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スマホじゃなくて自分の目で、私たちの社会を見て考える若者たちの旅第1章in沖縄

任意団体JIWA-JIWAが、沖縄の歴史と基地問題に焦点を当てたスタディーツアーを開催します。全国から日本の若者と留学生が沖縄に集い、鈍っている五感をフル回転させて学習していく学びの旅です!「自分とは関係ない」で片付けるのではなく、まずは知るところから始めます。

現在の支援総額

684,000

113%

目標金額は600,000円

支援者数

92

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/01/25に募集を開始し、 92人の支援により 684,000円の資金を集め、 2020/02/26に募集を終了しました

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現在の支援総額

684,000

113%達成

終了

目標金額600,000

支援者数92

このプロジェクトは、2020/01/25に募集を開始し、 92人の支援により 684,000円の資金を集め、 2020/02/26に募集を終了しました

任意団体JIWA-JIWAが、沖縄の歴史と基地問題に焦点を当てたスタディーツアーを開催します。全国から日本の若者と留学生が沖縄に集い、鈍っている五感をフル回転させて学習していく学びの旅です!「自分とは関係ない」で片付けるのではなく、まずは知るところから始めます。

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沖縄スタディーツアー の付いた活動報告

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皆さま、こんばんは!本日はスタディーツアー最終日の報告となります。4泊5日を通して、改めて現地に足を運ぶ大切さを痛感したスタディーツアーとなりました。今後は活動報告会の日程等決まりましたら、こちらの活動報告にてお知らせしたいと思います!引き続き、JIWA-JIWAをよろしくお願いいたします。5日目【最終日】スケジュール*糸数アブチラガマ*沖縄師範健児之塔*平和祈念公園(平和の礎)*魂魄の塔*ひめゆりの塔今日はスタディーツアー最終日。コザから南城市に移動し、いくつかの史跡を訪れた。史跡をまわる際には、南城市の教会の牧師さんが同行し、解散をしてくださった。糸数アブチラガマ糸数アブチラガマは、沖縄半島南部の全長270メートルの自然洞窟である。今回は、実際に中へ入り沖縄戦でどんなことが起こっていたのか、ガイドさんから学んだ。真っ暗で涼しいガマの中、死を迎える兵隊のいたエリア、負傷はしているものの命をつなぐことができそうな兵隊のエリア、手術台のエリア、地域住民(避難住民)のエリアに分けられていた事を知る。すぐそこに見える井戸にたどり着くまでに半日かけて水を汲みに行った若者、目が見えない兵士にはわかる食料がなく、『死ね』、『お前なんて生きている意味ない』と言われながらも自ら作った道具を使ってネズミを仕留めた時に周りから罵声を浴びることがなくなった話など想像なんてできない話をいくつも聞いた。私は、ここに前日に見た基地と似ている『構図』があると感じた。ガマの中に悪者は誰もいない。全員が戦争の被害者である中、争わなければならない・恨み合わなければならない構図がそこにあった。平和祈念館:平和の波 永遠なれ(Everlasting waves of peace)そこでは戦没者の名が刻まれた記念碑が辺りを埋め尽くし、亡くなられた人の多さを可視化できる。『教材』として建てられてた刻銘碑は、国籍を問わずに亡くなった全ての方に追悼の意を表すと同時に悲惨な戦争体験を風化させる事なく後世に正しく継承していくためにつくられた。平和な広場の中央には、『平和の火』が灯されている。慰霊の日の6月23日の日の出の方位に合わせて中央線が設計されている。魂魄の塔周囲を石垣で固められた円形の塔には、沖縄戦で亡くなった方々の遺骨がある。戦後、遺骨の収集は住民たちが生きていくのに必要な田畑を耕すために自発的に始まった。現在は、遺骨の多くが国立沖縄戦没者墓地苑に移されたが、親族がどこで戦死したかわからない遺族は今でも魂魄の塔を訪れる。訪問した日には、どれくらいの遺骨が残っているかの調査が行われていた。この5日間、決して楽しいだけの旅ではなかった。ただ、現実に目を向けて、一所懸命に学び、話を聞き、考えた。涙だってたくさん溢れた。私たちじゃどうしようもできないと思うような巨大な権力を目の前にし、無力だとも思った。しかし、今回の旅で出会った人々のおかげで、いいや!私たち微力だけど無力じゃないと感じた!!!!勝つまであきらめない活動は負けない唯一の方法だそうだ。周りに優しい人であるために、たくさん勉強しよう。考えよう。そんな事を学ばせてもらった5日間だった。サポートしてくださったスタッフの皆様、縁がありお話を聞かせてくださった皆様、快く迎えてくださった民宿/ゲストハウスの皆様、クラファンやカンパを通して支援してくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。


