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銀鏡神楽のカレンダーを作って、神楽を守り・伝えていくための資金を作りたい!

宮崎県西都市東米良・国指定重要無形民俗文化財の銀鏡(しろみ)神楽。500年余の歴史を持つこの神楽を守っていくのには、どうしても資金が足りない。この現状をどうにかしたい!銀鏡の人々の生活に根差した神楽を守るための活動を、私たちが支えるためのプロジェクトです。伝統を守り、未来の子どもたちへ伝えましょう!

現在の支援総額

517,500

129%

目標金額は400,000円

支援者数

66

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/11/12に募集を開始し、 66人の支援により 517,500円の資金を集め、 2019/11/29に募集を終了しました

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銀鏡神楽のカレンダーを作って、神楽を守り・伝えていくための資金を作りたい!

現在の支援総額

517,500

129%達成

終了

目標金額400,000

支援者数66

このプロジェクトは、2019/11/12に募集を開始し、 66人の支援により 517,500円の資金を集め、 2019/11/29に募集を終了しました

宮崎県西都市東米良・国指定重要無形民俗文化財の銀鏡(しろみ)神楽。500年余の歴史を持つこの神楽を守っていくのには、どうしても資金が足りない。この現状をどうにかしたい!銀鏡の人々の生活に根差した神楽を守るための活動を、私たちが支えるためのプロジェクトです。伝統を守り、未来の子どもたちへ伝えましょう!

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こんばんは。写真家の綾 順博(あや のぶひろ)です。11月27日20:40クラウドファンディングの目標金額が100%に達成しました!ご支援くださった皆さん、本当にありがとうございます。また、このプロジェクトをシェアし多くの方に伝えてくださった皆さん。皆さんの応援のおかげで目標を達成できました。本当に本当にありがとうございます!残り2日です。これで止まるのではなく、その先に進む為にも最後まで頑張っていこうと思います。引き続き、多くの皆さんのご支援をお待ちしております!! さて、私の銀鏡神楽への思いはこれまで語ってきた通りです。 2016年、一度目の撮影は仕事の依頼で行きました。「撮影は12月14日の大祭だけでいいですよ」と言われていました。その時は、知識がゼロに等しい状態だったので、銀鏡神楽を知るためにネットで動画を観て、銀鏡の本を読み、再度ネット動画を観るというのを繰り返しました。 その動画のなかで、神楽奉納を終えた面さまが銀鏡神社からお帰りになる「面さま送り」で、子どもが「神様またね~」と声をかけているのを見ました。このほんの数秒のシーンで「14日だけでは銀鏡神楽は撮れない」と感じ、12日の準備の段階から撮影させて頂くことにしました。 (12月15日午後3時ごろ「面さま送り」)銀鏡神楽の見所については前回の活動報告をご覧ください。https://camp-fire.jp/projects/210615/activities/107084#main 2016年は12日の準備段階から撮影し、14日の大祭も寝ずに撮影しました。ですが、表面しか撮れてない気がしたのが1年目でした。最初の年の撮影は銀鏡神楽というイベントを撮っているような感覚でした。撮れてはいるけど、本質は撮れていない!2016年12月16日のししば祭りを撮り終えた直後、銀鏡に通い、銀鏡の色々な表情を撮影していこうと決めました。 昔の私は神様仏様の類は信じていませんでした。ですが、銀鏡にいると「何か」を感じる事があるし、神様の力を信じたくなるような話も色々と聞きました。 太古の昔から人が住む土地。そこで生きる人々は自然への感謝を忘れなかったのだと思います。人は自然が作り出したもので、自然とともに生きている。自然に生かされている。そういった自然への考え方が様々な神様を生み、敬い、大切にお守りし、伝えてきたのだろうと思います。 食事の前に手を合わせ「いただきます」という。それは「命をいただきます」という意味だと子どものころに教わりました。50過ぎにしてやっと「命をいただく」という本当の意味を、銀鏡での撮影を通じて教わった気がしています。 銀鏡の四季を撮り、銀鏡の人々の営みを撮り、そうする事で少しずつ銀鏡神楽の本質に近づいていけている…と思うのですが、まだまだです。4年経ちましたが、まだまだ撮れてません。納得できません! 自然への感謝を知っている人々が舞う神楽には、特別なものを感じます。銀鏡神楽には守り伝えてきた多くの人々の想い、今も未来に伝えていこうと守る人の想いが詰まっています。 こうやって銀鏡に通いながら撮影をしていると、大祭の時に撮影しただけでは分からない問題も知ることになりました。限界集落としての様々な問題。銀鏡神楽継承の問題。  銀鏡神楽を舞う子どもたちを増やすことは私には出来ません。ですが、金銭ならなんとかなるかもしれない。 お陰様で、クラウドファンディングでの目標金額は達成しました。この後は、出来上がったカレンダーを売って、その売り上げを銀鏡神楽保存会の活動資金として寄付します。なので、まだスタートラインに立ったばかりです。まだまだ頑張ります!今後も応援よろしくお願いします!! そして、もう一つ。 今回こういった形で私が動いたことが、他の神楽を応援することにも繋がるといいなと思っています。「こんな方法があるんだ」と、同じような方法で地元の神楽を応援する人が出てきてくれたら、私はとても嬉しいです。 私が銀鏡神楽を撮影するようになって、ある楽しみが出来たことに最近になって気が付きました。 「花の舞」を舞う少年。神楽を習い覚え、この先へ神楽を伝えていく若い伝承者。この子たちが大人になって、結婚しその子どもが舞う「花の舞」を私は撮りたいのです。  2017年の本殿際の後にお宮参りしていた赤ちゃんが、2018年に行った際には歩き回っていました。 この小さい子が、今年はどれくらい大きくなっているのか、会うのが楽しみで仕方ありません。そして、この子たちの成長も撮影して行きたいのです。 10年後には、この子も「花の舞」を舞っているかもしれません。500年余も守られ続けた銀鏡神楽は、こうやって生まれた時から多くの神様に見守られ育った子どもがいたからこそ、今ここのあるのです。 銀鏡神楽は、私へ多くの事を教えてくれました。だからこそ、銀鏡神楽を守りたいという気持ちが強くなりました。自分自身が自然への感謝を忘れないためにも、自然に生かされていることを教えてくれた銀鏡神楽に恩返しがしたい。今カレンダーを作るスタートラインに立てました! まだまだ私の活動は続きます。どうか!今後も引き続き応援をして下さい!!よろしくお願い致します!!写真家 綾順博※掲載している写真の著作権は全て綾順博にあります。


