2019/11/27 03:05

こんばんは。
写真家の綾 順博(あや のぶひろ)です。

日付変わって11月27日です。
クラウドファンディングも残り3日となりました。
現在の達成率は76%です。
たった1日で27%も伸びました!!!
もう、本当に本当にありがとうございます。
100%達成まで残り24%(95,000円)です。
最後の最後まで応援していただけると嬉しいです!!!


 さて、今日は銀鏡神楽の見所(おもいっきり私見)をご紹介できればと思います。

 はじめて銀鏡神楽の撮影をしたのは2016年です。この時は、観光協会からのご依頼で仕事として伺いました。当初から12月14日の大祭だけではなく、準備段階から撮影したいと思い、12月12日の朝から撮影させて頂く事にしました。本文にも書いていますが、この時は完全アウェーでした。


(誰だ?あいつ…という視線が痛かったです…。)

 上の写真の中央付近に写っているのが内神屋(うちこうや)です。式一番「星の舞」はここで舞われます。その手前、石垣で1段高くなっているのが外神屋(そとこうや)になる舞台です。式二番から三十二番までの舞は、ここで舞われます。左にある建物は伝承館です。14日になると閉じられている板戸が全てはずされ、神楽をここから観覧する事が出来ます。14日の夜には、ここに畳が敷かれて観覧客の為に火鉢が置かれます。

アウェー写真の焚火にあたっている皆さんの後方も、観覧席として板が組まれます。

 多くの準備を経て大祭が始まるのですが、詳しくは私が書いたブログにありますので、興味ある方はそちらをご覧ください。(https://ameblo.jp/photographer-aya/entry-12229419662.html

 この14日に門注連祭(かどしめさい)といって、神社の様々な場を清め結界をはっていく行事があります。厳密には、この結界を張られた場所に女性は入ることは出来ません。何故かと言われると…伝統ですとしか言えないでしょうね。そして、もちろん神楽関係者以外も入ることはできません。 

 上の写真をよく見るとお分かり頂けると思いますが、結界が張られた場所には、しめ縄が張ってあります。このしめ縄の内側は基本的に立ち入り禁止です。私は許可を頂いてギリギリの場所で撮影させて頂いています。そして、許可を得て撮影している人でも、内神屋の前(外神屋から続く階段付近)を横切ることは許されません。

これは、神事です。
観覧客は、神事を邪魔してはいけません。

 カメラマンの中には、いい写真を撮りたくてしめ縄をくぐってしまう人もいるようです。これは絶対に止めて下さいね。お願いします。同様に、社務所から内神屋までの渡り廊下も関係者以外立ち入り禁止です。いつだったか…この渡り廊下を勝手に入って来て、内神屋側から神楽を撮影しようとしていた人がいました。その時は、銀鏡の長老に静かに注意されていました。これも絶対にしないでくださいね。


 前置きが長くなりましたが、銀鏡神楽の大まかな流れをお話しします。

式一番「星神楽(星の舞)」 12月13日 午後5時ごろ 

(二人舞)
内神屋で舞われます。

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面さま迎え 12月14日 午後4~5時ごろ

面さまの御神幸が銀鏡神社へとやってきます。
この時、迎えられるのは

 手力男神社「手力男」の面
 宿神社「宿神三宝荒神」の面
 六社稲荷神社「六社稲荷」の面
 七社稲荷神社「七社稲荷」の面
 鹿倉社「若男大神」の面


御神幸の法螺貝(ほらがい)と笛太鼓の音が近づいてくると、道筋の家の人は通りに出て待ち、通過する時に面さまに手を合わせます。
外神屋では宮司、氏子総代長、祝子数人が正座して面さまを迎え、よど祭りを行います。

外神屋での面さま迎えの祭事がすむと、社務所での「座付」があります。この時、社務所は関係者以外立ち入り禁止です。
ここで食べられるものの中に「へそ飯」というのがあります。
真ん中の部分が天皇で、それを国民が支えているという意味があるそうです。ちなみに今でこそ一合ちょっとぐらいだそうですが、昔は二合あったそうで、禰宜・権禰宜・祝子たちへ一人一膳ずつ出されるものです。
この膳にへそ飯の付く座付は、神楽を奉納する一同を神に奉告する儀式です。神は座に列席しない者が神楽を舞うことを許さないそうです。

