私はよく、「なんで議員になったの?」と質問を受けます。
その答えは、大人になってからの経験などに基づくものではなく、過去にさかのぼり幼少期からの体験に基づいていると感じます。
私はおてんばな子どもでしたが、5歳の頃、県外から宮崎へ引っ越すことになり、おうちに引きこもってしまいました。不登校時代を経験しましたが、小学3年から始めたバレーボールが私の人生を変えてくれました。仲間ができ、たくさんの方が私を成長させてくれました。そして、ポジティブな自分が形成されました。バレーボールでオリンピックに出場したい!旭化成陸上部に入りたい!宝塚歌劇団に入りたい!と、今では笑ってしまいますが夢を見つけては追いかける子どもでした。
社会人となり、選挙のお手伝いをしたことがきっかけで、「私を育ててくれた延岡に、政治の世界で恩返しがしたい!」と強く思うようになりました。たくさんの候補者の夢を聞くうちに、「自分にもまちを育てることができる。」と思えるようになったのです。そして、自分の夢を「演説」という形で語るようになりました。
私の夢は、「政治家を目指す若者を育て、その若者たちが自分たちの手で魅力的な宮崎県を創る…という流れが、子や孫の世代になってもこの宮崎県で永遠と繰り返される文化を創り上げること。」です。
私は1度、議員を辞めることを真剣に考えたことがあります。その時、マーガレット・サッチャーのある言葉に出会いました。
「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」
夢を言葉にし、大勢の前で発表することは、自分の夢を実現させる第一歩だと思います。きっと、生まれてきた時から、いや、生まれてくる前から、みなさんの夢は作られてきていると思います。そんな大切な夢を聞かせていただくことを、とても楽しみにしています。そして、心からドリプラ宮崎大会を応援します。
うちだりさ