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こんばんは。写真家の綾 順博(あや のぶひろ)です。日付変わって11月27日です。クラウドファンディングも残り3日となりました。現在の達成率は76%です。たった1日で27%も伸びました!!!もう、本当に本当にありがとうございます。100%達成まで残り24%(95,000円)です。最後の最後まで応援していただけると嬉しいです!!! さて、今日は銀鏡神楽の見所(おもいっきり私見)をご紹介できればと思います。 はじめて銀鏡神楽の撮影をしたのは2016年です。この時は、観光協会からのご依頼で仕事として伺いました。当初から12月14日の大祭だけではなく、準備段階から撮影したいと思い、12月12日の朝から撮影させて頂く事にしました。本文にも書いていますが、この時は完全アウェーでした。(誰だ?あいつ…という視線が痛かったです…。) 上の写真の中央付近に写っているのが内神屋(うちこうや)です。式一番「星の舞」はここで舞われます。その手前、石垣で1段高くなっているのが外神屋(そとこうや)になる舞台です。式二番から三十二番までの舞は、ここで舞われます。左にある建物は伝承館です。14日になると閉じられている板戸が全てはずされ、神楽をここから観覧する事が出来ます。14日の夜には、ここに畳が敷かれて観覧客の為に火鉢が置かれます。アウェー写真の焚火にあたっている皆さんの後方も、観覧席として板が組まれます。 多くの準備を経て大祭が始まるのですが、詳しくは私が書いたブログにありますので、興味ある方はそちらをご覧ください。(https://ameblo.jp/photographer-aya/entry-12229419662.html ) この14日に門注連祭(かどしめさい)といって、神社の様々な場を清め結界をはっていく行事があります。厳密には、この結界を張られた場所に女性は入ることは出来ません。何故かと言われると…伝統ですとしか言えないでしょうね。そして、もちろん神楽関係者以外も入ることはできません。  上の写真をよく見るとお分かり頂けると思いますが、結界が張られた場所には、しめ縄が張ってあります。このしめ縄の内側は基本的に立ち入り禁止です。私は許可を頂いてギリギリの場所で撮影させて頂いています。そして、許可を得て撮影している人でも、内神屋の前(外神屋から続く階段付近)を横切ることは許されません。これは、神事です。観覧客は、神事を邪魔してはいけません。 カメラマンの中には、いい写真を撮りたくてしめ縄をくぐってしまう人もいるようです。これは絶対に止めて下さいね。お願いします。同様に、社務所から内神屋までの渡り廊下も関係者以外立ち入り禁止です。いつだったか…この渡り廊下を勝手に入って来て、内神屋側から神楽を撮影しようとしていた人がいました。その時は、銀鏡の長老に静かに注意されていました。これも絶対にしないでくださいね。 前置きが長くなりましたが、銀鏡神楽の大まかな流れをお話しします。式一番「星神楽(星の舞)」 12月13日 午後5時ごろ (二人舞)内神屋で舞われます。ーーー面さま迎え 12月14日 午後4~5時ごろ面さまの御神幸が銀鏡神社へとやってきます。この時、迎えられるのは 手力男神社「手力男」の面 宿神社「宿神三宝荒神」の面 六社稲荷神社「六社稲荷」の面 七社稲荷神社「七社稲荷」の面 鹿倉社「若男大神」の面御神幸の法螺貝(ほらがい)と笛太鼓の音が近づいてくると、道筋の家の人は通りに出て待ち、通過する時に面さまに手を合わせます。外神屋では宮司、氏子総代長、祝子数人が正座して面さまを迎え、よど祭りを行います。外神屋での面さま迎えの祭事がすむと、社務所での「座付」があります。この時、社務所は関係者以外立ち入り禁止です。ここで食べられるものの中に「へそ飯」というのがあります。真ん中の部分が天皇で、それを国民が支えているという意味があるそうです。ちなみに今でこそ一合ちょっとぐらいだそうですが、昔は二合あったそうで、禰宜・権禰宜・祝子たちへ一人一膳ずつ出されるものです。この膳にへそ飯の付く座付は、神楽を奉納する一同を神に奉告する儀式です。神は座に列席しない者が神楽を舞うことを許さないそうです。その後、宵宮の祭式が行われて、ホンシメの棚に猪の頭などが供えられます。ーーー式二番「清山」 12月14日の午後8時ごろ(二人舞。星の舞と同じ祝子が舞う)ホンシメの前にすえられた太鼓がドンと打ち出されて宵宮の最初の舞が始まります。神の降臨する外神屋を清め、式三十三番の神楽が清く正しく舞い納められるように祈りを込めて舞われます。ーーー式三番「花の舞」(「結界」)(少年四人の舞。年によって八~十二人)別称の「結界」は、「清山」によって清められた外神屋、すなわち神楽の舞台に邪神はもとより、座付に加わらなかった者がはいってはならない空間を設定するためのものです。