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東北の古い文化芸能を再発見し、世界に誇るエンタメにしたい!ミュージカル「シシ」!

宮城県、岩手県に多くのこる郷土芸能「シシオドリ」をモチーフとした舞台作品を作りたい!地震や津波、大きな災害があっても、逞しく生き延びる東北の人々のメンタリティの強さを伝えたい!いま失われつつあるコミュニティの底力を伝えたい!東北の想いをエンターテイメントの力で世界に発信したい!

現在の支援総額

476,000

47%

目標金額は1,000,000円

支援者数

44

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/01/08に募集を開始し、 44人の支援により 476,000円の資金を集め、 2020/02/29に募集を終了しました

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東北の古い文化芸能を再発見し、世界に誇るエンタメにしたい!ミュージカル「シシ」!

現在の支援総額

476,000

47%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数44

このプロジェクトは、2020/01/08に募集を開始し、 44人の支援により 476,000円の資金を集め、 2020/02/29に募集を終了しました

宮城県、岩手県に多くのこる郷土芸能「シシオドリ」をモチーフとした舞台作品を作りたい!地震や津波、大きな災害があっても、逞しく生き延びる東北の人々のメンタリティの強さを伝えたい!いま失われつつあるコミュニティの底力を伝えたい!東北の想いをエンターテイメントの力で世界に発信したい!

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みなさん、こんにちは!みんなのしるし 、都甲です。週末に、以前ご紹介した水戸部のシシオドリの演舞を観に、夢メッセみやぎに行ってきました(幕張メッセの宮城版みたいなものです)。会場内はお客さんでいっぱいでした!本物の演舞は本当にかっこよかったです!私たちも、本物のシシオドリからたくさん学ばせていただいて、今までにないエンターテイメント、ミュージカル「シシ」を作っていきますのでどうぞよろしくお願いします。さてさて、引き続き「サバイバルの唄」の誕生秘話をお伝えしていきたいと思います。みんな大好きサバイバルの唄。仙台の子どもたちに大人気だそうです!PV・ポスターロケ地は牡鹿半島浪田浜愉快な映像ですが、これが撮影されたのは宮城県石巻市の牡鹿半島・浪田浜。切り株と牡蠣殻・ホタテ殻に覆われた、小さな美しい浜です。ここを紹介してくださったのは、宣伝写真を務めてくださった石巻在住のカメラマンの平井慶祐さん。東日本大震災を機に関西から移住してこられた平井さんは、支援団体の広報担当や、三陸の漁師さんたちの団体フィッシャーマンジャパンのカメラマンなどを務めておられます。平井慶祐さん。とても気さくな方です。「東北に根付いた文化を下敷きに、世界に届くエンタテインメントを作っていきたい!」というミュージカル「シシ」のコンセプトを理解してくださり、素敵な写真をたくさん撮ってくださいました!実はこの撮影、チラシ・ポスター用の写真を撮るためだけに設定されていたのですが、「サバイバルの唄」の制作が撮影日に間に合ったことから、急遽動画も一緒に撮影することになったのです。撮影は去年の11月中ば、夜明け前から行われました。夜明け前の浪田浜。星が出ています…(撮影:平井さん)「日の出直前の夜と朝が混じり合った、マジックアワーの写真を撮りたい」という一心でこの時間から始まった撮影。用意していただいた衣装は、時代考証を踏まえたものだとはいえ、まさかの軽装です…!一体どんな1日が待っているのでしょうか??次回は実際の撮影のお話をしていきたいと思います!引き続きどうぞよろしくお願いいたします!!夜明けまえ、ということは、ええ。夜です。。