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皆さま、こんにちは!スタディーツアーの活動報告も後半戦となりました。地域住民の皆様から貴重なお話を聞く機会が多く、考えること、感じることが、日々増しております。さて、4日目のスタディーツアーをご報告いたします!遅くなってしまい申し訳ございません。▼4日目のスケジュール*抗議船に乗船*汀間区長の方とお話*各抗議活動から学ぶ*クッション訪問*コザ(沖縄氏)に訪問、地元の方が経営する飲食店でお話しを聞く抗議船に乗船辺野古新基地の抗議活動に参加してる方々の抗議船に乗船した。新基地建設に必要な土砂を搬入しているところを、船に乗り間近で見た。そこで一緒に乗船してくださった方から、"アメリカ軍隊員も沖縄の海が好きであり、基地建設でその海が消えていくことは悲しいと言っている。アメリカ軍が全員悪い人ではない。"と言う言葉がとても印象に残った。生まれ育った国は違えど、同じ1人の人間として、在日米軍=悪い人と一方的に決めつけるのではなく、辺野古新基地建設に複雑な思いを抱える人たちは日本人だけでないことが改めてわかった。汀間区長さんによる講義そこに住む住民だからできる取り組みとして、漁業権の獲得に取り組んでいる方であった。海水があるところから発生するのが、『漁業権』だ。防衛省が購入したこの権利の復活を目指す。そのために、元々漁師でない方々も時間をつくって海へ出る。このように様々な人が様々な手段で辺野古新基地建設を阻止しようと活動している。3回出した申請書も棄却されているが、現在も組合員一段となって取り組んでいる。各抗議活動基地反対の抗議活動に参加(各自の判断で)と見学を行った。この抗議活動の内容としては、土砂を搬入してくるトラックを、基地の工事現場に侵入させないために、トラックの出入り口に座り込みをしながら、基地反対の意を表す非暴力運動だ。そして、機動隊や民間警備隊も出動して抗議活動をしている人たちの行動を制限する。しかし、私たちがそこで見た光景は、抗議活動の参加者と機動隊がいがみ合うものでは決してなかった。機動隊の中でも、安全な場所に移動させた参加者とごく普通に会話をしている。この光景は、ごく普通池生活していても見られるものと変わらない日常の一部だった。そして、機動隊と参加者の会話の中でも特に印象的だったものとして、"4月からは、こっち(座り込み運動)に新人が来るから、おじいとおばあを移動させる時に優しくて移動できないかもしれない。でも気をつけさせるからなぁ。"この機動隊の1人がかけた言葉には、高齢者の方々に対する優しさを感じるものであった。素晴らしい団体行動をする警備員の中にも涙を流す警備員もいた。普段、私たちがTVやSNSを通して見るものは、両者がいがみ合うものを想像しがちであったが、今回実際に足を運んだことで、両者が非暴力を意識して話し合うことを大切にしてることを実感する日となった。コザ(沖縄市)に訪問、地元の方が経営する飲食店でお話しを聞く本日の最終目的地であるコザに訪問。コザは近隣に嘉手納基地があるため、お店の看板やメニューなどには英語表記が使われているなど、在日米軍基地がある事が関連する町並みであった。この町で、飲食店を経営する地元の方のお話しを聞いた。もともとこのお店は、戦後ご両親が質屋を経営しており、のちに飲食店としてオープン。同町の飲食店では、日々多くの米軍人の方々が訪れる中、このお店の特徴として「在日米軍の入店はあまり嬉しくない」という考えを持っていらっしゃることであった。店主の方曰く”米軍基地で働いている人たちの中でも、海軍の部隊は高校を卒業してすぐに入隊している子たちがいる。その子たちの多くは、貧しい家庭環境で育ったがために大学に進学することがでず、家にお金を入れるために基地で働いている子がいる。つまり、十分に勉強することできず、兵士として戦う事を教え込まれるため『人間』になれない。それは、非常に可哀想なことだ。”とおっしゃっていた。また店主の方が、昔自分の子どもから”なんで勉強はしないといけないの?”か、と聞かれた際に”人にやさしくなるために、勉強はするんだ。勉強を知らない子がいたら、その子に教えてあげなさい。”という話がとても印象に残った。