ーーー式四番「地割」(四人舞)神楽が行われている地、その場にひそむ荒ぶる神を鎮めるためのものです。ーーー式五番「鵜戸神楽」(二人舞)式六番「鵜戸鬼神」の地舞で、鵜戸神楽の途中で鵜戸鬼神が降居(おりい)になります。地舞とは、つぎに舞う神面を着けた紙を迎えるために、あらためて舞台を清め、降居をうながす枚です。ーーー式六番「鵜戸鬼神」(一人舞)面棒をたて、左手に持っている榊葉を後方に捨てる所作を、「柴手水(しばちょうず)」を使うと言います。つづいて神楽歌を歌いながらおごそかに舞います。そこに前に舞った鵜戸神楽の二人が出てきて、鵜戸鬼神と向き合って一差し舞います。それはいかにも神と人が一緒に舞い遊んでいるように見えます。本来、「遊び」とはこのように、降臨された神とひとときを過ごすことで、神酒を飲むのはそのために身を清めるのです。ーーー式七番「幣指」(二人舞)「幣指」は舞台の四方に幣を指して舞うことからいいます。つぎの西之宮大明神降居の地舞で、この舞いが終わりに近くなると、内神屋で法螺貝を吹き、西之宮大明神の降居を知らせます。ーーー式八番「西之宮大明神」(一人舞)この舞いは、宮司しか舞うことが出来ません。この舞いのとき、参拝者は競うようにおひねり(御賽銭)を奉じ、手を合わせます。以前は、宝冠におひねりが入ると良いとされていたそうですが…この行為は、神面におひねりが当たってしまい傷がついてしまう可能性があります。なので、今では白紙に包んだおひねりを宝冠に投げいれるのは、絶対NGです!おひねりを投げる時は、足元へ落とすようにしてください。 ーーー式九番「住吉」(四人舞)「住吉」はつぎの「宿神三宝荒神」降地の地舞ですが、古くは式二十七番の「室の神」の地舞でした。「西之宮大明神」降居のときのように、「宿神三宝荒神」降居を知らせる法螺貝を内神屋でしきりに吹き鳴らします。ーーー式十番「宿神三宝荒神」(一人舞)この舞いは、宿神社の神主でなければ舞うことが出来ません。ほかに例を見ない大きな舌を出した作りの神面は、宮崎県の重要有形民俗文化財に指定されています。西之宮大明神と同様に白紙に包んだおひねりを宝冠に投げいれるのは、絶対NGです!おひねりを投げる時は、足元へ落とすようにしてください。  これ以降、観覧席から神楽囃子(かぐらばやし)が大きな声で歌われます。かつて神楽の夜は男女の見初めの場で、神楽囃子は見初めた相手に思いを伝える即興的な歌でもあったそうですよ。ロマンチックです。そう言えば、銀鏡神社に祭られている岩長姫尊(いわながひめのみこと) は、縁結びの神様でもありますね!(活動報告の「お守りについて」参照:https://camp-fire.jp/projects/210615/activities/106051#main) これは…もしかして。気になる人と一緒に銀鏡神楽を観に来ると…。ーーー式十一番「若男大神」(一人舞)天太玉命の舞です。神楽次第にはありませんが、「若男大神」のあと、ホンシメを立てた人を神々に伝え、その人の家の家族健康と安全を祈念する「ホンシメ拝み」を行います。ーーー式十二番「初三舞」(古くは二人舞、現在は四人で舞う)基本の舞で、この舞いをしっかりおぼえると、ほかの舞の上達も早いと言われています。ーーー式十三番「六社稲荷」(一人舞)六社稲荷神社の神主が神面を着けて舞います。ーーー式十四番「七社稲荷」(一人舞)七社稲荷神社の神主が神面を着けて舞います。七社稲荷は山の神で狩りの神、七神崎および七鬼神の主座に坐す神とされています。ーーー式十五番「神崇」(四人舞)抜身の太刀に白紙を巻いて握って激しく舞い、見ている人をハラハラさせたりします。この神楽は、舞台である外神屋の中央と東西南北の五方を祓い清め、さらに五方を守護する五方神(五行の神)にご守護を祈念するものです。ーーー式十六番「荘厳」(二人舞)軽快、活発な舞で、だれもが舞台に引き付けられます。「下の地」になると、弓に矢をつがえて引き絞るようにして舞い、つづいて背の日本の矢を取って「矢つかい」と「弓つかい」を舞います。天照大御神の坐す神殿の門前を守護する二神が、天照大御神の御田を荒らそうとする須佐之男命を弓矢をもって防ぎ、御田を守った様子を表したものです。ーーー式十七番「柴荒神」(一人舞)「はらかき荒神」ともいわれるように荒々しく舞います。「荘厳」の二人が加わって、柴荒神の舞を真似ながら一緒に舞う一幕もあります。荒々しい舞のあと柴荒神は太鼓の上にどっかりと腰をおろします。そこに神主が出てきて、まだ怒り狂っている様な荒神と「柴荒神問答」をします。ーーー式十八番「一人剣」(一人舞)この舞いの特徴は、赤襷(たすき)がさながら生きているかのように目上で交互に振りながら舞うところです。そして、その赤襷を握ってでんぐり返しをして立ち上がるまでに、十字に襷がけをします。