皆様こんにちは、今回は何故今回のプロジェクトで、「北のふるさと」と言う楽曲を歌おうと思ったかを、お話させていただきたいと思います
私は1985年大橋兄弟としてデビューし当時宮城県のタレント宮城新市さんの事務所に所属し宮城 岩手 福島の被災3県を毎週のように公演しておりました。
その公演の中で毎回宮城新市氏が歌われていた「北のふるさと」が子供心にとても印象に残っており曲の歌いだしで、「いわし雲 いわし雲 流れる果てに北国の 北国の ふるさとがある」と言うフレーズがとても印象的で、何時か自分もそんな曲を歌ってみたいという想いがございました。この度震災を経て、改めて故郷を思う歌を歌ってみたいと言う気持ちや
そして自分が昔、被災前に観た風景24年前に亡くなった母や故郷への想いに重ねて、自分たちも福島県と宮城県で被災し沢山の皆様にお世話になったことから、あらためて復興支援公演として3.11の被災地を「北のふるさと」の歌と舞踊を持って、被災された皆様の元へ伺いたいと思いました。
先日、改めて「北のふるさと」の御本家 宮城新市氏のもとに伺い懐かしいお話や、今回のプロジェクト開始のご報告をして参りました。
現在、宮城新市氏は御年82歳 体調を崩されからはステージ活動から遠ざかっておられますが、当日もお元気にお話を聞いて下さいました。
私にとっては宮城新市氏は当時の所属事務所の社長でもあり、ステージや楽屋での礼儀作法など全てを教えてくれた、大恩人で現在の私達の活動の礎となって居る方です。
その中でも当時、「俺ら東京さ行くだ」のヒット後「雪国」発売する直前の吉幾三さんと宮城新市氏そして大橋兄弟時代の私、貴麿の三組で宮城 岩手 福島の三件をツアーで公演した際のポスターが残っておりました。
当時はまだネーミングライツは無かった宮城県民会館公演
現在の宮城新市氏
本当に懐かしい写真や、当時の思い出話をして参りました。
今回のプロジェクトには私共の様々な想いが詰まっております、皆様今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
次回の活動報告もお楽しみに!