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皆様こんにちは!みんなのしるし の都甲です。先日初めてトレーニングセンターなるところへ行き、一通りトレーニングをしてみたのですが、目下絶賛筋肉痛です。前鋸筋が痛いです。あざとい自撮りしかなくてすみません。さらに前髪を切りました。さて今日は、みんなも気になるミュージカル「シシ」のテーマソング「サバイバルの唄」の誕生秘話に迫っていきたいと思います!まずは、こちらの動画をご覧ください。ポップな曲調に、綺麗な海と森、そして強風…情報量が多すぎて混乱してしまいそうですが、なぜこの曲が生まれたのか、解説してみたいと思います!物語は江戸時代初期の仙台藩ミュージカル「シシ」の物語は、江戸時代初期、仙台藩の、とある小さな漁村です。(南三陸町の水戸辺がモデルになっています)1611年12月(新暦10月ごろ)、「慶長の大津波」と呼ばれる災害がありました。「シシ」はその大津波から1年経った、1612年の秋のお話です。大津波が起こった後、浜には一時的に大量の鮭が打ち上げられた後、時化と不漁が続いていました。浜では多くの船が流されてしまい、そもそも漁師たちは漁に出ることもなかなか叶いません。加えて、当時1600年代は、世界的に「ミニ氷河期」と呼ばれる時代で(14世紀半ば〜19世紀半ば)、イギリスのテムズ河が凍りついたり、18世紀にはニューヨーク湾が凍りついたり、世界的に飢饉が起こったりしていました。日本でも1773年(安永2)、1774年(安永3)、1812年(文化9)の冬には隅田川が凍ったという記録があるそうです。『新撰江戸名所』「日本橋雪晴図」歌川広重 画狩猟採集から稲作へ江戸時代に入ったばかりの仙台藩は、石高を上げるための稲作を各地に導入させます。当時、三陸の山あいや浜に住んでいた人々は、畑作・稲作よりも魚を取ったり猟をしたりという、狩猟採集に近い生活を生活をしていたと言われており、大きなライフスタイルの転換を迫られます。しかし、もともと温暖な地域で栽培されていた米を、ミニ氷河期の東北で大々的に栽培することは…かなり無謀な挑戦だったと言えるでしょう。時代が下るとコメも品種改良や水利の技術が進み、仙台藩は62万石から100万石まで生産力を高めていきますが、1612年時点での漁村の生活は、かなり苦しかったのではないでしょうか。生き延びる力=サバイバルそこで求められるのが「サバイバル能力」です!私はもともと、サバイバルといえば野草を食べるイメージだったのですが、人が生きていくエネルギーやタンパク質を摂取するには、どちらかというと虫の方が優先されるみたいですね。現代の日本でも「イナゴの佃煮」「ハチノコ」などを食べる習慣は残っていますし、乾燥させたミミズを漢方で解熱剤としていた、という話は聞いたことがあります。世界の中には、昆虫食を中心とした食文化もあるし、近い将来に、世界が食糧難となった時の新たな食材として、昆虫食は注目されているそうです!!タイ、バンコクのマーケットだそうです。苦手な人は大きくしないで…。wikipediaよりミミズ、ナメクジと、いうことでつまり「当時の人々は、津波の災害後の寒冷な時代を生き延びるために、ミミズでもナメクジでも、なんでも食べてたんじゃない??」という解釈から、この「サバイバルの唄」は生まれたのです。ポップで楽しく、でも「サバイバルしなければいけない時には、どうやって生き延びればいいんだろう?」ということを考えさせてくれる、啓蒙ソングとして、NHK「みんなのうた」枠を狙って制作されました(笑)PVの撮影時は、「三陸の綺麗な海をバックに撮れたら素敵だね」という気持ちでロケに向かったのですが、思いもよらない強風により、よりサバイバル感がアップしてしまうというアクシデントもありました。PV撮影中のオフショット。寒すぎて毛布をかぶっています。PV撮影時の裏話は、また、次回にお話しましょう♪プロジェクトの終了まで、後30日となりました!!ここ最近、支援額が伸びていなくてちょっと苦しいですが、最後まで頑張っていきますので、お付き合い、どうぞよろしくお願いします!