両手に小刀の真ん中を逆手に握り、胸の上で十文字に振りながら舞い、さらに小刀を胸に置いてでんぐり返しをします。観覧席からは、おーっという声が聞こえます。「一人剣」は、神が願いを聞き届け、今年もまた豊作にしてくれたことに深く感謝し、その喜びを神に伝える神楽です。初めから動きが激しく、若い祝子でないと終わりまで舞い続けられません。ーーー式十九番「神和」(一人舞)女神舞で、優しい所作の舞です。ーーー式二十番「綱荒神」(地舞二人。神舞一人)地舞二人が待っているところに、神面を着けた須佐之男命が現れ、荒々しく舞います。地舞の二人が、「柴荒神」と同じように須佐之男命の舞を真似て舞うところがあるのですが、呼吸が合わないために動きがちぐはぐになって、観覧席から笑いが起きたりします。舞い終えると須佐之男命は龍体(藁蛇)を前にして太鼓に座り、神主と問答を始めます。ーーー式二十一番「綱神楽」(四人舞)藁で作られた蛇を飛び越えながら勇壮に舞います。最後に蛇の首と尻尾のあたりを一刀のもとに切り落とさします。切られた綱は数人の祝子がかかえ、境内の荒神林に納められます。「蛇切り(じゃきり)」をもいわれるこの神楽は、智剣を持って悪念妄想の綱(蛇体)を断ち切ることを表します。「綱荒神」のあと、ホンシメの棚に供えてあった猪頭をさげます。ーーー式二十二番「伊勢神楽」(大神神楽)(一人舞)舞台の一隅に、つぎの「手力男命」の天岩戸を模した屏風をおきます。なかに天照大御神の面を着けた祝子が女の着物に烏帽子をかぶって座っています。伊勢神楽は天児屋根命の舞ともいわれ、この神楽が始まると法螺貝を幾度も吹き鳴らします。優雅で品位のあるゆったりとした舞で、天岩戸の方を向いて、うやまい幣と扇を静かに振りながら、「伊勢の縁起」を奉唱します。天照大御神が、須佐之男命の悪行に怒り天岩戸に籠られ、この世は闇となった。そこで神々が集い、天照大御神に天岩戸から出ていただくためにとった、さまざまな行動を語っています。ーーー式二十三番「手力男命」 12月15日午前6時ごろ(一人舞)手力男神社の神主が舞います。天岩戸の前の暗闇の中で、あたかも手探り、足探りをしながら七日七夜も舞いつづけたという苦労を語るかのように、腰を深く折り、うしろにまわした両手を振りながら舞います。この頃、空が少しずつ明るくなってきます。とにかく寒いです。手力男命の面から吐かれる息が真っ白です。この神面も宮崎県の重要有形民俗文化財に指定されています。ーーー式二十四番「戸破明神」(一人舞)手力男命の化身の舞で、面棒と扇を交互に両手で持ちながら、滑稽味のある足さばきで時には激しく、またときには静かに舞います。岩戸開きのときは面棒と扇を腰に差し、岩戸を放り投げるかのような所作で舞います。そうして岩戸が開くと陽の光で目がくらみ、平伏して面棒を地面にこすりつけるかのようにまわしながら後ずさりして去ります。それを見届けた手力男命は、岩戸から天照大御神を連れだし、ともに内神屋にはいります。ーーー式二十五番「白蓋鬼神」(あまほめ)(一人舞)ホンシメから延びる綱に吊るした「天」、すなわち舞台の中心に天空として吊った円形の白い大きな蓋、白蓋と一対になった舞です。天には、五色の色紙を細かく切って白紙で包んだ「もの種」が吊るしてあります。もの種は宇宙万物の種で、地球に住む私たちもその恩恵を受けています。舞は面白おかしい動きをしながら、面棒でそのもの種を突く形で舞います。着き始めは紙片がパラパラと落ちるだけですが、最後に上堤が破られると、切り紙が雨や雪のように落ちてきます。その紙片を面棒と扇で散らしながら、天の恵みに感謝しつつ悦び、天の霊徳を褒めて讃えて舞うので「おまほめ」とも言います。ーーー式二十六番「オキヘ」(火の神舞)(二人舞)かまどの神である奥津比古と奥津比売(大戸比売とも)二神の舞で、「火の神舞」とも言います。二神は社務所の台所から出てきて舞い始め、ホンシメの前での舞が終わると台所にもどって舞い納めます。ーーー式二十七番「室の神」(杓子(しゃくし)面)(一人舞)微笑む天鈿女命の舞です。台所から舞いながら出てきてゆったりと上品に舞ったあと、すりこぎを股間にあてて、太鼓のそばに座った神主と問答をします。神楽歌を歌うと、「ズリ面」と呼ばれるさまざまな面を着けた七人が、腰ずりで現れます。ズリ面は舞台をまわりながら、仰向けになって室の神に足でからみ、神を転がしたりします。このあたりから、笑いの要素がかなり入り始めます。動きが面白くて目が離せません。この神楽は、国造りから子の誕生、そして日々の生活の営みを説明し、子孫繁栄を願って舞うものです。ーーー式二十八番「七鬼神」(子すかし面)(老女の子すかし面一人。男面七人)幼児を背負った老女の面さまが「ねんねこや」とあやすように舞います。その後ろに続く七人の男面が面白い動きをします。ーーー式二十九番「獅子舞」(獅子頭一人。山の神一人。面六人)口を開閉しながら舞台をまわる獅子が先頭です。