その後、宵宮の祭式が行われて、ホンシメの棚に猪の頭などが供えられます。

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式二番「清山」 12月14日の午後8時ごろ

(二人舞。星の舞と同じ祝子が舞う)
ホンシメの前にすえられた太鼓がドンと打ち出されて宵宮の最初の舞が始まります。
神の降臨する外神屋を清め、式三十三番の神楽が清く正しく舞い納められるように祈りを込めて舞われます。

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式三番「花の舞」(「結界」)(少年四人の舞。年によって八~十二人)
別称の「結界」は、「清山」によって清められた外神屋、すなわち神楽の舞台に邪神はもとより、座付に加わらなかった者がはいってはならない空間を設定するためのものです。

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式四番「地割」(四人舞)
神楽が行われている地、その場にひそむ荒ぶる神を鎮めるためのものです。

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式五番「鵜戸神楽」(二人舞)
式六番「鵜戸鬼神」の地舞で、鵜戸神楽の途中で鵜戸鬼神が降居(おりい)になります。地舞とは、つぎに舞う神面を着けた紙を迎えるために、あらためて舞台を清め、降居をうながす枚です。

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式六番「鵜戸鬼神」(一人舞)
面棒をたて、左手に持っている榊葉を後方に捨てる所作を、「柴手水(しばちょうず)」を使うと言います。つづいて神楽歌を歌いながらおごそかに舞います。
そこに前に舞った鵜戸神楽の二人が出てきて、鵜戸鬼神と向き合って一差し舞います。それはいかにも神と人が一緒に舞い遊んでいるように見えます。本来、「遊び」とはこのように、降臨された神とひとときを過ごすことで、神酒を飲むのはそのために身を清めるのです。

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式七番「幣指」(二人舞)
「幣指」は舞台の四方に幣を指して舞うことからいいます。つぎの西之宮大明神降居の地舞で、この舞いが終わりに近くなると、内神屋で法螺貝を吹き、西之宮大明神の降居を知らせます。

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式八番「西之宮大明神」(一人舞)
この舞いは、宮司しか舞うことが出来ません。この舞いのとき、参拝者は競うようにおひねり(御賽銭)を奉じ、手を合わせます。以前は、宝冠におひねりが入ると良いとされていたそうですが…この行為は、神面におひねりが当たってしまい傷がついてしまう可能性があります。なので、今では白紙に包んだおひねりを宝冠に投げいれるのは、絶対NGです!おひねりを投げる時は、足元へ落とすようにしてください。 

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式九番「住吉」(四人舞)
「住吉」はつぎの「宿神三宝荒神」降地の地舞ですが、古くは式二十七番の「室の神」の地舞でした。「西之宮大明神」降居のときのように、「宿神三宝荒神」降居を知らせる法螺貝を内神屋でしきりに吹き鳴らします。

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式十番「宿神三宝荒神」(一人舞)
この舞いは、宿神社の神主でなければ舞うことが出来ません。ほかに例を見ない大きな舌を出した作りの神面は、宮崎県の重要有形民俗文化財に指定されています。西之宮大明神と同様に白紙に包んだおひねりを宝冠に投げいれるのは、絶対NGです!おひねりを投げる時は、足元へ落とすようにしてください。 


 これ以降、観覧席から神楽囃子(かぐらばやし)が大きな声で歌われます。かつて神楽の夜は男女の見初めの場で、神楽囃子は見初めた相手に思いを伝える即興的な歌でもあったそうですよ。ロマンチックです。

そう言えば、銀鏡神社に祭られている岩長姫尊(いわながひめのみこと) は、縁結びの神様でもありますね!(活動報告の「お守りについて」参照:https://camp-fire.jp/projects/210615/activities/106051#main) これは…もしかして。気になる人と一緒に銀鏡神楽を観に来ると…。

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式十一番「若男大神」(一人舞)
天太玉命の舞です。

神楽次第にはありませんが、「若男大神」のあと、ホンシメを立てた人を神々に伝え、その人の家の家族健康と安全を祈念する「ホンシメ拝み」を行います。

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式十二番「初三舞」
(古くは二人舞、現在は四人で舞う)
基本の舞で、この舞いをしっかりおぼえると、ほかの舞の上達も早いと言われています。