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こんにちは!みんなのしるし 、クラウドファンディング担当の都甲です。私が暖冬だ、暖冬だと騒いでいたら、関東では雪が降るようですね。。。ちなみに今日の宮城県は快晴であります。(暖冬継続中)劇場下見に行ってきました!ちなみに髪を切りました。今日は、ミュージカル「シシ」の会場となる「誰も知らない劇場」のご紹介をしたいと思います。仙台の文化を語る上で外せない、歴史のある空間で公演ができることを嬉しく思います(^^)日乃出セントラル劇場この劇場は、1979年「日乃出セントラル劇場」として仙台駅から1本の商店街・クリスロード沿いにオープンしました。当初はユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ 専門の封切館として経営を成り立たせ、当館最大のヒットは『シンドラーのリスト』(1994年)で、同年の来館者は10万人を超えたそうです。ちなみに席数は154席ですので、10万人が来るには…年間に650公演がフル満席の計算です!すごい。。。地方でそんな映画館、今では想像がつきません。。。スティーブン・スピルバーグの名作ですね。仙台市内のみならず、宮城県内の多くの人の憧れの劇場だった「セントラル劇場」。私の住む石巻でも、「セントラル劇場」と言えば年配の方でもご存知の方が多いです。仙台の商店街でお買い物をして、セントラルで映画を見て帰る。…そんなデートが定番だった時代もあったのではないでしょうか!仙台セントラル劇場と桜井薬局セントラルホールしかし2002年にはシネコンの進出などにより来場者が激減し、休館に追い込まれます。同年「仙台セントラル劇場」として復活したのち、ビルのオーナーである桜井薬局に命名権が移り、「桜井薬局セントラルホール」と名前が変わります。上映ラインナップをミニシアター中心へと変えて、舞台挨拶イベントなども行われました。根強い映画ファンが全国から集まる映画館へと変化していったのです。壁には映画関係者のサインがびっしり映画の他には落語芸術協会主催の「魅知国(みちのく)仙台寄席」などが行われたり、「仙台短編映画祭」「UNHCR難民映画祭」の会場になるなど、単なる映画館の枠を超えて仙台の文化の牽引役としても、重要な役割を果たしました。2011年3月の東日本大震災で被災し、一時休館したものの、4月末からは再び営業を再開しましたが映画離れの加速は止まらず、2018年6月に閉館が決定しました。2018年時点では、仙台市唯一の地元資本の映画館だったそうです。誰も知らない劇場へ2019年、そんなセントラルホールが小劇場としてリニューアルオープンしました!この度ミュージカル「シシ」の会場となる「誰も知らない劇場」です。数々の映画を上映して来た歴史ある空間をリノベーションし、「伝統と革新の調和」をテーマにしてレトロモダンな空間になりました。座席のシートは当時のまま使用されており、他の劇場とはちょっと違ったリラックス空間で、公演がお楽しみいただけます。宮城の伝統と仙台の文化。この2つが融合して行われるミュージカル「シシ」が宮城県、東北を代表する演目となっていく日を目指して、その第一歩目をこの「誰も知らない劇場」で踏み出します。劇場の歴史や空間の力もお借りして、「シシ」を素晴らしい演目にしていくべく、日夜奮闘しております。どうぞ引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします!