獅子の尾とされる獅子幕の裾を左手で握る一人は、山の神といわれています。そのうしろに六人がつづきます。獅子のうしろにつづく七人が軽く飛ぶような所作で舞いまわります。獅子は四方で転んで背中を床にこすりつけるニタズリをします。山の神はそうしたときにも獅子の尾を放さず、面棒を使いながら獅子を守ります。これは猪を象徴する獅子が、暴れて田畑の作物などを荒らさないように守っていることを表す、山の神の神楽ともいわれています。ーーー式三十番「衣笠荒神」(笠取鬼神)希望した八人の早乙女役の子どもたち(時には大人)が舞台にあがります。早乙女役には、天(あま)の並びの綱に吊るした八つの傘を下して頭にかぶせます。この取り外した笠をかぶせることから「笠取鬼神」ともいいます。頭には笠をかぶります。衣笠とは、五月の天照大御神の神田の田植えのとき、雨風をしのぐために着けた蓑と笠の事です。綱から下した笠はその象徴で、面の二人がいう「頭が高い」「尻が高い」というのは暴風雨を鎮める意味であり、衣笠を荒神と崇めて豊作を願うのです。この時の面と子どもたちのやり取りが、相当面白いです。ーーー式三十一番「鎮守」(ホンシメ一本のときは四人舞。三本のときは十二人舞)神楽の座に降臨くださった天照大御神や天神地祇を本津御座にお送りし、なおこの山峡とここに暮らす人々をお守りくださいと祈る神楽です。舞いの後にホンシメが倒されます。椎の木枝でつくられた「山」も倒してバラバラにして舞台に積み「ししとぎり」の山にします。ーーー本殿祭  15日午前11時ごろ三十一番鎮守が終わり山が崩された後、銀鏡神社本殿に移動し「本殿祭」がとり行われます。 この祭典の後に、この年に生まれた赤ちゃんがお宮参りして、お祓いを受けます。長年、銀鏡には赤ちゃんが産まれていなかったそうなのですが、ここ2~3年はこの時にお祓いを受ける赤ちゃんがいるんです。嬉しいですよね!ーーー式三十二番「ししとぎり」 15日午後1時ころ(爺の面、婆の面、禰宜の三人)主役の二人を豊磐立命と櫛磐立命の仮の姿とします。これが!とにかく面白い!!!これが神楽なのか?と思う程に。もう夫婦漫才です。これは銀鏡の生活を滑稽に演じた神楽で、「しし」は猪で「とぎり」は後を追うという意味もあるらしいのですが、いろんな説があるようです。ーーー式三十三番「神送り」 15日午後2時ごろ(三人で行う)二人は顔の前と後ろに面を付け、四つ重ね折りしたムシロに臼を乗せて前後で持ちます。一人は面は顔だけで、手に持つ杵を、鬼神歌を繰り返し歌いながら頭の上で回転させ、臼のうしろについて練り歩きます。内神屋から出てきて、境内を一周します。写真では分かりにくいのですが、二人が持つムシロに乗せた臼に参拝者は御賽銭を投げ入れます。最後には社務所の台所に入っていきます。臼と杵は「由田の神」という、五穀豊穣と子孫繁栄を司る陰陽神です。この神送りで式三十三番すべてが終わります。このあと、「シシズーシー」という猪肉を入れた粥がふるまわれます。この粥がとても美味しいのです。ーーー「面さま送り」(帰っていかれる面さま)長いですね。これが12月の山奥で一晩中行われる銀鏡神楽です。式二番(14日午後8時ごろ)から式三十一番(15日午前10時ごろ)まで休みなし、太鼓も笛も、楽やスリガネの音も鳴り止みません。観ているだけでも大変です。眠気に勝てず、観覧席で横になる人も居ます。屋根がある場所とは言え、戸が開け放たれていますから、相当寒いです。朝には霜が降ります。防寒対策は雪山に行くくらいの気持ちでやったほうがいいです。ちなみに、観覧客の為の仮眠室も用意されていますよ。ーーーししば祭り 12月16日 午前9時ごろ銀鏡川にかかる橋の下の河原で行われます。この一年間に獲った鳥獣の霊を供養する祭りです。これがすんだら、社務所に戻り直会(なおらい)を行い、終了です。これを書くだけでも一苦労です。銀鏡の皆さんはこの神楽を毎年続けています。500年間です。とにかく凄いとしか言いようがありません。これだけの事を伝えていくその苦労は、私には到底できないと思うのです。そして心から、この文化・伝統を絶やしてはいけないと思うのです。今年も12月12日から16日まで、毎日銀鏡に通います。14日の夜に、皆さんとお会いできるかもしれないと思うと、恥ずかしいような、嬉しいような…なんというか。でも…撮影している私を見かけたら、ぜひ声をかけて下さい!そして、カレンダーを販売している所を見かけたら「私はこのカレンダー制作を支援したスポンサーです!」とぜひ言ってくださいね!全力で私が感謝の握手をします!!写真家 綾 順博(あや のぶひろ)※掲載している写真の著作権は全て綾順博にあります。※参考文献:銀鏡神楽ー日向山地の生活誌ー 浜砂武昭 著  https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784335160691


