2019/09/29 18:00
こんにちは、清水煩悩です
今回は
ごめんなさい
そもそも清水煩悩って
あなたは一体何者ですか?、
という方のために
ぼくの人となり、というか
パーソナルの形成の様なこと
について書きます
直接プロジェクトに
関係ないと思いきや
実は僕の事
イメージできてない人もいると思うし
よく知らない人を応援できないよ、
という人も正直いるかと思います
なので有意義な文章に
なると思います
新珍味
ぼくは中華料理屋に住んでいます
場所は東京の池袋
お店の名前は新珍味といいます
ここの5階に住み込みで
働かせてもらいながら
音楽活動も行なっています
中華料理屋に住んでいる
インディーズミュージシャン
まあそんなところです
つい先日
台湾独立運動のゴットファーザー
と呼ばれ
ぼくが働き住む
新珍味の開業者である、
史明さんがこの世を去りました
100才だったそうです
後日確認すると
史明さんが亡くなられる
一時間前ほどに
ぼくは新しいライブビデオを
発表しました
翌日までそのニュースを知らず
聞いた時にはとても驚きました、
日本語も御達者らしかった
史明さんに
お世話になっています、
と挨拶を兼ね
ライブビデオを送ろうと
思っていましたから
なんともいえません
史明さんや新珍味の歴史については
この記事でも知ってもらえますので
読んでみてください
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64326
ぼくは5階に住ませてもらってます
階段の踊り場にある
史明さんの書棚から
たまには本を借りて読んでいます
もうかれこれ10冊ほどは
読んだと思います
ぼくは本を読むのが好きです
4年間通い、4年目で中退した
大学時代も図書館で本に夢中になって
受けなきゃいけないテストの時間に
2時間も遅れたことがあります
テストは14時からでした
ぼくは16時に行きました
本に夢中になって遅れたというよりもそもそも16時からだと
思い込んでたのかもしれません
悠々とテスト会場へ向かいました
真っ暗な部屋に一番乗り。
それもそうです、テストは
もうとっくに終わってるのですから
みんな遅いなあと思い、
教室の電気をつけた瞬間、
ハッとしました
あっ、
そこで時間の勘違いに気づいたのですそういった失敗の数々を経て
4年では卒業出来ないことが
分かり、中退することを決意しました
その後、フィリピンへ行きました
どうしてここでフィリピンに
行ける余裕があったのか
今でも全く分かりません
みんなが思っているより
あっさりと決断しました
セブ島というところに
卒業が決まった友人達と
1週間ほどだったと思います
クラブへ通いました
すごくいい音楽を
かけてるところが多くて
友人達がホテルで休むと言っても
ぼく一人でクラブへ出かけた
記憶もあります
変なムキムキの人に追いかけられたりしました
なぜか外国に行くと
いつも現地の美容室に
行きたくなります
必ず「おまかせします」と言って
切ってもらいます
ボートが頭にポンと
乗ったような髪型
それはそれは
ヘンテコな髪型になりました
だけれど何故か
地元の人たちが優しくしてくれた
これは髪型のおかげかもしれない
バスから手を振ってもらえたりした
そういえばイタリアに行った時も
がんばってイタリア語を勉強して
「この辺りであなたの好きなお店を教えてください」
と紙に書いて
ホテルのお母さんのような人に
聞いたことがある
地図に丸をつけてくれて
平均価格帯まで書いてくれた
ここでも驚いたのは
「ありがとう」と伝え去ろうとしたら
「ちょっと待って」と引き止められ
僕が渡したイタリア語の紙を取って
何か紙に一生懸命書いてくれました
紙を返してもらって
その紙を指差しながら
全部イタリア語で話されたので
おそらくだけど
間違ってた文章を直してくれたのです
それで最後に
「ありがとう」って言われました
フィリピンの事と
このイタリアの事は
なんだかよく似た思い出として
残っています
僕が大阪の喫茶店で
働いていた時
韓国の方から
〈やさしい日本語を使ってくれてありがとう〉
とティッシュペーパーに
ボールペンで無理矢理書いた
カタコトの手紙を
もらいました
嬉しかった
そのあと
バイバイってしただけやけど
それを書いて渡そうって
思ってくれたの、嬉しかった
・・・
コミュニケーションを
取るのが
だんだん
難しくなってきてるとおもいます
ちょっと便利に
なりすぎてるのかも
しれやんなあ、とか
インターネットの文字
だけじゃ伝えきれやん部分
大いにあるなあ、
と思ってます
今回のクラウドファンディング
0号試写会 兼 ホームパーティー
だってそう
会って直接話す、