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沖縄スタディーツアー3日目のご報告みなさんこんにちは!!今日は、スタディーツアーの4日目なのですが昨日の活動報告をさせていただきます。▼3日目のスケジュール*恩納村にてエコツアー *昼食*せだけの浜にて、住民の方によるお話*BBQ(住民の方々との交流)恩納村でのエコツアー恩納村のエコツーリズム研究会の方に、万座毛周辺の自然や、沖縄の歴史、文化、習慣、信仰等のお話を伺った。歩きながら、沖縄の大自然を体感した。天気が少し悪かったこともあり、海がきれいに見えないとの事だったが、私たちにとってはそれでも十分美しい海だった。6月に来ると最高に美しい海が見られると聞いたので、6月に来てみたい。沖縄に生息する生物の数が他に比にならないほど多いこと、現在まで受け継がれている文化と今は存在しない文化のお話を聞いて、素直に楽しい/新しい発見だらけの時間を過ごした。純粋に、沖縄の自然が好き、海が好き。そんな想いも大切にしていきたい。BBQ/地元の方々のお話を聞く夜ご飯をみんなで準備し、地元の方々にも参加していただいた。私たちが彼らの話しを聞くだけでなく、地元のみなさんも私たちの想いや声に耳を傾けてくださった。お互いの熱い思いが激突したものもあるが、対話をやめないことが重要だと感じた。話をしていない第三者達からすると、2人の想いやゴールは似ていた。ただ、何かが食い違っている。夕食後の語り合いでは、そんな時に、アウトオブフレームの存在が必要なのではないかという意見が出た。※韓国からの参加者は、コロナウイルスの影響で、日本から韓国への渡航中止が決定されたために本日帰国した。