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こんばんは。写真家の綾 順博(あや のぶひろ)です。日付が変わって11月26日です。残り4日になりました。現在の達成率は49%です。半分まで来ました!!みなさまのご支援の本当に感謝しています。(神々を招く為のシメ を立てる様子)※シメは辶の上に神と書きます サイトの仕様で、Gest購入してくださった場合は私たちにはどなたが購入してくださったかお名前が分かりません。プロジェクト終了後に支援者のデータを頂けるようになっています。今すぐにでも会いに行ってお礼を言いたい所なのですが終了まで教えてもらえないもどかしさ…。 頂いたコメントで、おおよその予測は付いているのですが改めて、終了後に盛大にお礼の言葉を送らさせて頂きます!!! さて、今日はリターン品の説明を少し…。(今頃ですが)お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、⑨Art Photo AYA撮影1日(5時間)+卓上カレンダー1冊+壁掛けカレンダー1冊+銀鏡神社お守りコース こちら、通常価格より9,500円ほどお安くなる予定です。(カレンダーの価格がまだ未定)一番高額なのですが…この撮影チケットは2020年1月1日から12月31日までご利用いただけるので2020年にご結婚をお考えの皆さん!前撮りやお式当日の撮影にどうですか?Art Photo AYAの撮影は、写真データ全部お渡しです。基本的にロケーション撮影なので、好きな場所で撮影できますよ。その他、記念撮影でもお使いいただけます。ぜひこの機会に申し込んでみてはいかがでしょう?そして…実は⑥壁掛けカレンダー3冊+銀鏡神社お守りコース これがその次にお得なんです。他にこれよりお高いものもあるのに…これが1,500円ほどお得なんですね。うちのマネージャーが「設定金額、ま~ち~が~え~た~!」と言っています。しっかり者と思われているマネジャー(妻)ですが、時々こうやってやらかs…プレミアム感を出してみたようです。(はい、きっとそうです。)3冊申し込んでご自宅に1冊仕事場に1冊特別な誰かのプレゼントに1冊いかがでしょうか?(にっこり)さて、前回の活動報告の記事を多くの方にシェアしていただいています。本当にありがとうございます。(面さま迎え:神様の面を保管する宿神社へ祝子が迎えに行く) 遠くは、関東在住のfacebookつながりの友達がシェアしてくれました。皆さんのシェアのお陰で、銀鏡神楽の事を知らなかったであろう方にもご支援していただいています。こうして、少しずつですが私の考えに賛同してくださる方が増えている事に感謝する日々です。(面さま迎えの一行は、法螺貝(ホラガイ)と笛太鼓の囃子(ハヤシ)で山路を歩く) 銀鏡神楽は、宮崎県在住でも知らない人がいたりします。西都市の山奥で、その地域の人だけで守られてきた神楽なので、知らない人がいるのも当然です。私にとって特別な存在であるこの神楽を、私が撮影してきた写真で、少しでも多くの人に知ってもらえたら、それはもう本望です。(神様をこちらの世界に迎え入れるための橋…だったと思う) 残り4日です。目標金額まで残り半分です。最後までなんとか頑張ります。皆さんの応援よろしくお願いします!!支援していただけたら、尚うれしいです!!カレンダーの先行予約販売に、銀鏡神社のお守りを頂けると思って、ぜひ!!写真家 綾 順博(あや のぶひろ)※掲載している写真の著作権は全て綾順博にあります。


