おはようございます。住職です。
2月3日の午後、浄土真宗本願寺派の本山本願寺で行われていた「仏教青年連盟 青年教化指導員研修会」にて、カリー寺とカリー寺基金のお話をする機会をいただいてきました。
様子の一部をご紹介すると、こんな感じです。私も含めて、衣をつけたお坊さんが100人ほど。
別のスケジュールと重なって、一部だけしか参加できなかったのですが、さきにカリー寺を一緒にしている藤本さんからもお話をしてもらっていたので、私の方からは、カリー寺の前後のお寺の様子も含めて紹介させてもらうことにしました。
当日は、具体的な一つ一つの活動を挙げて紹介したのですが、おおよそ以下の様なイメージをもって、お話をさせていただきました。
西正寺のお寺をめぐるサイクルは、以下の図のようになっているのではないかなぁと感じています。
もともとお寺でしていた活動がありました(お寺の活動)。そういったことから少しづつ人のつながりがひろがってきて、お寺の人として特に2010年頃から地域の活動に顔を出せるようになってきました(まちに出る、地域に関わる)。もちろん、それはお寺や住職が動いているという以上に、西正寺のある「尼崎」という街に、そのような場がたくさん設けられるようになってきたというのが、大きいと感じています。地域にそういうムーブメントのようなものがやってきたという感じでしょうか。
そうすると、お寺や住職にこんなことしませんか? こういうことを実現したいんだけれどといった、もちこみや相談がよせられるようになります。場合によっては、一緒にしたり、会場や物品を貸し出したり提供したり(動機・期待の持ち込み)。そうする中で、こちらのことを知ってもらえたり、相手のことがだんだんと分かってきて、信頼関係ができてきて、私自身の関心や、お寺でもともとやるべきこと、本質的な部分へリンクする活動へと展開してきたように思います。
・当たり前、普通を問い直す「普通を語ろう」
・月一早朝の「おてらのそうじ」
・大学生が仏教を勉強したいといってきてくれたことからはじまった「よいかなよいかな」
・無料のふるまい(布施)がよせあつめられた「ふるまい市」
これがまた、お寺の活動へと循環していく、そういう循環のご縁のなかに、西正寺と住職が居らせていただいている。そんな状況と思いの一部を紹介しました。
上の図も、私のイメージを描いたものなのですが、地域のなかでのお寺の位置づけをこんな風に描いています。お寺があり、学校があり、会社があり、自治体や子ども食堂やお店や…といったさまざまな施設や人たちのなかの一つとして「お寺」がある「お坊さん」がいる。
1つは、地域にあたりまえにある一つの場所、一人の人として「お寺」や「お坊さん」が認識してもらえているなぁということ。これは結構貴重でありがたいことだとおもっています。
もう1つは、 one of them 、多くの中の、一つとしての「お寺」であり「お坊さん」であるという位置づけ・あり方。 お寺や、僧侶は、「信仰」という世界にいる中では、中心的な位置におかれたり、イメージされたりすることがあります。上の図ですと、円周ではなく、中心におかれているようなイメージです。お寺・僧侶の側はとくに、「お寺」を真ん中において考えがちなところがあるように思います。もちろん、それ自体が間違っているというわけではありません。それはある意味で、「お寺を大事にする」という考えの上にでてくるイメージの一つだと思います。
ただ、そういう特殊・特別なものではなく、地域に当たり前のように、周りとフラットに協働できる関係性のなかにあるからこそできることもあるのではないか。
地域の場所の一つとして、西正寺・カリー寺という場所は、みんなが並ぶそういう円周の上で、フラットに並んでできることを考えていく、そういうイメージでいます。
カリー寺基金も、そういう地域の関係性を形成したり、むすびなおしたりする、そういう投げかけ、刺激の一つでありたいと思っています。