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式十三番「六社稲荷」(一人舞)
六社稲荷神社の神主が神面を着けて舞います。

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式十四番「七社稲荷」(一人舞)
七社稲荷神社の神主が神面を着けて舞います。
七社稲荷は山の神で狩りの神、七神崎および七鬼神の主座に坐す神とされています。

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式十五番「神崇」(四人舞)
抜身の太刀に白紙を巻いて握って激しく舞い、見ている人をハラハラさせたりします。
この神楽は、舞台である外神屋の中央と東西南北の五方を祓い清め、さらに五方を守護する五方神(五行の神)にご守護を祈念するものです。

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式十六番「荘厳」
(二人舞)
軽快、活発な舞で、だれもが舞台に引き付けられます。「下の地」になると、弓に矢をつがえて引き絞るようにして舞い、つづいて背の日本の矢を取って「矢つかい」と「弓つかい」を舞います。
天照大御神の坐す神殿の門前を守護する二神が、天照大御神の御田を荒らそうとする須佐之男命を弓矢をもって防ぎ、御田を守った様子を表したものです。

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式十七番「柴荒神」(一人舞)
「はらかき荒神」ともいわれるように荒々しく舞います。「荘厳」の二人が加わって、柴荒神の舞を真似ながら一緒に舞う一幕もあります。荒々しい舞のあと柴荒神は太鼓の上にどっかりと腰をおろします。そこに神主が出てきて、まだ怒り狂っている様な荒神と「柴荒神問答」をします。

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式十八番「一人剣」(一人舞)
この舞いの特徴は、赤襷(たすき)がさながら生きているかのように目上で交互に振りながら舞うところです。そして、その赤襷を握ってでんぐり返しをして立ち上がるまでに、十字に襷がけをします。両手に小刀の真ん中を逆手に握り、胸の上で十文字に振りながら舞い、さらに小刀を胸に置いてでんぐり返しをします。観覧席からは、おーっという声が聞こえます。
「一人剣」は、神が願いを聞き届け、今年もまた豊作にしてくれたことに深く感謝し、その喜びを神に伝える神楽です。初めから動きが激しく、若い祝子でないと終わりまで舞い続けられません。

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式十九番「神和」(一人舞)
女神舞で、優しい所作の舞です。

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式二十番「綱荒神」
(地舞二人。神舞一人)
地舞二人が待っているところに、神面を着けた須佐之男命が現れ、荒々しく舞います。
地舞の二人が、「柴荒神」と同じように須佐之男命の舞を真似て舞うところがあるのですが、呼吸が合わないために動きがちぐはぐになって、観覧席から笑いが起きたりします。
舞い終えると須佐之男命は龍体(藁蛇)を前にして太鼓に座り、神主と問答を始めます。

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式二十一番「綱神楽」(四人舞)
藁で作られた蛇を飛び越えながら勇壮に舞います。最後に蛇の首と尻尾のあたりを一刀のもとに切り落とさします。切られた綱は数人の祝子がかかえ、境内の荒神林に納められます。「蛇切り(じゃきり)」をもいわれるこの神楽は、智剣を持って悪念妄想の綱(蛇体)を断ち切ることを表します。

「綱荒神」のあと、ホンシメの棚に供えてあった猪頭をさげます。

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式二十二番「伊勢神楽」(大神神楽)
(一人舞)
舞台の一隅に、つぎの「手力男命」の天岩戸を模した屏風をおきます。なかに天照大御神の面を着けた祝子が女の着物に烏帽子をかぶって座っています。
伊勢神楽は天児屋根命の舞ともいわれ、この神楽が始まると法螺貝を幾度も吹き鳴らします。
優雅で品位のあるゆったりとした舞で、天岩戸の方を向いて、うやまい幣と扇を静かに振りながら、「伊勢の縁起」を奉唱します。天照大御神が、須佐之男命の悪行に怒り天岩戸に籠られ、この世は闇となった。そこで神々が集い、天照大御神に天岩戸から出ていただくためにとった、さまざまな行動を語っています。