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こんばんは。写真家の綾 順博(あや のぶひろ)です。日付が変わって11月24日午前2時です。クラウドファンディングの残り期間も6日となりました。現在の達成率は26%です。ご支援してくださった皆さんに、心から感謝いたします!今回の募集期間があまりにも短いというのは、重々承知しています。それでも、今やらなければいけないと考えての行動でした。リターン品の中に、お守り以外の銀鏡地区や銀鏡神楽に関連する物が入っていないのには、理由があります。それに関しては、後半で書きますので、最後まで読んで頂けると嬉しいです。(右奥に見えるのが、龍房山) 「人は二度死ぬ」という話をどこかで耳にしたのは、いつの事だったか定かではありません。一度目は、肉体の死。二度目は、生きている人の記憶から消えたときの死。 私の両親は既に他界しています。だからこそ、この言葉が心に響いたのかもしれません。もしかするとそれは、神様にも当てはまるのかもしれません。  銀鏡には神様を信じ、神様に感謝し共に生きている人たちがいます。そこには確かに神様が存在します。 私たちが会ったことのない先祖にお墓参りするように、神楽を舞うということは、先祖からの文化を守り継ぐ大事な儀式です。銀鏡の人たちだけではなく、私たちも一緒になって守っていこうという意識が、日本の神様が存在し続けるということなのだと思います。 銀鏡神楽のファンは全国各地にいます。毎年、関東から団体でやって来る人たちもいます。12月14日の大祭前日に宮崎にやって来て、銀鏡の近くで宿泊し(と言っても一番近い西米良村の宿泊施設でも車で30分くらい)、大祭当日の朝に観覧席が設えられると、一番前を場所取りされます。この観覧席の前で神楽が奉納されはじめるのは日が暮れてからです。この頃には、立ち見でなければ見れない程に観客がギッシリです。 プロアマ問わずカメラマンの皆さんは、早い時間に場所取りをして一晩中写真撮影をします。有名な写真家の先輩にも、ここでよくお会いします。「銀鏡神楽は他の神楽とは違う」 写真家の諸先輩方が、みなさん口をそろえて言います。何が違うのか、私も行ってみるまでは分かりませんでした。行ってみて、はじめてその言葉の真意が分かりました。「他の神楽とは違う」 何が違うのか、言葉では伝えることはできません。表現するための言葉が見つからないからです。何故違うのか、何が違うのか…その違いを知りたくて、私は銀鏡神楽大祭の夜だけでなく、銀鏡の日常を撮ろうと思いました。仕事の合間を縫って、出来る限り銀鏡に通い、年中行事や農作業など撮り続けています。 銀鏡の日常生活の中には、常に神様が存在します。銀鏡神社の御祭体である龍房山は、大昔から女人禁制であったそうで、今でも銀鏡地区の女性は山に立ち入らないそうです。林道から山に足を踏み入れる時、神様に一言「入ります」と声をかけるのは、大人だけでなく子どもたちも普通にやっています。 山や川、木や花、風や雨、全てに神様がいて、常に神様と一緒に生活している。そんな場所です。 もともと銀鏡神楽を舞う事が出来るのは、祝子(ほうり)と呼ばれる神楽の舞人だけです。以前は銀鏡出身の人でなければ舞う事は出来なかったそうですが、今では厳しい修行を積めば地区外の人も祝子になれます。 この地区外の人、というのは山村留学で銀鏡にやってきている、銀上(しろかみ)学園の子どもたちです。(https://cms.miyazaki-c.ed.jp/4509/htdocs/)山村留学期間中に、神様に誓いをたててから、祝子としての修行をはじめます。 銀鏡で生活しながら、神楽を習い覚えています。なので、銀鏡生まれの子どもとほぼ同じだと思います。 この山村留学の子どもたちが、いなくなると…銀鏡には、ほとんど子どもがいません。子どもがいなくなれば、当然この地域が消滅します。そうなれば、銀鏡神楽も当然なくなります。 本文にも書いていますが、銀鏡地区の皆さんは神楽を守ろうと必死で活動しています。ですが、それも限界が近いのではないかと私は感じています。どうにかこの地区のこの文化を守ることができないだろうかと考えています。 考えているだけでは、解決しない。 そこで、まずは行動してみることにしました。その一つがこのクラウドファンディングです。準備期間がとても短く、銀鏡神楽保存会の皆さんとやり取りしながらなんとか形に出来たのが11月に入ってからでした。カレンダーの印刷の事を考えると、12月に入ってすぐに入稿しなければならず、リターン品は年内の発送にしたかったのもあり、必然的に募集期間が短くなりました。 企画当初は、㈱かぐらの里さんから「商品を提供しますよ」と言って頂いたのですが、今回のリターン品をカレンダーとArt Photo AYAの撮影チケットだけと決めたのにも理由があります。銀鏡地区の皆さんの努力とは別の所で動くことで、銀鏡神楽を守りたいと思ったからです。銀鏡の文化・伝統を守りたいと思う人が、私以外に一人でも増えてくれたら嬉しいし、心強いと思ったからです。 私が撮った写真が、何かの力になれたら、 私が写真家と名乗る意味が大いにある。そういう思いもあったのです。 それでも、ちょっと不安だったので…銀鏡神社の三柱の神様のお力を借りたくて、お守りをリターン品に入れさせてもらう許可を頂きました。このお守りは、本当に特別の許可です。  お守りについては 前回の活動報告をご覧下さい。  https://camp-fire.jp/projects/210615/activities/106051#main ここまで偉そうに語っていますが、ようは…カレンダーを買ってください!!!よろしくお願いします!!!写真家 綾 順博(あや のぶひろ)※掲載している写真の著作権は全て綾順博にあります。


