していく関わりを共に築いていきたいと切実に思う。