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式二十三番「手力男命」 12月15日午前6時ごろ(一人舞)
手力男神社の神主が舞います。
天岩戸の前の暗闇の中で、あたかも手探り、足探りをしながら七日七夜も舞いつづけたという苦労を語るかのように、腰を深く折り、うしろにまわした両手を振りながら舞います。
この頃、空が少しずつ明るくなってきます。とにかく寒いです。手力男命の面から吐かれる息が真っ白です。この神面も宮崎県の重要有形民俗文化財に指定されています。

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式二十四番「戸破明神」(一人舞)
手力男命の化身の舞で、面棒と扇を交互に両手で持ちながら、滑稽味のある足さばきで時には激しく、またときには静かに舞います。
岩戸開きのときは面棒と扇を腰に差し、岩戸を放り投げるかのような所作で舞います。そうして岩戸が開くと陽の光で目がくらみ、平伏して面棒を地面にこすりつけるかのようにまわしながら後ずさりして去ります。それを見届けた手力男命は、岩戸から天照大御神を連れだし、ともに内神屋にはいります。

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式二十五番「白蓋鬼神」(あまほめ)(一人舞)
ホンシメから延びる綱に吊るした「天」、すなわち舞台の中心に天空として吊った円形の白い大きな蓋、白蓋と一対になった舞です。
天には、五色の色紙を細かく切って白紙で包んだ「もの種」が吊るしてあります。もの種は宇宙万物の種で、地球に住む私たちもその恩恵を受けています。舞は面白おかしい動きをしながら、面棒でそのもの種を突く形で舞います。着き始めは紙片がパラパラと落ちるだけですが、最後に上堤が破られると、切り紙が雨や雪のように落ちてきます。その紙片を面棒と扇で散らしながら、天の恵みに感謝しつつ悦び、天の霊徳を褒めて讃えて舞うので「おまほめ」とも言います。

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式二十六番「オキヘ」(火の神舞)(二人舞)
かまどの神である奥津比古と奥津比売(大戸比売とも)二神の舞で、「火の神舞」とも言います。
二神は社務所の台所から出てきて舞い始め、ホンシメの前での舞が終わると台所にもどって舞い納めます。

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式二十七番「室の神」(杓子(しゃくし)面)(一人舞)
微笑む天鈿女命の舞です。台所から舞いながら出てきてゆったりと上品に舞ったあと、すりこぎを股間にあてて、太鼓のそばに座った神主と問答をします。
神楽歌を歌うと、「ズリ面」と呼ばれるさまざまな面を着けた七人が、腰ずりで現れます。ズリ面は舞台をまわりながら、仰向けになって室の神に足でからみ、神を転がしたりします。このあたりから、笑いの要素がかなり入り始めます。動きが面白くて目が離せません。
この神楽は、国造りから子の誕生、そして日々の生活の営みを説明し、子孫繁栄を願って舞うものです。

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式二十八番「七鬼神」(子すかし面)(老女の子すかし面一人。男面七人)
幼児を背負った老女の面さまが「ねんねこや」とあやすように舞います。その後ろに続く七人の男面が面白い動きをします。

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式二十九番「獅子舞」(獅子頭一人。山の神一人。面六人)
口を開閉しながら舞台をまわる獅子が先頭です。獅子の尾とされる獅子幕の裾を左手で握る一人は、山の神といわれています。そのうしろに六人がつづきます。獅子のうしろにつづく七人が軽く飛ぶような所作で舞いまわります。
獅子は四方で転んで背中を床にこすりつけるニタズリをします。山の神はそうしたときにも獅子の尾を放さず、面棒を使いながら獅子を守ります。
これは猪を象徴する獅子が、暴れて田畑の作物などを荒らさないように守っていることを表す、山の神の神楽ともいわれています。

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式三十番「衣笠荒神」(笠取鬼神)希望した八人の早乙女役の子どもたち(時には大人)が舞台にあがります。早乙女役には、天(あま)の並びの綱に吊るした八つの傘を下して頭にかぶせます。この取り外した笠をかぶせることから「笠取鬼神」ともいいます。頭には笠をかぶります。
衣笠とは、五月の天照大御神の神田の田植えのとき、雨風をしのぐために着けた蓑と笠の事です。綱から下した笠はその象徴で、面の二人がいう「頭が高い」「尻が高い」というのは暴風雨を鎮める意味であり、衣笠を荒神と崇めて豊作を願うのです。
この時の面と子どもたちのやり取りが、相当面白いです。