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こんばんは。写真家の綾順博(あや のぶひろ)です。今日(11月18日)でプロジェクト開始から7日目です。現在の達成率は15%です。ご支援くださった皆さん、本当にありがとうございます!!残り11日です。最後まで応援よろしくお願いします。そして、さらなるご支援をお待ちしています! 今日は、リターン品の中にお入れする、銀鏡神社のお守りについてお話しします。このお守り、持っている方はかなり少ないのではないでしょうか。本来は銀鏡神社に参拝した人が購入できる物なのですが、今回特別にリターン品の中に入れる許可を頂きました! 西都市東米良(ひがしめら)銀鏡(しろみ)地区は、かなりの山の中にあります。宮崎市中心部からだと車で片道2時間弱です。公共交通機関はありません。なので、思い立ってすぐに行けるという場所ではありません。行ってみたいけれど、なかなか行けない…という皆さん!ぜひこの機会に銀鏡神社のお守りを手に入れてくださいね!! ご利益については後半に記載しています。銀鏡(しろみ)神社のお守りについて今回のクラウドファンディングでは、全ての返礼品(感謝の年賀ハガキを除く)に銀鏡神社のお守りをお入れしています。お守りの色は常磐色(ときわいろ)です。常盤色とは、松や杉などの常緑樹の葉の色のように茶みを含んだ濃い緑色のことです。常磐は常に変わらないことを指す言葉で、緑を讃え、長寿と繁栄の願いが込められた色名です。岩長姫尊(いわながひめのみこと)のイメージカラーとして神職の間で決めた色です。正面には銀鏡神社の御神体である御鏡の紋様がデザインされています。 お守りの裏には二十八星宿(星座)が描かれています。 二十八星宿(にじゅうはちせいしゅく)とは、黄道に沿って天球を二十八にわけ、そこに現れる星座の事です。中央の星座には、北極星が含まれています。二十八星宿の重要性 銀鏡神楽 式一番「星神楽」は13日の午後5時ごろ、内神屋(うちこうや)で舞われる二人舞です。[左側:先地(せんじ) 右側:後地(ごんじ)] 千早仕立ての白素襖(しろすおう)※1、頭にハガサ※2を着けます。右手にはともに鈴を持ちます。左手に、先地(せんじ)は餅を白紙に包んで吊るした榊枝、後地(ごんじ)は白布一反を折り畳んだものを持っています。 内神屋の天井の中央から四角に注連縄(しめなわ)を張り、その縄に葉のついた椎の木枝と幣(へい)を交互に、各注連縄に七つずつ、全部で二十八取りつけます。[準備途中の注連縄 幣の間に椎の木枝が取りつけられます] これが二十八星宿を表したもので、この下で舞うことから「星神楽」といいます。 舞い終えると、先地(せんじ)が手にする餅を内神屋の天井中央に吊るします。このとき榊の木枝の先端を北に向けます。後地(ごんじ)の白布は内神屋の東奥の角に掛けます。この天井に張った二十八星宿の注連縄は餅と白布とともに1年間そのままにされます。[天井に餅を吊るします] 銀鏡神社において、この二十八星宿は大きな意味を持っています。その模様が描かれたお守りですから、ぜひ身に付けて頂ければと思います。※1)千早(ちはや)とは、日本において古くから神事の際に用いられた衣装。白素襖(しろすおう)とは、単 (ひとえ) 仕立ての直垂 (ひたたれ) のことで、白地有紋の上衣。※2)ハガサとは、細かく切った白紙を沢山取り付けた被り物。御祭神 岩長姫尊(いわながひめのみこと) 大山祇尊(おおやまつみのみこと) 懐良親王(かねながしんのう)≪ご利益≫*縁切り *縁結び *延命長寿 *安産 *家内安全 *家庭平安*農産、山林、鉱山業守護 *海上安全 *漁業、航海守護*商工業の発展 *商売繁昌 *試験合格 *厄除け銀鏡(しろみ)の語源 岩長姫尊(いわながひめのみこと)が自分の姿を鏡に写してみたときに、その姿を嘆き鏡を遠くに投げてしまいました。鏡は龍房山の絶頂の大木にかかります。鏡は光り輝き、西方の村里を照らし夜中も昼のようだったので、この地を白見村と言うようになりました。鏡が銀だったので、のちに銀鏡村と言いかえられたといいます。その鏡がご神体として祭られているのが銀鏡神社です。 岩長姫尊(いわながひめのみこと)を御祭神として祭っている神社は全国でも数が少ないそうですよ。岩長姫の古事記での物語は、少し悲しいものですが…父である大山祇尊(おおやまつみのみこと)が「天孫が岩のように永遠のものとなるように 」と邇邇芸尊(ににぎのみこと) に妹の木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ) とともに嫁がせたとの話から、不老長生の神として信仰されているそうです。 今回のプロジェクトは短期間でのチャレンジです。なかなか厳しいです。残り11日と数時間ですが、少しでも多くのご支援を頂ければ嬉しいです! 皆さんのお力をお貸しください!私も全力で頑張ります!!写真家 綾 順博(あや のぶひろ)※記事内で使用している写真の著作権は、全て綾順博にあります。