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皆さま、おはようございます。今日はスタディーツアー2日目のご報告です!本日の沖縄は一日晴天で、過ごしやすい気候でした。では、早速2日目のスタディーツアーのご報告をいたします!*安和桟橋と塩川港辺野古新基地建設で、琉球セメント桟橋から埋め立て用の土砂が搬入されている場所を見学した。ここでは、住民たちが監視をするために、海上に出てボートを利用したり、座り込み抗議行動を起こしたりしている。また、ここでは民間警備隊が、抗議行動に参加する方々の見張を行なっていた。この民間警備隊に1日1700万円以上の警備費用をかけている。そして、新基地建設により土砂を掘り起こすため、ここ数年で桟橋付近の山が、二山分削られているという。*辺野古新基地テント村を訪れ、辺野古新基地建設について抗議行動に参加している方のお話を聞いた。この抗議行動が起こって約24年近くの歳月が経つが、工事を開始して5年、現在実際に埋め立てできている部分は、全体の1%のみという。国の方針としては、辺野古に新基地が完成しないのであれば、普天間基地は返還しないという考えを発表している。その他代替案として8項目を挙げている。その中でも印象深かった項目が、・普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善参照: https://president.jp/articles/amp/27750?page=2この項目同様の滑走路は、那覇空港or那覇第二滑走路or宮古市の下地空港のみとなっている。すなわち、緊急時に使用できる空港は、那覇空港を指していると考えられている。また、辺野古新基地が完成しても、8項目の条件が満たされない限り、米軍普天間飛行場は返還されず、継続使用されると、おしゃっていたことが、お話の中で1番印象深かった。その他に、基地問題について反対派の青年部を、琉球大学の教授が調査したところ、"大学を卒業しているか、社会運動に参加したことがあるか、沖縄県外で生活した経験があるか、"という特徴を持っていたという結果が出た。*グラスボート体験大浦湾へグラスボートに乗船して、サンゴ礁を見に行った。大浦湾のサンゴ礁には、青サンゴ礁・コブハマサンゴなどのサンゴ礁が見れた。サンゴ礁には、さまざまな種類の魚が生存しているため、サンゴ礁がなくなることで魚たちも生存する居場所がなくなるという。


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【若者版】沖縄スタディーツアー@1日目みなさん、こんばんは。おかげさまで、本日より【若者版】沖縄スタディーツアーが始まりました。今日から、毎日の活動報告をしていきます。どうぞよろしくお願い致します。*嘉数高台公園普天間基地の現状を知る:住宅街が密集しており、その危険さと違法な基地である事を確認した。また、高台から辺りを見渡し、地形を活用した戦術を学んだ。それはアメリカ軍にとって最も大きな被害を与えた。在日米軍基地には、星条旗と日本国旗が掲げられており、そのことは日本国が在日米軍に基地を提供している象徴とも言える。それを目障りだと感じる人たちもいると案内人の太田さんはおっしゃっていた。*嘉手納道の駅(嘉手納基地の現状を知る、嘉手納出身の若者と、沖縄で4年間過ごした若者との交流)在日米軍の基地でのインターンや、無料の英語レッスンを通して英語力を身につけることができる環境がある事を知った。また、6/23は琉球(沖縄)にとって、特別な日であるが、本土との温度差を感じた。また、車のYナンバーを持つ車は在日米軍関連であることを初めて知った人もいた。沖縄では、在日米軍も街に溶け込んで共に生活を送っているので基地がある事が"日常化"している事も感じた。騒音により、テレビドラマの音が聞こえなくなったり、5年に一度家の防音工事が行われるなど、本土ではなかなか考えられない現状があった。学校や地域の中に在日米軍に関連する人々がいること、そしてその在日米軍基地で働くことで生活が成り立つ人々が周りにいる中で、基地問題に対し容易に"YES" or "NO"と明確な意思表示ができないというジレンマも抱えていた。*チビチリガマ見学(強制集団死≠集団自決)自決という言葉は、軍隊用語であり日本軍によって起こった集団死は集団自決ではない。他のガマでは生き残った方が多くいる中で、チビチリガマでは、日本軍として中国で戦争をした経験がある(結末を知っている)人がいた事から、集団死を選択せざる得ない状況下にあったことがわかった。一方で、ガマでは、ハワイでの戦争(アメリカ社会)を知っていた人が英語を用いて、交渉をしたために被害が少なかったという(2日目に訪問予定)。*金城実さんのアトリエ訪問/講義今回は、韓国からの若者も参加したため朝鮮との歴史やつながりをメインにお話してくださった。他にも、米騒動から始まる部落差別等の差別の歴史、豊臣秀吉が耳鼻塚(首の代わり)を塩漬けにする事を命じた歴史、伊藤博文の暗殺をめぐる日韓、そして琉球での認識の違いを学んだ。