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式三十一番「鎮守」(ホンシメ一本のときは四人舞。三本のときは十二人舞)
神楽の座に降臨くださった天照大御神や天神地祇を本津御座にお送りし、なおこの山峡とここに暮らす人々をお守りくださいと祈る神楽です。
舞いの後にホンシメが倒されます。椎の木枝でつくられた「山」も倒してバラバラにして舞台に積み「ししとぎり」の山にします。

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本殿祭  15日午前11時ごろ三十一番鎮守が終わり山が崩された後、銀鏡神社本殿に移動し「本殿祭」がとり行われます。 この祭典の後に、この年に生まれた赤ちゃんがお宮参りして、お祓いを受けます。

長年、銀鏡には赤ちゃんが産まれていなかったそうなのですが、ここ2~3年はこの時にお祓いを受ける赤ちゃんがいるんです。嬉しいですよね!

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式三十二番「ししとぎり」 15日午後1時ころ(爺の面、婆の面、禰宜の三人)
主役の二人を豊磐立命と櫛磐立命の仮の姿とします。
これが!とにかく面白い!!!これが神楽なのか?と思う程に。もう夫婦漫才です。これは銀鏡の生活を滑稽に演じた神楽で、「しし」は猪で「とぎり」は後を追うという意味もあるらしいのですが、いろんな説があるようです。

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式三十三番「神送り」 15日午後2時ごろ(三人で行う)
二人は顔の前と後ろに面を付け、四つ重ね折りしたムシロに臼を乗せて前後で持ちます。一人は面は顔だけで、手に持つ杵を、鬼神歌を繰り返し歌いながら頭の上で回転させ、臼のうしろについて練り歩きます。
内神屋から出てきて、境内を一周します。写真では分かりにくいのですが、二人が持つムシロに乗せた臼に参拝者は御賽銭を投げ入れます。最後には社務所の台所に入っていきます。
臼と杵は「由田の神」という、五穀豊穣と子孫繁栄を司る陰陽神です。

この神送りで式三十三番すべてが終わります。

このあと、「シシズーシー」という猪肉を入れた粥がふるまわれます。この粥がとても美味しいのです。

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「面さま送り」

(帰っていかれる面さま)


長いですね。
これが12月の山奥で一晩中行われる銀鏡神楽です。
式二番(14日午後8時ごろ)から式三十一番(15日午前10時ごろ)まで休みなし、太鼓も笛も、楽やスリガネの音も鳴り止みません。観ているだけでも大変です。眠気に勝てず、観覧席で横になる人も居ます。屋根がある場所とは言え、戸が開け放たれていますから、相当寒いです。朝には霜が降ります。防寒対策は雪山に行くくらいの気持ちでやったほうがいいです。

ちなみに、観覧客の為の仮眠室も用意されていますよ。

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ししば祭り 12月16日 午前9時ごろ
銀鏡川にかかる橋の下の河原で行われます。この一年間に獲った鳥獣の霊を供養する祭りです。

これがすんだら、社務所に戻り直会(なおらい)を行い、終了です。



これを書くだけでも一苦労です。
銀鏡の皆さんはこの神楽を毎年続けています。500年間です。とにかく凄いとしか言いようがありません。これだけの事を伝えていくその苦労は、私には到底できないと思うのです。そして心から、この文化・伝統を絶やしてはいけないと思うのです。


今年も12月12日から16日まで、毎日銀鏡に通います。14日の夜に、皆さんとお会いできるかもしれないと思うと、恥ずかしいような、嬉しいような…なんというか。でも…

撮影している私を見かけたら、ぜひ声をかけて下さい!

そして、カレンダーを販売している所を見かけたら
「私はこのカレンダー制作を支援したスポンサーです!」
とぜひ言ってくださいね!

全力で私が感謝の握手をします!!


写真家 綾 順博(あや のぶひろ)


※掲載している写真の著作権は全て綾順博にあります。
※参考文献:銀鏡神楽ー日向山地の生活誌ー 浜砂武昭 著
  https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784335160691