「40代から50代の女性が倒れています」という声を聞き「実年齢より若く見えるんだ」と喜んだり、「脳卒中を強く疑う患者さんが」という声を聞き「私は脳卒中なんだ」と思ったり、「発症後3時間以内なので、治療に対する家族の同意が」という声から「血栓溶解療法が始まるのかな」と考えたり。失語症や半側空間無視などの、高次脳機能障害を専門領域として、30年以上臨床・研究・教育活動を行ってきた言語聴覚士の関先生が、神戸の映画館前、脳梗塞で倒れたのは、2009年7月11日のこと。その運命の日から、急性期、回復期、復職準備期、復職期のことを、患者として、専門家として、記録を多面的な角度でとらたものが、書籍になっています。その中で、良好な回復が実現できた要因を9つ挙げています。目撃されやすい場所で発症したこと、急性期におけるr-tPA治療の成功、急性期におけるリハビリなどを挙げていますが、何より、先生は「リハビリの力」を信じていたように感じます。この障害は、リハビリの力で、改善される。そう信じていたからこそ、言葉も出なかった状態から、今のように講演会ができるようになるまでの回復をし、何よりその話を当事者の方、家族の方、そしてリハビリ職の人に示せる意義は計り知れないものがあります。このクラウドファンディングのリターンにもなっているので、興味のある人はぜひ読んでみてください。失語症者向け意思疎通支援者養成事業脳卒中などの後遺症により、失語症になった人は、国内に約50万人いると推定されます。その意思疎通を助け、社会参加を促すために、意思疎通支援者の養成・派遣を厚生労働省が制度化し、平成30年度から養成が始まりました。私、NPO法人Reジョブ大阪の松嶋も東京で養成講習を受けています。講習中には、講義を受講するほか、コミュニケーション支援を学んだり、外出同行の実習をしたりします。その中に身体介助実習もあるのですが、私はあいにくその回に参加することができませんでした。そんな私が、生まれて初めて身体介助をした相手は、恐れ多くも、三鷹高次脳機能障害研究所の所長、関啓子先生でした。先ほどの本の著者です。12月1日、失語症シンポジウムに参加した私は、その帰りに、失語症の日制定のお話をする為に、関先生と待ち合わせし、コーヒーを飲みながら、失語症の日を制定する意義などについてお話を伺いました。私は発症前の関先生を存じ上げません。なので、初めてお目にかかったこの時から、一貫して同じ印象を持っています。・ゆっくり丁寧にお話をされる。・言葉と言葉の間に思考の時間を設けてくださる。・人の話をさえぎらない。行き当たりばったりで、あわてんぼうで、早合点も思い違いも多い私と違い、先生はあらゆる面でゆとりがあり、人生を達観された感じがあります。それが障害のせいなのかどうか。少なくとも今の私には、先生はとても素敵に思えるのですが、この本を読むと、昔の先生はちょっと違ったようです。ご自身が当事者になり、当事者として、思いが伝わらないもどかしさ、訴えが届かない悲しさを経験した関先生は、臨床家としての態度を反省、今、それをまた活動に活かしています。その心構えが体中からにじみ出ているのを感じます。失語症者向け意思疎通者養成の講習会を通じて、十人十色の当事者の人たちとお話をする機会を得ましたが、先生も同じで、お話をしても、リハビリ中の方には見えないのが、失語症の一つの特徴です。もちろん、車椅子や杖を使用するなど、障害があるとすぐにわかる人もいます。当事者としてというより、むしろ、専門家としての知見の方が勝っている先生。その先生が、コートを着ようとした時です。麻痺した左手が伸びずに、コートに袖を通せないでいました。「手伝ってもらえますか?」先生のその一言まで、私は先生が当事者だということを忘れていたくらいです。麻痺側を先に……、バランスを崩さないように……、痛みを感じる場合もあるので優しく……。教科書に載っていた通りに、介助無事成功(笑)これから意思疎通支援の要請があった時に、さっとできるようになりたいと心から思いました。専門家でない私でさえ、教科書で学んだことが実現できた時、達成感を覚えます。セラピストが自ら当事者になり、真に障害を理解した時ほど、貴重な体験はないのではないでしょうか。実際、失語症シンポジウムでは、言語聴覚士や当事者など、実に様々な人に声を掛けられていた先生。人気者です。失語症制定に関しても、先生は、とても積極的に宣伝活動をしてくださっています。そして、その先生に答える形で支援もどんどん集まってきています。そして、リハビリの力を信じていた先生が、リハビリに助けられるのも幸せなサイクルです。このような、助け、助けられる小さい輪がくるくると回り、やがて大きなうねりとなって、日本が良くなることを、私は祈っています。NPO法人Reジョブ大阪松嶋有香