こんにちは!LLPタモリ舎代表、中村です!
活動報告も第6回目となりました。いつもご覧いただきありがとうございます!
今回の活動報告では、田辺という土地を少し深く探ってみたいと思います。
私たちのプロジェクトのテーマの一つが【田辺を盛り上げる】ということ。この田辺のまちはどんな歴史をもっていて、どんな人がかつて集まっていたのかを考えることは、現在につながるところもあり、とても面白いですよ。それでは、どうぞ!
■かつては熊野詣の宿場町として栄えた田辺の中心市街
和歌山県には、世界遺産に登録された熊野古道や高野山、那智大社、本宮大社など歴史的に有名な観光名所がたくさんあります。
熊野本宮大社
なかでも、熊野古道は和歌山県を代表する世界遺産で、スペインのサンディアゴ・デ・コンポステーラとともに信仰の道として世界でも2例しかない珍しい遺産です。
熊野古道・大門坂
熊野参詣道中辺路 発心門王子
その昔、海沿いを通ってきた熊野参詣道は、田辺から山中を通る「中辺路」と海沿いを那智へ向かう「大辺路」に分かれておりその分岐点だった田辺は、熊野の入り口ということから『口熊野』と呼ばれていました。北新町(三栖口)には、その分岐点を示す道標が残されています。周辺の街並みは、熊野詣の旅人宿で賑わったメインストリートだったそうです。
江戸時代に宿場町として栄えた田辺の街
現在の町並みの形成は、江戸時代、紀州大名の家来が田辺領主となり、1606年に城を湊の砂丘の上に移した頃に始まりました。その時に江川、本丸、丸の内、町人町(本町、船町、 袋町、紺屋町、長町)がつくられました。その後、1619年に与力屋敷、足軽屋敷が設けられ、新町(のちの北新町、南新町)もでき、徐々に城下町が形作られていきました。
田辺市中心市街地の昔の城下町図
また武家屋敷の外堀北側には商家が配置され、武士の生活資糧を確保するために特定の町や商人に「座」という組合のようなものが与えられました。 最初に袋町に「魚の座」、続いて片町に「塩の座」、南新町に「破物(陶器)の座」が認められ、特定の問屋商人には「多葉粉座」や「綛(かせ)座」、「鉄砲薬座」、「釜の座」といった特権が与えられました。こうした町割りが後の商店街を作っていく為の基礎となりました。
『the CUE』の “the” はこの “座” にかけています。
この田辺の中心市街地は当時のようにそれぞれのエリアにその良さがあり、その良さを生かしながら、エリア全体で活気のある街並みにしていきたい。
『the CUE』にはそんな想いも込めています。
最近では、田辺にある「闘鶏神社」も世界遺産に認定されました。日本人のみならず外国人の観光客も増えてきて、かつての賑わいを取り戻すいい機会になると思います。そこで、気軽に泊まれる安価なゲストハウスや宿泊施設が徐々に増えていけば、外国人の宿泊も多くなり田辺の良さをもっと知ってもらえるのではと思います。
様々な人たちに『the CUE』を田辺から始まる旅のスタート地点として使ってもらえる場所にしていけたらと思います。
クラウドファンディングも残り17日。皆様、引き続き応援のほどよろしくお願いします。