という意図をもってます
・・・
ぼくは2018年の8月くらいでしょうか
ちょうど1年前ほどに
大阪から東京へ出てきました、
地元は、和歌山県。
東京の(物理的な)明るさに
いつもクラクラしています
東京に出てきて4〜5ヶ月ほど
住所不定無職で
あちこちを彷徨いました
ライブをしながら身銭を稼いだり
悲しいですが
コインパーキングで
夜を明かしたこともあります
(地面が何故かほんのり暖かい)
亡霊のように
色んな人に助けてもらいながら
ギターと本5冊と服2、3着をもって
転々としているうちに
親愛なる友人が
ここにいるから飲みにおいでよ、
と誘ってくれたのが
今の自宅兼職場である
池袋の新珍味です
ぼくがここに辿り着いた意味が
ある気がしていて
その頃ちょうど、
台湾のブヌンという先住民の音楽と
チェリストのDavid darlingが作った『Mudanin Kata』というアルバムを(本当に名盤だと思います)
これまた心安らぐ友人から
勧めてもらいました
ここに来たことには意味がある
ここにいることに意味がある、
と思います
ぼくが住んでいる5階では
当時爆弾が作られていました
今ではすっかり平和なお店ですが
ぼくが5階で音楽の爆弾を作ってる、
と友人たちはふざけながら
嬉しそうにいつも人に話してくれます
Music Bomb
その新珍味の2階には
史明さんのポスターが貼ってあります
そこにはこう書いてます
理想無くして生きる人生にどんな意味があるのか?
ぼくはいつも仕事ではなんとなく
2階にいることが多くて
いつもこのポスターと目が合う
理想無くして生きる人生にどんな意味があるのか?
よく考える
理想を持って死ぬ人生の意味
って何やろう?
音楽をやりながら働いている
本当は音楽をやっているだけで
暮らせると嬉しい
でも
音楽をやっているだけで暮らすのも
また悩むやろなあ、とか
結局どこにいても
場所が違うだけで悩むよなあ、とか
色んな事を考えるのは準備すること
今まで頭でイメージした事を
世界が超えてきたことは
殆どない気もする
でも予想外のことは起きる
(今回の史明さんの訃報のように)
ぼくの大好きな先輩がずっと前に
みんな助けてはくれやんけど、協力はしてくれる
って言ってた
今回のクラウドファンディングも
同じようなことかもしれやん
いらっしゃいませとか言いながら
お客さんの会話がよく耳に入ります
「この店に来たら、連れてきた人みんな喜ぶんだよー」
とか
中華料理屋に住んでいる
インディーズミュージシャン
ぜんぜんその人を知らない人に
ぼくがその人を紹介するなら
そう言うと思う
もっと知ってもらいたいなあ、
と思った
もうたくさん失敗してきた
いっぱいぶつかって
たくさん怪我して
今まで生きてきた
準備は出来てるつもりでいる
あとは走り回って祈って寝るだけ
子供みたい
名刺を作りました
ポスターも作ります
中華料理屋に住んでる
インディーズミュージシャンが
新しいこと始めただけのポスター
何百何千の人が通り過ぎるけど
誰か一人が見るかもしれない紙
そんなの効果ないよ、
そんなの意味ないよ、
って言われるかもしれない
でもいつも見てるポスターは
ぼくに言ってくれます
紙一枚でも意味持たせたいよなあ
意味持たせられると思うよ
みたいなこと
中華料理屋に住んでいる
インディーズミュージシャン
それ以上でも
それ以下でもないです
よく考えると
こんなに喜ばしいことはない
やりたいことやればいい
傷跡も笑える
よしやろう
じゃあどうする
おねがいしてみよう
協力してもらえるかもしれない
言葉にする
受け取る
全部意味あると思う
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本クラウドファンディングの
ポスターを
貼っていただけるところ
探しています
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たくさんの人に知ってもらいたいです
shimizubonnou@gmail.com
ここにメール頂けると嬉しいです
なるべく直接伺いたい
コミュニケーション
取ってみたいです
遠くて行けないところでも
手書きのお手紙を
添えようと思ってます
ぼくなりのやり方で
やりたいこと
やるために
やってみる
何回書いてもこれに尽きる
ぼくのことを全く知らない方でも
ご協力してもらえたら嬉しいです
なんだったら宛先も
中華料理屋に住んでいる
インディーズミュージシャンへ
で
構いませんので
R.I.P 史明
もう少し清水煩悩を知ってみたい方はオフィシャルホームページをチェックしてみてくださいませ https://hokusai.co/shimizu-bonnou