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皆さまこんにちは!みんなのしるし 、クラウドファンディング担当の都甲です!寒い寒い東北に住むものとして、暖冬なのは嬉しいのですが、暖かいと暖かいで「こんなに雪降らなくて、大丈夫なのかな?」と不安になる…そんなジレンマな日々を過ごしております。(今シーズンはまだ一度もスキー場に行けてません!)おなじみ、政宗さまと都甲ですさて、前回は南三陸町水戸辺で400年の時を超えてシシオドリが復活した話に触れましたが、実はこの復活劇にも、またもうひとつ逸話があるのです。今日はそちらをご紹介したいと思います。行山流(ぎょうざんりゅう)の演舞昭和57年に水戸辺で石碑が発見されてから、地域の中では「シシオドリを復活させよう」という機運が高まっていました。現在、行山流水戸辺鹿子踊保存会の会長を務めておられる村岡賢一さんは、その時に初めてシシオドリを見て衝撃を受け、なんとしても水戸辺でシシオドリを復活させたい、と考えたそうです。村岡賢一さん 南三陸なうHPよりそれからしばらく経ち平成3年になって、資金の目処がつくことになり、その昔水戸辺からシシオドリが伝わったという岩手県一関市舞川の鹿子踊保存会の方を講師に迎えて、地元の人々がシシオドリを習い始めました。毎日、平日の夜に集まって稽古が行われたそうです。しかし…日が経つごとに参加者が1人減り、2人減り…どんどん人が少なくなっていって、最初は20人いた参加者が最後には6人にまで減ってしまったそうです。一体何故なのでしょうか??それは…大変だからです!!ここでもう一度、シシオドリの写真を見ていただけますでしょうか?行山流(ぎょうざんりゅう)の演舞シシオドリの装束は・大きなシシのカシラを被っている・背中に2メートル近い「ササラ」というものを背負っている・大きな太鼓を抱えているという大掛かりなもの。この装束を着けながら、全員が「唄い・踊り・太鼓を叩く」の全てをこなさなければなりません。今日残る郷土芸能の多くは、唄い手専門とか、踊り手専門、太鼓専門など、役割が分かれて演舞を行うものが大半です。しかし、1人で全てのことをこなさなければならないシシオドリは、同時に様々なスキルが必要とされる超人たち、スーパースター集団なのです!!当然ながらシシオドリの稽古は大変に厳しいもので、もちろん別の事情もあったのかもしれませんが、参加者はだんだんと稽古から足が遠のいてしまったのでした。実はシシオドリは「8人1組で演舞を行う」という様式があります。このままでは、水戸辺で正式にシシオドリを復活させることは不可能です。町の予算もついてしまった状況で、このままこの取り組みを空中分解させるわけにはいかない…村岡さんは、なんとか地域の人たちに協力してもらおうと、ある行動に出ます。その行動とは…酒を持って、協力してくれそうな人の家を訪ねた。石巻の地酒、日高見。すっきりしていて美味しいです。だそうです。なんとも東北らしい方法です。しかも「能力の有無ではなく、責任感の強い、頼んだら断れなさそうな人を選んで訪ねた」のだそうです。そんなこんなで、なんとか人数も増え、平成4年には菩提寺である慈眼寺で躍供養を奉納し「復活の庭揃え」となりました。以来、村岡さんはずっと行山流水戸辺鹿子踊保存会の会長として、水戸辺のシシオドリをリードしておられます。平成23年の東日本大震災の時には水戸辺も被災し、装束や道具などが流出し、存続の危機に立ったそうですが、全国からの支援もあって無事再開でき、今では地元の若者や子供たちからも人気のある、憧れの芸能となっているそうです。稽古をする水戸辺の若者たちしかし今の形があるのも、村岡さんの初期からの奮闘があってのことです。ミュージカル「シシ」の主人公、嘉兵衛はそんな村岡さんのエピソードを参考にしながら作られています。水戸辺でのお話はもうこれだけで十分ドラマになりそうですが、「シシ」ではこのお話も下敷きにしながら、よりスペクタクルなエンタテイメントとなる予定です!皆さまにぜひ応援していただいて、多くの人に東北の郷土芸能の魅力を知っていただけたら幸いです。プロジェクトの終了まであと37日!これからもどうぞよろしくお願いいたします!!


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皆さまこんにちは!みんなのしるし 、クラウドファンディング担当の都甲と申します。CAMPFIREのページを開くたびに、ご支援が少しずつ増えていて、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。一体どんなかたが、ご支援してくださったんだろう…?プロジェクトが終わって、皆様のお名前を拝見するのを楽しみにしております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!再び、仙台城址から政宗さまと、都甲です。さて、今回は前回にも少し触れた、ミュージカル「シシ」のモデルとなった「行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)についてご紹介したいと思います。実は、この水戸辺のシシオドリの復活劇そのものも、これだけで十分ドラマになるのでは??というくらい面白いお話なのです。===水戸辺は、現在の南三陸町の南側にある小さな集落です。水戸辺では、近代に入る頃には、すでにシシオドリの文化は失われていました。しかし昭和57年に、道路工事の現場から「奉一切有爲法躍供養也」と書かれた享保年間に彫られた石碑が発見されました。「生きとし生けるものの供養のために躍る」という意味だそうです。南三陸町観光協会HPよりこの石碑から水戸辺が行山流の発祥の地だったのではないか?という説が持ち上がり、地元の方々が「失われたシシオドリを復活させよう!」という活動を始めました。その際に水戸辺の方々がシシオドリを習ったのは、岩手県一関市舞川にある、行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)でした。実はその舞川には「鹿子躍発祥の地は本吉郡水戸辺村である」と書かれた古文書が伝わっており、舞川の人々はその昔、水戸辺からシシオドリを習っていたのでした。400年もの時を超えて、発祥の地へと戻ってきたシシオドリ。行山流水戸辺鹿子躍は平成4年に正式に復活します。劇作家黒川さんと、行山流鹿踊の装束…しかし、この復活劇にはもう1つのドラマがあるのです。次回、そちらのお話をご紹介したいと思います!お楽しみに☆